手作りチェア
「はぁ、はぁ……っ! やばい、急がなきゃ……!」
ツルッツルになったゆで卵肌を夕風に晒しながら、私は王都の薄暗い路地を全力疾走していた。
買い込んだ衣類や日用品の詰まった革バッグがバタバタと腰を叩く。手には、あの金貨100枚もしたエルフの秘薬(飲むやつ)の小瓶が大切に握られていた。
日頃の運動不足と、元・箱入り娘の弱々しい筋力のせいで、アパートの階段を駆け上がる頃には呼吸がゼーゼーと途切れ途切れになっていた。
「ハァ……ハァ……カシウス、心配して捜しに出てたり……してないといいけど……」
部屋のドアの前にたどり着き、呼吸を整える。
廊下は静まり返っていたが、鍵穴に鍵を差し込もうとした瞬間――部屋の中から、かすかな音が聞こえてきた。
コンコン……トントン……。
規則正しく、木と木が打ち合わされるような静かな音が響いている。
「……? トンカチの音……?」
首を傾げながら鍵を回し、重い木製のドアをそっと押し開けた。
「ただいまー……って、えぇ!?」
ドアを開けた瞬間に飛び込んできた光景に、私は思わず声を上げた。
部屋のリビングの床にひかれた薄布の上に、木くずがパラパラと散らばっている。
その中央で、上着を脱いでシャツの袖を捲り上げたカシウスが、木槌を手に真剣な眼差しで作業をしていたのだ。
そして、彼の足元には――
滑らかな木肌が美しく磨き上げられた、立派な木製の椅子が「2脚」、堂々と並んでいた。
背もたれには心地よさそうなゆるやかなカーブが施され、足の補強もしっかりとしている。どこからどう見ても、家具屋の店頭に並んでいてもおかしくない素晴らしい出来栄えのチェアーだった。
「カ、カシウス……? 何してるの……?」
私が唖然として問いかけると、木槌を振るっていたカシウスが仕上げをして、ゆっくりと手を止めた。
「あ、ルキア様! お帰りなさいませ。あまりに遅いので心配して――」
カシウスは立ち上がり、私の方へ振り返った。
しかし、次の瞬間。
ピキッ。
カシウスの動きが、まるで時が止まったかのように完全に静止した。
木槌を掲げた姿勢のまま、彼は目を見開き、口を半開きにして呆然と私を見つめている。
「……カシウス?」
一秒、二秒、三秒……。
静寂が部屋を包み込む。カシウスは微動だにせず、ただ固まっていた。まるで精巧に作られた石像のようだ。
「ちょっと、カシウス? どうしたの? 足痺れちゃった!?」
私が心配になって顔を覗き込むと、カシウスは喉をゴクリと鳴らし、震える声で言葉を漏らした。
「……ル、ルキア様……? 一体……一体どうされたのですか……? お、お顔が……」
「え? 顔……?」
私は自分の頬に手を当てて――ハッと息をのんだ。
あ。やばい。忘れてた。
大国商人に土下座して買い叩いたエルフの秘薬を、顔面に塗りたくったばかりだった!!
今の私の顔は、長年の不摂生とストレスで荒れ果てていたカサカサ・ブツブツ肌が嘘のように消え去り、内側から発光するようなツヤと透明感を放つ、完璧な「ゆで卵肌」へと劇的ビフォアアフターを遂げているのだ。
しかも、顔からは極上の濃厚なラズベリーの甘い香りがプンプンと漂っている。
「あ、ああ〜! これね! アハハハ!」
私は引きつった笑顔で、誤魔化すように自分の頬をパンパンと叩いた。
「えっとね! ほら、さっきお買い物に行ったじゃない? そこでちょっと……そう! 色々と、美容的なアレを試してみたのよ! ほら、女の子にはいろいろあるじゃない? 魔法みたいな美容法が!」
「……なる、ほど」
カシウスは、私の顔と、そこから漂うラズベリーの香りと、私のバツの悪そうな表情を交互に見つめ、困惑の極みといった様子で首を傾げた。
しかし、根がどこまでも真面目で忠実な彼は、それ以上深く突っ込むことはしなかった。
「……そうですか。ルキア様がご無事で、満足されているのでしたら……何よりです」
「(ふぅ、助かった……怪しい飲むポーションを顔に塗りたくったなんて知れたら、絶対に引かれるわ……!)」
冷や汗を拭いながら、私はカシウスの作った椅子へと視線を向けた。話題を逸らすチャンスである!
「それよりカシウス! この椅子、すごすぎるわよ! これ、あなたが自分で作ったの!?」
「あ……はい」
カシウスは少し照れくさそうに頭を掻き、木槌を床に置いた。
「ルキア様がお出かけになられている間、手持ち無沙汰でしたので……。知り合いの鍛冶屋のところへ行った際に、木材がたくさん余っているのを見かけまして、譲ってくれたんです」
「へぇ! 鍛冶屋の親方さん、優しい方なのね」
「それで、元々……実家が小さな家具屋を営んでおりまして。小さい頃から父の手伝いで、こういう椅子やテーブルなどの小物はよく作っていたんです」
「ええっ!?」
私は目を見開いた。
(カシウスの実家って、家具屋だったの!? 初めて知ったわ……!)
