野外ランチ
それなのに! 数年間にわたってカシウスへのお給料を「屋敷の財政が厳しいから」と誤魔化し、ほぼ全額未払いの状態でこき使っていたのだ!
年収2000万円級のエリート優秀騎士をタダ働きさせて路頭に迷わせるなんて、どんなブラック企業も青ざめる悪行である。
「いい、カシウス? これはあなたがこれまで命がけで私や伯爵家を守ってくれたことに対する、当然の対価の一部なの! 今までの未払い分に比べたら全然足りないくらいなんだから、遠慮なんて絶対にしないで!」
「ルキア様……」
カシウスは握りしめられた自分の手と、そこにずっしりと収まる金貨の袋を見つめ、目頭を熱くさせた。
「……感謝いたします。この御恩とご期待には、生涯をかけてお応えいたします」
「大袈裟よ! さ! お腹ペコペコなんだから、夕食に行きましょ!」
こうして、私たちは無事に(?)給与交渉を終え、夜の王都へと繰り出すことになったのだった。
◈
夜の王都ルーメンは、昼間とはまた違った幻想的な雰囲気に包まれていた。
魔導具の街灯が柔らかなオレンジ色の光を灯し、石畳の道を照らしている。
「ふふふ〜ん♪」
私はツルツルに生まれ変わったお肌の感触を楽しみながら、ルンルン気分でカシウスの隣を歩いていた。
歩くたびに、私の顔からふわりと甘く高貴なラズベリーの香りが漂う。段々と気にってきた。
隣を歩くカシウスは、なんだかさっきから妙に緊張した様子で、私と一定の距離を保とうとチラチラ視線を泳がせていた。
「どうしたの、カシウス? さっきから私と距離をとってない?」
「あ……いえ! その……ルキア様から、とても魔法香がしまして……その、少し落ち着かなくて……」
カシウスが耳まで真っ赤にして顔を背けた。
……あらやだ、純情なイケメン騎士様をドギマギさせちゃったかしら? エルフの秘薬、美容効果だけじゃなくて魔法香水の効果も抜群ね!
しかし、そんな浮かれた気分も束の間。
私たちはすぐに、ある大きな問題にぶち当たることになった。
「どこも……開いてないわね……」
「いえ、開いてはいるようですが……」
王都の大通りに面したレストランやトラットリアは、どこも店内が煌々と照らされ、着飾った人々で賑わっていた。
しかし、私たちが店に入ろうとすると、給仕の男性に申し訳なさそうに断られてしまうのだ。
『申し訳ありません、お嬢様。当店の夜の営業は完全予約制となっておりまして……本日はあいにく満席でございます』
『こちらも予約で一杯ですね。今の時間からですと、飛び込みでお席をご用意できる店は王都内でも殆どございませんよ』
どこに行っても、断られまくり! 治安対策なのだろうか。
「う〜ん、参ったわね……」
私はお腹をギュッと押さえた。
そういえば、今の王都の夜の飲食店は、貴族や富裕層の予約で埋まるのが当たり前だったのだ。路地裏の居酒屋なら空いているかもしれないが、あいにくガラが悪そうな男たちが溜まっていて、元貴族の私たちが気軽に入れる雰囲気ではない。危険すぎる。
「探しまわるのも大変だし……お腹と背中がくっつきそうよ」
私がへたり込みそうになると、カシウスが周囲を見回して言った。
「ルキア様、あちらの小さなお店はいかがでしょう? テーブル席はありませんが、持ち帰りの商品を売っているようです」
「えっ! どこどこどこ!?」
カシウスが指差したのは、大通りから少し外れた路地に佇む、小さな温かい明かりが灯るテイクアウト専門店だった。
看板には『街角の持ち帰り処・ポルタ』と書かれている。
店先からは、香ばしいパイの焼ける匂いと、ハーブと肉の煮込み料理のたまらない香りが漂ってきていた。
「香ばしくて良い匂い……! 行ってみましょ!」
私たちは小走りで店に向かった。
小窓の向こうには、気さくそうなふくよかなおばさんが立っており、私たちを見るとにっこりと微笑んだ。
「いらっしゃい! もう閉店間際だけど、温かい料理がまだ残ってるよ! 持って帰るかい?」
「はい! すごくお腹が空いていて! おススメは何ですか!?」
私が身を乗り出すと、おばさんは嬉しそうに店内を指差した。
「一番の人気は、この焼きたての『エンパナーダ』さ! サクサクの生地の中に、スパイスで炒めたオーロックスひき肉とゆで卵、オリーブがぎっしり詰まってるんだよ。それと、今夜は肌寒いから『スコッチブロス』もおすすめだね。大麦と、たっぷりの新鮮な野菜、エオトラグス(羊)の肉を柔らかく煮込んだスープさ!」
「その二つを二人分、お願いします!」
私は迷わず注文した。
おばさんは手際よく、竹の葉と紙で包まれたアツアツのエンパナーダと、木製の蓋つきカップに入ったスコッチブロスを木箱に詰めて渡してくれた。
代金は二人分で銅貨40枚とってもリーズナブル!
