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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第二部一章:スーノス地区編

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【第九十五話 色欲の残滓】

 ラティファが、机上の飲みかけのブランデーを飲み干した。

 彼女の生傷が目立つ額には、汗が伝っている。

 自身の拍動が、カレンにとっては何よりも喧しかった。


 新たな予言に記された、ロニアと茨の劇団の男。

 恐らく、今頃――。


 カレンの不吉な逡巡を確かめるように、遠吠えが響いた。門の前からだった。

 カレンが窓から見下ろすと、狼族の女がいた。

 アマクサが駆け寄っている。

 

 こうしてはいられない。

 カレンが、窓から身を投げ出した。


「なっ、おい!?」


「わーお。ヨハネちゃんビックリ」


 落下の向かい風に、髪が弄ばれられる。

 衣服がなびき、まるで帆のようだった。


 落下の瞬間、カレンは人差し指を立てて静かに唱える。


「【緑魔法:衝撃(クェイク)】」


 ドムッという音とともに、空気の破裂が足元で発生する。

 それが緩衝材となり、カレンはそのまま着地が可能となったのだ。


「はぁっ……はぁっ……! あなたは!?」


「い、いやいや……。あんた大丈夫なのか!? すごい派手に飛び降りたけど……」


「それはいいんです。なにがあったんです!?」


 カレンの疑問を代弁するように、アマクサが眉間に皺を寄せながら言った。


「ヴォルコフという村に、例の男が現れたでござる。ロニア様とロムレス殿が交戦中とのこと……」


 あの予言の通りだった。

 カレンは、門を越えようと試みた。

 しかし、彼女の脚はアマクサにより掴まれる。


「離してください! 私、ロニアくんのために行かなきゃ!」


「そう焦るでない、カレン嬢」


「そうなのですよ、カレン! ロニアくんなら、きっと大丈夫なのです!」


「それに、変に人員が増えたところで何かが変わるわけではあるまい。拙者の経験上、足手纏いになるだけでござる」


 カレンは、交戦経験に乏しいわけではない。

 それどころか、何度も大罪を相手取って勝利を収めている。

 頭の中で、過去の戦闘が蘇る。


 アスモディウスとの戦いにおいては、トドメをカレンがさした。

 どれも、ロニアによるサポートがあった。

 

 今のロニアは、ただでさえ天使の力を意図的に封じている。

 その状況でカレンが向かえば、彼の意識が散ってしまうだろう。

 カレンは俯き、唇を噛みしめながら降りた。


「……それじゃ。私の仕事は済んだ」


 狼族の女が、フードを被って踵を返す。

 しかし、その瞬間。

 

「済んじゃいねェよッ!」


 頭上から、女性の雷のような怒号が聞こえた。

 見上げると、炎の蛾を思わせるような翼が広がっていた。

 カレンが探知の青魔法を使用すると、そこにあったのは真っ黒な魔力に満ちている。


 炎の蛾が飛び降り、狼族の女を蹴り飛ばした。

 鈍い音が響き、彼女は樹木の幹に叩きつけられる。


「ルパ殿!」


 アマクサが叫び、目を開いた。

 空色の瞳孔は揺れている。

 ひとっ飛びで門を飛び越え、炎の蛾を斬りつける。


 「っぶねぇなァ!」


 アマクサが狼女に駆け寄る。

 狼女は立ち上がり、雑木林の中に消えた。


「して。お主は一体何者ぞ」


「テメエに用はねぇよ」


 翼越しに見えたのは、ほのかに焼けた小麦色の肌と腰まで伸びた赤髪。

 その表情は、鬼気迫るものだった。

 その女は、カレンを強く睨みつける。


 思わず――息が止まった。


「ようやく見つけたぞ。よくもアスモを……!」


「アスモって、アスモディウス!?」


「それ以外に何があるんだよ!」


 焔の翼の毛先が、まるでヒトの指のように伸びる。

 カレンを追いすがるも、マチィナの剣杖が薙ぎ払った。


「あなたは、アスモディウスとどんな関係なのです!? あいつは、私のママに泥を塗った悪いやつなのです!」


「ンなこたあ知るかよ! オレは……アイツが地獄(あっち)で眠る姿を見て、めちゃくちゃに頭に来てんだ! アスモとは、智天使の時からの親友なんだよ……。もうひとりのオレなんだよ!」


 まるで泣き叫ぶような慟哭。

 再び、焔が広がった。


 カレンが、青魔法:結び目の道(アーク・ノドゥス)で白銀の杖を取り出す。


「あなたは、何者なの!」


 カレンが、杖先を女に向けた。


 アマクサが、刀を構える。

 引き金に手を引きながら、腰を落としていた。


「アスモの、ずぅっと長い友達なんだ。オレは。だから、アイツがルシフェルに着いていくって言った時も、何も言わずに後を追った」


「はあ? いったい何を……」


「アイツはオレの唯一だったんだ! 心の拠り所だったアスモを、堕天使ベレトからよくも奪いやがったな!」


 ベレトが、回転しながらカレンに襲い掛かる。

 対象は、カレンだけ。アスモディウスの命を、一度奪ったカレンへ。


 瞬間。アマクサが跳ぶ。


「出番でござる。刃天煉(バテレン)よ」


 アマクサがカレンの前に出た刹那、白い斬撃と彼女の残像が七回現れた。

 しかしカレンの目には、アマクサの繰り出した斬撃は一度だけに映っていた。


 ベレトの回転が逸れ、門を溶かす。

 翼が解れ、燃え上がるような髪が雪を融かす。

 ベレトが、ギリリと奥歯を噛み締める音が、カレンにまで聞こえてくるようだった。


「お主の境遇がなんであれ。拙者の使命はひとつ也」


 ロンド家をお守りすること。

 アマクサはそう言って、刀の引き金を再び引いた。

 揺らめくアマクサの残像。それは実体を持っていた。


「邪魔しやがって。なら、テメエも丸ごと焼き付くしてやるよォ!」


 狂乱にも似た叫び。

 ベレトが地に倒れ伏し、獣のように四つん這いになった。

 燃える尾が揺れ、空間を管楽器の音色が震わせる。


 そのまま、カレンに向けて突進する。

 構えるカレン。肉体の魔力を、杖に向けて流し込む。

 

 しかし、カレンに振りかぶる寸前だった。

 ベレトは角度を大きく曲げ、身体を起こしながらマチィナへと突進する。


「マチィナ!」


「死ね」


「そうはいかないのです!」


 剣杖のレバーを下ろすマチィナ。

 剣先が引っ込み、無機質な杭が顔を出す。

 プシュウと、水性エーテルの蒸気が杖から噴射され、シリンダーが高速回転を始めた。


 エーテルの甘い匂いと、焼き焦がす灰の臭いが充満する。


 突進するベレト。

 彼女の鼻先がマチィナに触れた瞬間――


「今なのです!」


 マチィナ。振り下ろす。

 杭がベレトの腹に触れ、押し込まれた。


 ズガァンッ!

 激烈な水蒸気爆発。


「やったでござるか?」


「いや、まだ魔力反応があります!」


 蒸気の霧が晴れる。

 ベレトの影が映っていた。

 彼女の腹部には風穴が空き、青い血が滴っている。


 けれど、ベレトの眼光には生気が満ちていた。

 口元から流れる青い粘つく血液を、唾のように吐き出す。


 彼女の濁った黄金の瞳が、紅く燃え上がる。

 炎が肉体を包み、グチャりと音を立てながら、なんと患部を再生したのだ。


「終わらねぇ。アスモの無念を晴らすまでは、オレは死ねねぇ」


「うっ……カレン……私、もう力が出ないのですぅ……!」


 地に膝をつき、項垂れるマチィナ。

 再び、マチィナへと歩み寄るベレト。


「いかんっ!」


 アマクサが動く。

 姿勢を落とし、勢いのまま雪の上を滑る。

 炎刃のような手刀を放つベレトを、アマクサの刃天煉が防いだ。


「おいおいこんなモンかぁ!? オレのアスモは、こんなヤツらにやられるほどヤワじゃねぇぞ!」


 足元に広がる、燃え盛る黒い魔方陣。

 それが、ベレトに覆い被さる。


 ベレトが指を鳴らすと、世界の音が止まった。

 色が反転し、息が詰まった。


「契葉逆門。澱は『アスモディウス』」


 【エラー。黒魔法:色欲の名のもとに、愛と怒りに悶えよ】


 視界が暗転した。


 再び光が戻ると、カレンは再び、()()光景を目にした。

 アスモディウスの閨。むせ返るような、溶けた砂糖と蜜の混ざった甘ったるい臭い。

 肌にべとつく、汗のような感覚。


 カレンたちの目の前には、アスモディウスの装束に身を包んだ、ベレトがいた。

 かつてアスモディウスと相対したように、彼女は閨の奥で腰を落としていた。

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