「木工の技術はずっと覚えておりましたので。……それに座る家具すらないと不便かと、ルキア様が少しでも快適に過ごせるようにと思いまして」
そう言って、カシウスは少し心配そうに椅子を指差した。
「素人の手作りですので、高級品のような装飾はありませんが……強度と座り心地だけは保証します。どうぞ、座ってみてください」
「試すまでもなく凄そうだけど……じゃあ、お言葉に甘えて!」
私は手荷物を床に置き、そっと椅子に腰を下ろした。
「……!!」
思わず、目が見開く。
すごい。何これ。
機械もないのに、ガタツキが一切ない!
背もたれの曲線が私の背骨に吸い付くようにフィットし、座面の緩やかな凹みが絶妙に体重を分散させてくれる。木肌の手触りもスベスベで、一切の引っかかりがない。
前世で見た、北欧の数十万円する人間工学デザインのデザイナーズチェアかと見紛うほどの座り心地である!
「……すごいわ、カシウス! これ、ものすごく座り心地が良い!! 売り物レベル……ううん、王都の高級家具店に並んでいてもおかしくないくらい素晴らしいわよ!」
「本当ですか……!?」
私の大絶賛を聞いて、カシウスの表情が一瞬でパッと明るくなった。
普段はポーカーフェイスでクールな彼の耳の先端が、少し赤くなっている。
「ルキア様に喜んでいただけて、本当に良かったです。ルキア様の体型に合わせて、背もたれの角度と高さを少し調整しておいたんです」
「そこまで計算して作ってくれたの!? 天才じゃない……! ありがとう、カシウス! 大切に使わせてもらうわね!」
カシウスが実に嬉しそうに、素朴で温かい笑顔を浮かべた。
……なんだか、いつも以上に忠犬っぽさが増していて可愛い。
「さてと!」
椅子の上でポンと手を打つ。
「カシウス、すっかり遅くなっちゃったわね。お腹も空いたし、何か夕食を食べに行きましょ!」
私の提案に、カシウスの表情がスッと曇った。
彼は申し訳なさそうに視線を落とし、小さく肩をすくめた。
「……申し訳ありません、ルキア様。私は……今、手持ちの持ち金が殆ど無くて……。ご一緒するのは、少し……」
「え? どうして?」
私は首を傾げた。
「どうしてカシウスが自分のお金を払おうとしてるの? 私が誘ってるんだから、当然私がおごるに決まってるじゃない」
「ですが! 昼食に続き、ルキア様のお金で食事をいただくわけにはまいりません! 私は従者であり、護衛です」
「ちょっと待った!」
私は椅子から立ち上がり、カシウスの目の前に立って人差し指を突きつけた。
「カシウス、勘違いしないで。あなたはおごられているんじゃないの。お給料をもらうのは、働いている人間として『当然の権利』なの!」
「しかし……?」
「あなたは私専属の護衛騎士として、今日もこうして私を守ってくれて、家具まで作ってくれたわ。雇い主である私があなたに正当なお給料を払うのは当然の義務よ! それに……伯爵家がこんなことになって、路頭に迷う羽目になったのは、絶対にカシウスのせいじゃないんだからね!」
きっぱりと言い切る私に、カシウスは言葉を詰まらせた。
(……とはいえ)
私は急に気まずくなり、指を引っ込めて、申し訳なさそうに視線を泳がせた。
「……ただね。本当にごめんなさい、カシウス」
「え? 何がですか……?」
「私……さっき、お買い物に行った時にね……つい、美容液に目が眩んで……試供品に金貨100枚も払っちゃったの……」
「ひゃ、100金貨……!?」
カシウスが今日一番の悲鳴を上げた。そりゃそうだ。一般庶民なら大金である。ましてや美容液に100金貨など。
「ううっ……ごめんなさい! ちゃんと2000金貨以上の残金はあるんだけど、これから家具とか調理器具とか、生活に必要なものを買い揃えなきゃいけないでしょ? だから、最終的にカシウスにいくら渡せるか分からないんだけど……」
私は革バッグの奥から、金貨がぎっしり詰まった革袋を取り出し、カシウスの手の中に強引に押し付けた。
「とにかく! これはあなたへのお給料の前払いよ! 一先ず、この100金貨で納得して欲しいの!」
「100金貨!? 多すぎます、ルキア様! 受け取れません!」
「受け取りなさい!!」
私はカシウスの手をキュッと握りしめ、真剣な目で見つめ返した。
(当然よ……だって、前世の知識と記憶を照らし合わせたら、申し訳なさすぎて胸が潰れそうなのよ!!)
実は、昨日屋敷を出る前、ヴァレリウス伯爵家の過去の台帳をこっそり確認していたのだ。
カシウスの専属護衛騎士としての契約年俸は、なんと「年給250金貨」。
前世の感覚で計算すると、エリート騎士様である。
ちなみに前世の私のOL時代の年収は、カシウスの足元にも及ばない。