「はいよ、毎度あり! 冷めないうちに召し上がりな!」
「ありがとうございます!」
美味しい夕食を手に入れた私たちは、ホクホク顔で店を後にした。
「家に戻って食べるのもいいですけれど……ルキア様、あそこへ行きませんか?」
カシウスが指差したのは、街道のすぐ近くにある広々とした石造りの広場だった。
中央には大きな噴水があり、澄んだ水が月明かりを反射してキラキラと輝いている。周囲には静かな木々と、木製のベンチがいくつか設置されていた。まだまだ、人が行き交っている。
「広場のベンチで……いいわね。夜風も心地よさそう」
私たちは噴水のすぐそばにあるベンチに並んで腰掛けた。
夜空には満月がぽっかりと浮かび、噴水の水の音が心地よく耳に届く。
「はい、カシウス。それじゃあ、冷めないうちに……いただきまーす!」
まずは、紙包みからアツアツの「エンパナーダ」を取り出す。
綺麗な黄金色に焼き上がったパイ生地からは、バターとスパイスの香ばしい香りが立ち上っていた。
大きな口を開けて、思い切りかぶりつく。
カリッと弾ける生地に歯を立てた瞬間、香ばしいバターと小麦の甘やかな香気を纏った熱気があふれ出てきた。
「……っっっ!!???(感動)」
サクサク、ほろほろと解ける薄皮の軽快な音に続いて飛び込んでくるのは、あふれんばかりのジューシーなひき肉の旨味。じっくり炒めたであろう玉ねぎの濃密なコクと甘みが、クミンとパプリカパウダーの力強いスパイスの香りを纏い、鼻腔を心地よく駆け抜けていく。
咀嚼を深めると、しっとりとしたお肉の重厚な旨味の中に、グリーンオリーブの爽やかな塩気が鮮烈なアクセントとして弾け、幾重にも重なる味覚の層を描き出していく。余熱でほんのり温まったゆで卵のマイルドな口当たりが、全体をまろやかに包み込む調和。手元に残る温もりと、後味に広がるスパイシーで奥深い余韻が、思わずもう一口へと手を伸び分けさせる。
「おいしぃぃぃぃぃぃっ!!」
私は頬を両手で押さえて身悶えた。
サクサクの生地と、スパイスの効いたコク深いお肉の旨味が完璧なるハーモニーを奏でている!
「カシウス! これ、すっごく美味しいわよ! 早く食べてみて!」
「あ……はい、いただきます」
カシウスもエンパナーダを口に運んだ。
一口食べた瞬間、彼の目が丸くなった。
「……う〜ん! 素晴らしいですね……生地の香ばしさと、具材の旨味が凝縮されています。手軽に食べられるのに、非常に満足感が高いですね」
「次はスープよ!」
木製のカップの蓋を開けると、立ち上る湯気から羊肉特有の力強く深みのある香りと、ブイヨンの優しく甘い香気を纏った温もりが顔を包み込んでいく。香ばしい焼き色のついた大麦が擦れ合う微かな音とともに、
スプーンを入れれば、じっくりと煮込まれた肉と根菜、大麦がズシリとした手応えを伝えきた。口へ運ぶと、まず舌を包み込むのは骨付き羊肉からじっくりと引き出された濃厚さ溢れる旨味のスープ。そこにカブやニンジン、リーキの自然な甘みが溶け込み、絶妙な滋味深さが押し寄せる。
「んん〜……っ!」
ふっくらと煮膨らんだ大麦を噛みしめると、プチッとした心地よい歯ごたえとともに、スープの旨味が口いっぱいにジュワッと広がっていく。ホロホロと口内で崩れる柔らかな羊肉と、しっとりとした野菜の甘みが一体となり、お腹の底から身体をじわじわと温めていく圧倒的な安心感。後味にはハーブの控えめな爽やかさと肉の豊かな余韻が長く残り、冷えた身体を優しく癒やしてくれる。
染み渡る……!
「はぁぁ……幸せ……。外で食べるアツアツの食事って、なんでこんなに美味しいのかしら……」
カシウスもスープを味わいながら、穏やかな表情で噴水を見つめていた。
月明かりの下、二人でベンチに並んで座り、アツアツのエンパナーダとスープを頬張る。
かつて贅沢な伯爵屋敷の豪華な食堂で、マナーを気にして高級料理を食べていた頃とは異なり、平穏で温かく、美味しい時間だった。
「……ねえ、カシウス」
「はい、ルキア様」
私はツルツルの頬を撫でながら、夜空を見上げた。
「家も資産も無くして、あんな小さな部屋からのスタートになっちゃったけど……私、なんだか今の方がずっと楽しいわ」
「ルキア様……」
「明日からは、もっともっと楽しい生活にしていきましょ!」
私が笑いかけると、カシウスは少し驚いたように目を見張り――やがて、心からの優しさに満ちた笑みを浮かべた。
「はい。どこまでもお供いたします、ルキア様」
夜風が心地よく吹き抜け、噴水の水面を揺らした。
手に持ったスープの温もりに包まれながら、私たちの「新しい生活」の第一歩は、最高に美味しくて幸せな形でスタートを切ったのだった。




