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商人は頭を抱え、あまりのなりふり構わなさすぎる姿に完全に毒気を抜かれたようだった。
彼はハァと深い溜息をつくと、乗りかけていた馬車のステップから降り、地面に突伏している私の前まで歩み寄ってきた。
「……ハァ。話だけは聞いてやる。立ち上がれ。……ただし、1分だけだ。1分以内に私を納得させてみろ」
「はいっ!!」
私は涙と鼻水を拭いながら、勢いよく跳ね起き、パンパンと服のホコリを払った。
「簡潔に申し上げます!」
私は凛とした(土下座直後の)表情で、商人の目をまっすぐに見つめた。
「あなたは今、一刻も早くこの時代遅れで非効率なルーメン王国を通り過ぎたいと思っています! それは同感です。しかし、この国の行政は前時代的で、手続きに無駄な時間がかかり、関税や検問で何日も無駄な足止めを喰らっている! 非常に不満でお困りですよね!?」
「……フン、事実だな。だがそれがどうした?」
「この国では、いまだに古い階級制度が根強く残っています! つまり――『貴族専用の特権通行証』があれば、すべての面倒な検問や行政手続きをスルーして、最優先で国境を通過できるのです!」
商人の目が、わずかに細くなった。
「……ほう。まあ確かに貴族専用の通行証があれば、この不毛な足止めから解放されるな。だが……さっきも言ったはずだぞ。私は賄賂や不正な手出しで通行権を得るつもりはない」
「賄賂ではありません! 正当な『取引』です!」
私は胸を張った。
「私があなたに提供するのは、ヴァレリウス伯爵家に正当に発行された、王室保証付きの『貴族専用・特命通行許可証』です! 偽物でも賄賂でもなく、本物の権利です! 私はこの許可証をあなたに譲渡します。その代わり……私に、エルフの美容液を売る『権利』をください! 当然、商品代金はしっかりとお支払いいたします!」
静寂が降り立った。
商人はあごに手を当て、じっと私を見つめた。
やがて――彼の唇の端が上がった。
「……なるほど。『売ってくれ』と懇願するのではなく、『売る権利と譲渡の取引』か。貴族らしからぬ令嬢だな。商人並みに目ざとい」
商人は懐から、ずっしりと重い羊皮紙のファイルを取り出すと、私の顔をまじまじと見た。
「いいだろう、乗った。賄賂を渡して信念を曲げるのは胸糞悪いが、互いの利益のための正当な『物物交換および売買契約』なら文句はない。……よし、その通行証を出せ」
「はいっ! こちらです!」
私はバッグから、ヴァレリウス家に代々伝わる(しかし屋敷を売った今となっては私にはただの紙くずである)王室保証付きの金文字が躍る通行許可証を取り出し、商人に手渡した。
商人はそれを検分し、偽造防止の魔法印を確認すると、満足そうに頷いた。
「よし、本物だな。これがあれば今日中にこの国を出られる。感謝する」
「いえいえ! それで、美容液は……!?」
私は目を輝かせて身を乗り出した。
商人はニヤリと笑うと、馬車の奥から一つの厳重な木箱を取り出してきた。
「さて、取引成立だ。だが商品代金はきっちりいただくぞ。このヴェルディス・ティル・ナ大帝国製・最高級エルフの秘薬。本来の販売価格は、一瓶金貨500だ」
「ご、ご、ごひゃく……!?」
私は目玉が飛び飛び出るかと思った。
金貨500枚!? いくら2000金貨以上持っているとはいえ、一瓶に500金貨は流石に財布のHPが削られる!!
「あのっ……! もう少し……もう少し容量が少なくていいので、安くしていただけませんか……!?」
私が悲鳴を上げると、商人は「はあ……本当に貴族じゃないみたいだな」と呆れたように肩をすくめた。
「まあいい。お前のおかげで数日間の滞在費と時間が浮いたんだ。特別に……これならどうだ?」
商人が木箱の隅から取り出したのは、親指ほどの大きさしかない、小さなクリスタル製の小瓶だった。
「これは『試供品』だ。容量は少ないが、中の成分は本物だ。……これなら、金貨100枚で手を打ってやる」
金貨100枚!
それだって平民の数年分の生活費に相当する超・高額だが、今の私には払える! 試供品で十分! まずは効果を試したいのだから!
「買います!! 100金貨で買います!!」
私はバッグから、昨日換金した金貨100枚が入ったズッシリと重い革袋を取り出し、商人に手渡した。
商人は手際よく金貨の枚数を確認すると、満足そうに革袋を懐へと収めた。そして、クリスタルの小瓶を私に手渡してくれた。
「毎度ありだ」
「あ、あの……これ、早速今ここで使ってみてもいいですか?」
私が尋ねると、商人は「当然だろう。お前の買い取った物だ」と不思議そうに首を傾げた。
「よし……ついに手に入れたわ、本物の魔法美容液……!」
私は震える手で、クリスタル瓶の小さなコルク栓を抜いた。
ぽんっ。
栓が抜けた瞬間、周囲の空気が一変した。
甘く、濃厚で、どこか神秘的なラズベリーの極上の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐったのだ。
私は指先に、とろりとした透明な液体をほんの数滴垂らした。
そして、おそるおそる、自分のカサカサの頬と、ブツブツが気になるお肌に丁寧に塗り広げていった。
ぬりぬり……。
「……ん? ……あ、あたたかい……?」
塗った瞬間、肌の表面がポカポカと心地よい温かさに包まれた。
まるで、春の温かい陽だまりの中に顔をうずめているような感覚だ。
そして――劇的な変化が訪れた。
「え……? 嘘……嘘でしょ!?」
塗った場所から順番に、カサカサだった皮膚がみるみる水分を吸収し、吸い付くようなモチモチの質感に変わっていく!
それだけではない。顔全体を覆っていた赤いブツブツや不快なできものが、まるで魔法のようにスッ……と薄くなり、消滅していくのだ!
肌のくすみが消え去り、内側から発光するような透明感と、赤子のようなツヤが蘇ってくる!
「すごぁぁぁぁぁいっっ!! なにこれぇぇぇぇぇっ!?」
私は自分の頬を撫で回しながら悲鳴を上げた。
前世のどんな高級デパコスでもあり得ない、文字通りの「劇的・超進化」である! 手触りが完全に「剥きたてのゆで卵」なのだ!!
「それがエルフの『若返りの秘薬』だ。細胞を活性化させ、傷や不純物を完全に浄化する。……もっとも、私はそれを『肌に直接塗って使う奴』を初めて見たがな」
「……へ?」
私は歓喜のダンスを踊りかけた姿勢のまま、固まった。
「……どういうことですか……?」
商人は馬車のドアを開け、不思議そうに私を見下ろした。
「どういうことも何も、それは本来、飲むための『霊薬』だ。体内に取り込んで細胞を若返らせるもの。それを皮膚に直接塗りたくる奴がどこにいる」
「……ええええええええっっっ!? 飲むやつだったのーーー!?」
「本来の使い方とは違うんだ、何か変な副作用とかあっても知らんぞ。それを決めるのはお前だ」
商人は不敵に笑うと、馬車のドアをバタンと閉めた。
御者台のオートマトンが鞭を振るうと、4体の真鍮オートマトンがガシャン、ガシャンと規則正しい足音を立てて、それぞれが馬車の四隅の屋根のラックを片手で掴み、ランニングボード乗りで、立ったまま乗り込んでいく。
ガラガラガラガラ……!
豪華な馬車と機械兵たちは、夕闇が迫る街道を走り去っていった。
取り残された私は、親指サイズの小瓶を手に、ポカーンと口を開けて立っていた。
「……飲むやつだったんだ……。でも……でも!!」
私は自分の頬に触れた。
前世のお風呂上がりのように、ツルッツル、モチッモチである。
あんなにしつこかった吹き出物が消え去り、生まれたてのような美肌がそこには存在していた。
「……結果オーライよね!! 全然問題なし!!」
副作用? 知るかそんなもの! 今の私は生まれたてのゆで卵肌を手に入れたのだ!
前世でも「効果が高すぎるコスメ」とかあったし、似たようなものだ。
「ふふっ……ふふふふふっ♪ 勝ち組よ……私はついに美肌を手に入れたのよーっ♪」
極上のラズベリーの香りを漂わせながら、私はルンルン気分で鼻歌を歌い始めた。
……と、そこでふと、周囲が急速に暗くなっていることに気づいた。
街灯にぽつぽつと明かりが灯り始めている。空はすっかり濃い紫色の夕闇に包まれていた。
「……あっ」
冷や汗が流れた。
教会の時計塔を見ると、もう夜の6時を回っている。
朝、部屋を出る時に残してきたメモの記憶が蘇る。
『今日は私のお買い物だから、カシウスは一日お部屋でゆっくり休んでいてちょうだい』
(やばい……! 買い物が長引くだけじゃなくて、土下座して秘薬を買って塗ったくりまくってたら、こんな時間になっちゃった……!)
カシウスのことだ。私が夕方になっても戻らないとなれば、どれほど心配して街中を捜し回っていることか!
「帰らなきゃ! 急いで帰らなきゃカシウスに怒られるーーーっ!」
私はツルツルのゆで卵肌を輝かせながら、買い込んだ革バッグを抱え直し、夕闇の王都の街道を新居に向かって全力疾走で駆け出したのだった。




