断捨離令嬢
「……う、うう……頭が、割れるように痛い……」
猛烈な眩暈と、全身を押し潰すような疲労感の中で、私は意識を取り戻した。
視界に映るのは、天井に描かれた褪せたフレスコ画。どこかの豪華そうな、けれどどこかカビ臭い部屋の天井だ。
いや、待ってほしい。
私はなんでこんなところに倒れているんだっけ?
激しい頭痛とともに、濁流のように脳内に流れ込んでくる記憶――それは二つの「私」の人生だった。
一つ目の記憶。
私は、ごくごく普通の日本人女性だった。
本当に、恐ろしいまでに「普通」だったのだ。
学歴も平均、就職した会社も大企業でもなければ中小企業でもない、中堅どころのメーカー。ブラック企業かと言われればそうでもなく、かといってホワイト企業と胸を張れるほど福利厚生が手厚いわけでもない。社食のカレーの味が「まあまあ普通」レベルの会社である。
趣味も普通、恋愛経験も普通、特技も、趣味の美容知識ぐらいだ。語ることがなさすぎて、自己PRを書かせたら三行で尽きるような人生だった。
そんな私の死因は――なんと、食べ物を喉に詰まらせてのアフ・窒息死。
休日に一人でテレビを見ながら、ちょっと欲張って口に放り込んだ大きなアンパン(あるいはみたらし団子だったかもしれない)。それが「ゴホッ、カホッ……!」と気管に入り、水を探してのたうち回るも虚しく、一人寂しくフローリングの上でジタバタしながら息絶えたのだ。
思い出しても情けなさすぎて、蘇った記憶をもう一度封印したくなるレベルの黒歴死である。
そして、二つ目の記憶。
今の私の名前は、ルキア・ヴァレリウス。
この世界における「ヴァレリウス伯爵家」の令嬢……だったはずの女だ。
今世の記憶を辿ると、状況は前世の死に様以上に悲惨を極めていた。
数ヶ月前、隣国との間で突如勃発した戦火に巻き込まれ、両親であるマルクス伯爵とリウィア夫人が不運にも他界。
悲しみに暮れる間もなく、我がヴァレリウス家の最大の収入源であり、家計を一人で支えていた遠方の「アルブス銀鉱山」が、敵国の軍勢によって占領されてしまったのだ。
ドカンと途絶えた収入。積み上がる維持費。そして両親が遺した多額の借金。
世間知らずだった令嬢ルキアは、「お父様とお母様の残してくれた家を守らなきゃ……!」と健気にも一人で立ち上がり、不眠不休で屋敷の書類と格闘していたのである。
そして今、極度の過労とストレスと栄養失調が限界を突破し、バタリと倒れて命を落としかけ――そこへ前世の私の記憶がすっぽりとハマった、というわけだ。
「……なるほどね。状況は把握したわ」
私はふぅと息を吐き、重い体を起こそうとした。
しかし、体の節々がギシギシと悲鳴を上げる。そして何より、顔面に猛烈な違和感があった。重い。皮膚が突っ張る。カサカサする。かゆい。
「……ちょっと待って。私、いまどんな顔してるの?」
嫌な予感を抱きつつ、私はよろよろと立ち上がり、部屋の隅に置かれた大きな全身鏡の前に歩み寄った。
そして、そこに映っていた「自分」を見た瞬間――
「……ひっ!?」
あまりの恐怖に、喉から引きつった声が出た。
鏡の中に立っていたのは、可憐な貴族令嬢などではなかった。そこにいたのは、人里離れた深山に住まう妖怪か、怪物の類であった。
まずは眉毛。
ゲジゲジどころの話ではない。極太の毛束が左右から勢いよく伸び、眉間の上でガッチリと熱い握手を交わしている。繋がり眉どころか、もはや一本の極太ハイウェイである。
次に肌。
荒れ放題なんて生易しい言葉じゃ表現できない。赤み、カサつき、ブツブツとしたできものが顔面全体で大規模なフェスティバルを開催している。
目元を見れば、まるで殴られたのかと思うほどの真っ黒なクマ。死相どころか、すでに黄泉の国からお迎えが来ているレベルの暗黒空間が形成されていた。
そして鼻。
「摘みたてのイチゴかな?」と思わず見間違えるほどのいちご鼻。黒ずんだ角栓がぎっしりと詰まり、イチゴの種もびっくりなブツブツ感を主張している。
唇は、干上がった砂漠のようにひび割れ、血色は完全にゼロ。紫を通り越して土色だ。
肌の色に至っては「白い」というより「幽霊」。病的な青白さを超えて透けて見えそうであり、その上、激やせのせいで頬が削げ落ち、頬骨が恐ろしい角度でクッキリと浮き出ている。
髪の毛に視線を移せば、もともとは綺麗な金髪だったらしいが、手入れを完全に怠ったせいでボサボサのくせ毛が爆発している。切れ毛と枝毛のパラダイスで、鳥が巣を作りに来そうな惨状だ。
極めつけに、口を半開きにしてみると、歯が全体的にどんよりとくすんでいた。
「……う、うそでしょ……」
震える手で顔を触りながら、ふと、嫌な予感がして鼻の穴を恐る恐る鏡に近づけ、下から覗き込んでみた。
そこに、ひっそりと、しかし主張激しく顔を出している黒い毛束――。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっっっっっ!!!!」
私は頭を抱えて悲鳴を上げた。
鼻毛! 鼻毛出てる!! 令嬢の鼻から毛がこんにちはしてるわーーーっ!!
悲惨! 悲惨すぎるわルキア!!
家計のやりくりに追われすぎて、自分のケアを何ひとつしてなかったの!?
っていうか、そもそも姿勢が悪い! 鏡の中の私はびっくりなほどの重度の猫背で、首が蛇のように前に突き出ている。
「落ち着け……落ち着くのよ私。パニックは美容の大敵……!」
私は深呼吸を試みた。しかし、曲がり切った背中では空気が胸に入ってこない。
「よし……まずはここからよ!」
私は両拳を握りしめ、ぐぐっと背筋を伸ばした。
バキバキバキバキッ!! ボキボキボキッ!!
部屋の中に令嬢の体内から鳴ってはいけない破砕音が響き渡った。
「ぐはっ!?」と思わず変な声が出たが、ピンと背筋が伸びた瞬間、すーっと胸に新鮮な酸素が流れ込んでくるのが分かった。視界が一気に高くなり、世界が明るくなる。
よし、姿勢完了。まずは第一歩突破だ。
私はあらためて、前世の脳と今世の記憶をフル回転させて現状を分析し始めた。
記憶が戻る前のルキア・ヴァレリウスは、本当に健気で真面目な子だった。
両親を失い、銀鉱山を失い、絶望的な借金を抱えながらも、「ヴァレリウス伯爵家の名誉を守らなければ」「亡きご両親に顔向けできない」と必死になっていた。
だが、彼女には決定的な欠点があった。
それは「貴族の見栄とプライドを捨て切れなかった」ことだ。あと美容力が元から0だったことも。最初は過労のせいかと思っていたが、どうも徐々に戻る記憶と食い違っている。
この無駄に広くて維持費ばかりかかる屋敷に住み続け、外面を繕うために豪華で派手なドレスを着て、質の高い食事(借金で手配していた)を無理して摂ろうとしていた。
もっとも、限界を感じた彼女は、少し前に「これ以上の人件費は払えない」と泣く泣く使用人たちを次々とクビにしていたのだが。
おかげで現在は、このバカ広い屋敷に私一人。掃除も手入れも行き届くはずがなく、屋敷も私自身もさらに荒れ果てていったというわけだ。




