52:セルキーと漁師1
レテウス様が許可を取ってくれたお陰で堂々とこのタイカン湖を使えているクレェター、夏を迎えた今では小高い丘の上に小屋を立ててもらい、助手という名目の子供二人を伴って仕事が出来ている。
レテウス様が言うには今は研究だから今年に関しては牡蠣が大漁かどうかは気にしていないらしい。
気にしなくて良いのだが、どうやら気にしているのは俺達だけじゃない…
ちょくちょく近隣の住民が見に来るのだ。
声を掛けてくれれば許可は取っているし話すのだが、そこまで近づいては来ない所為で居心地の悪さを感じていた。
「おお~い!」
ヨゾ様がやってきた…馬で。
「ほらこれ」
馬を降りたヨゾ様から手渡されたのは陶器の瓶、こんなものは頼んだ覚えはねぇんですが…、蓋を抜いて香りを嗅げば
「酒ですかい?」
「ああ、我が村で作ったベリー酒だ、これを湖を見に来る者の交渉に使えとのことだ。言っておくがお前が呑む用ではないからな」
「ヨゾの旦那…俺達入植組にそんな余裕有りませんて、それに今まさに稚貝の定着で忙しいんでさぁ酒なんか飲んでちっけぇ稚貝を見逃すなんてみっともねぇ真似出来ませんです。」
「いい心がけだレテウス様もお喜びになるだろう。だからこそ近隣の者との揉め事には気をつけろよ」
「勿論でさぁ、ところでその馬はどうしたんでさぁ?」
「ああ、こいつか?こいつは俺の愛馬ルアブレアだ」
「赤毛に流星ですか、これは勇ましい」
馬の顔を見れば白い毛が額に稲妻のように走っている
「そうだろう。デイヴィッド様から拝領仕った愛馬よ」
「支族長様からでごぜえやすか!」
「今後レテウス様の行動範囲は大きくなる。そのための愛馬を用意していただけたのだ」
「それはおめでとうございます。馬もですがそれは正式な配下になれたということでございますね。重ね重ねおめでとうございます。」
立身出世…夢物語として聞いたことはあってもこんな場面、田舎生まれの自分には関係ぇねえと思っていたが自分より年下の青年が堂々と胸を張っているのを見るのは良いもんだ、クレェターの胸も踊った。
「では、小屋の方へ」
「ああ」
小屋の中にはレテウス様がお作りになったという大きな蝋板、これのお陰で大雑把にだが湖全体を把握できる。
小高い丘の上に小屋が有るのは少々難儀であるが、湖を一望出来るという利点も捨てがてぇ。
蝋板には既に十箇所以上ピンが刺さっているがそれは牡蠣殻を撒いた場所、タイカン湖は川の水と海の水が混じり合ううえに潮の満ち引きがある、これを毎日に観察して稚貝の定着を確認するのだ。
ここを任された頃から始めてずっとこのタイカン湖とにらめっこを続けたクレェターは今では潮が引いてもどこに水が残り湖のどこが塩分が濃くてどこが薄いかまで判るようになり、満ち引きに合わせ観察出来るほどまで知識を積んでいた。
赤いピンが刺さる蝋板を見たヨゾが
「これって…遂に着いたのか!」
「ヨゾ様、その通りです。」
「早くレテウス様に報告を!」
「お待ちくだせえ。報告をするのは構いやせんが、まだ数が少ない事は必ずお伝えください。」
「何故だ?着床したのであろう。それなら」
「レテウス様が言ったことを思い出してくだせぇ。あの方はこの湖でどう育つかどこが良く育つかです。」
「なるほど、第一報も喜ばしいがレテウス様の知りたいこととは些かずれるな。」
「そうでやす。あまり喜びすぎるとレテウス様に怒られっちまうかも知れやせんからね。しっかりこの蝋板の情報を書いて行かれる方がええ。」
「確かにその通りだ」
ヨゾ様はそう言って笑うと自分用の蝋板に文字を書き込んだ。
「この一報でレテウス様も来るかもしれん。引き続き観察を頼むぞ。」
「任せてくだせえ。」
村へと帰るヨゾ様を見送って仕事に戻る、と言っても今日の見回りはもう終わっている。さて何をしたものか…そんな事を考え湖を見下ろしていると
「誰だあれ?」
海側の砂浜に誰か居る、よく見ると湖側にももう一人居るがどうにも動きが怪しい。まるで海側の人間から隠れるように動いている。
割と近くに助手の子供たちも居て嫌な予感がした。
「厄介事はごめんなんだがなぁ…」
そう呟いてクレェターは丘を降り始める。
湖側にいたのは男だった。話したことはないが何度か見たことが有る、領主様には許可を頂いたといっても地元の人間には気に入らないこともあるだろう。クレェターは貰ったばかりの酒瓶を片手に男に近づいてい行く。
「おい旦那!そんなところで何してるんだ?」
クレェターは出来る限り男を刺激しないように声を掛けたのだが
「誰だてめぇ!」
声は大きくないが怒気を孕んだ返事が帰ってきた。
「まあまあ、うちはこの湖を借りてるもんで揉め事は控えてぇだけなんです。ほらこの酒持って帰ってくれりゃあ何も」
「うるせえ!おめえには関係ねぇすっこんでろ」
どうやらこの男、湖の件とは関係ないのか?酒もいらねぇとは変わった男だ。
「ところでおめえさん、その手に持ってるのは何だ?何かの皮見てぇだが」
男が短剣を抜く
「いやいや、待っとくんなくれ。俺は何も」
問答無用とはこの事、男が短剣を振り回すが使い慣れてないのか、かする気配もない。自分が何故襲われているのかも知らぬクレェターも段々腹が立ってきて…
パカン
大きく空振ってがら空きの男の頭に酒瓶が振り下ろされた。
「あちゃぁ、貰ったばっかりだってのによぉ勿体ねぇ。」
それもこれもこの男が暴れたせいだ、クレェターは眼の前で伸びた男を仕方なく縄で縛る。
「この縄だって仕事用で無駄に出来ねえんだぞ、まったく」
「悪いがこの男に襲われたと伝えに言ってくれるか?」
「判ったけどおっちゃん何したんだ?」
「さっぱり分からん」
幾ら男が悪いと言っても何も伝えなければどうなるのか判ったもんじゃない。揉め事を見ていたであろう子供たちにレテウス様への使いを頼む。
何の皮だこりゃあ?男の傍らに落ちている皮を持ち上げる。軽くもないが見た目ほど重くもない、不思議な皮だ。
「返して」
いきなりの声にギョッとしたが、考えてみればもう一人いた事をクレェターは思い出した。振り返ると、こりゃまたべっぴんな女
「この皮はおめえさんのか?」
「そう」
べっぴんさんなのに、ずいぶんとおっかない顔でこっちを見ている。
「俺じゃねえぞ、この男が取ったんだ。ほらよ、あんまり不用心にしちゃなんねえぞ」
クレェターは皮についた砂を払って女に渡す。
「貴方はこの皮を持っていったりしないの?」
「あんたのなんだろ?違うのか?」
「私の…」
「じゃあ、返すのが筋ってもんだろ」
べっぴんだが変な女だ、あまり近付かない方が良さそうだ
「俺はこの男を引き渡さねぇといけねえがあんたは早く帰ったほうが良い。めんどくさくなるからな。」
女は暫くは呆然としていたが、気がつくといつの間にか居なくなっていた。




