上映前.迷宮入り
ビネガーシンドロームは負の感情を媒体にして、キャラクターに寄生する。
そうして物語を破壊しようと、宿主の力を限界以上に引き出し、心を暗く染め上げる。
時代劇の町人。
アメコミのヒーロー。
バトルが主軸の世界のキャラクターに寄生すれば、恐ろしい戦闘能力を発揮する。
後者なんかは現実世界との境界が破壊されかけた。
それを経験しても私は断言出来る。
ビネガーシンドロームの厄介さな点は、戦闘能力を引き上げる事じゃない。
── 映画の"ジャンルに適応"する事だ。
『クソッ、これで何人目だよ!』
『すぐにこの車両を封鎖しろ。誰も移動出来ないようにだ!』
『あぁ、神様……!』
ヨーロッパを横断する寝台列車。
リゾートホテルも顔負けの、華やかさと落ち着きの混ざった空間には、乗客たちのざわめきが広がっていた。
私はそれを横目に、隣の女性へ声をかける。
「す、すみません……。
今なんて言ったのか聞き違えてしまったみたいで、もう一度言ってもらえるとありがたいなぁ〜〜、って」
「現実逃避をしている場合では無いよ。シアウ君」
薄暗いベージュのトレンチコートに同じ色の帽子。
如何に探偵です。と主張する服装をまとう妙齢の女性。
目立たない色の服とは違い。
目を引く程にスタイルも顔も整っており、色鮮やかな紫髪が揺れている。
このミステリー映画の「主人公役」だ。
「曲がりなりにも探偵をしている身だ。
それがこんな事を言わされるなんて、とても癪なのだがね」
何が起きても動じない気怠げな表情が、私の横で現場を見据える。
どんな謎も明かしてきた彼女の口から出たのは。
「──すまない、この事件は迷宮入りだ」
異常事態への降伏宣言だった。




