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【第百十話 処置をするには……】

 並べられた干し草の俵。触れられ、揺さぶられ。

 それらが動くたびに、獣臭さに交じって甘い香りが漂う。

 俵に寝かされた若い狼は、ロニアの顔を見て青ざめていた。


「あ、あのよ! それって……」


「ん? ああ、簡易的な光刃だよ」


 ロニアの右手では、彼の頭髪と同じような色を持つ光の刃が、白銀の杖から伸びていた。

 光の周囲では空間が揺らめき、ひらりと舞い落ちる雪が音もなく蒸発する。

 

 ロニアの背後で、ルパが毛布を携えながらやってきた。

 乱雑にそれを広げ、彼女は雄狼に投げつける。

 彼女に連れられ、空き地のスペースを使わせてもらっているのだ。


「痛いのは一瞬みたいだ! これでも齧って、痛みを誤魔化してな!」


「んな無茶なあ! 姐さん、どうにかならねぇんすか!?」


「後で死ぬか、痛ぇの我慢するか、どっちだい!」


「ヒィ! 痛いの大好きぃ!」


 自分を見失っているなと、ロニアは苦笑する。

 赤魔法による鑑定は続いたまま。魔力の消耗は、あってないようなもの。

 彼の衣服をほどき、密林のような体毛をかき分ける。

 地獄、そして暴食のエーテルが、かかってこいと言わんばかりに点滅している。


「さてと、じゃあ執刀。奥歯噛み締めてよ」


 つぷり。刃が、繊維を断つ音。

 肉というのは思ったよりも柔らかく、わずかな力だけでも沈んでいく。

 雄狼が、毛布を噛み千切らんとする勢いで暴れまわっている。

 ロニアの肩を掴み、両脚を暴れさせていた。


「あぁもう。暴れないでよ、変なとこ切っちゃうから!」


 声は出ない。いや、出させない。

 彼の口は、ルパの大きな右手が抑えていた。


 人を来させないのはもちろん、この件でロンド家に往診を訊ねるような真似をされるのは面倒だ。

 ローラことサタンには医学の心得がないだろうし、ヴァレンティノスは過労死するだろう。

 なにより、両者ともかぶりを振るのが見え透いていた。


 腹を開く。

 胃袋に、やはり燃えるようなエーテルがいた。

 外周をなぞるように、刃を入れる。


 だが、やはり地獄のエーテル。

 刃が患部に達すると、(ツタ)のような赤い触手を伸ばしたのだ。

 ロニアは思わず目を大きく見開き、一歩下がりながらそれらを焼き切った。


「……びっくりした」


 心臓が思わず高鳴る。

 恐怖由来のものではない。まるで、外出先に思わず知り合いと鉢合わせてしまったのと同じような感覚だった。

 名状しがたい不快感を覚えながら、ロニアはひとつ、息を吐く。


「なんだ、今の」


「地獄のエーテルが変異したもの、なのかな」


 確証はないが、おおむねそんなものだろう。

 人型砕獣(ネフィリム)が、模倣の果てに知性を得るのと同じようなものだ。


「とりあえず、続けるよ。ここを切り取って、あとは白魔法で治すだけ」


 ロニアは深呼吸をして、再び患部に向き直る。

 刃を走らせ、肉片を掴む。それは抵抗のためか、細い触手をゆらゆらと伸ばしていた。

 ロニアがそれを空に投げ、左手を突き上げる。


「おい、【あれを燃やせ】」


 大気中に漂う火属性の精霊。エーテルの持ち主に呼びかけ、肉片を指し示す。

 すると、瞬きする間にもそれは灰となって落ちて行った。

 

 あまり見せたくはなかったが、状況が状況だ。

 熱で血管を焼灼し、出血量を抑えてはいるものの、体に負荷はかかっている。

 彼のためにも、素早く済ませたかったのだ。


(あと、さっさと帰りたい)


「仕上げだ。【白魔法:回帰(キュア)】」


 従来の回復魔法とは違う、物体を「そうと決められたもの」へと戻す魔法。

 天使にしか使えない魔法なのだが、ルパのような狼の氏族にはどうせバレない。

 ロニアはそうタカをくくりながら、額に伝う汗をぬぐった。


 白の魔方陣が、患部を包み込む。

 肉が、高速で成長していくように、切除する前の形へと戻っていく。

 もちろん、地獄のエーテルはない。


 いつの間にか気絶していた雄狼は、息を吹き返したかのように飛び起きる。

 まさぐるように腹部に触れ、尻尾を揺らす。

 息は荒く、ロニアへ向き合った際には彼の頬を生温かい風が撫でた。


「俺、助かったんすか!?」


「そんなとこだよ。よかったね」


「あんがとな、ロニア。ったく、今度から変な奴についていくんじゃねぇぞ!」


 ルパが、彼を睨みつけながら肘でわき腹を突く。

 めでたしとは、しかし言えなかった。


 少年ロニア・ロンドが持つ生まれつきのカンの良さか、それとも堕天使ロニアという出自なのか。

 彼の肌がビリビリと震え、喧しいほどの警鐘が脳内で鳴り響いていた。


  ─────────◇─────────


 はじめに、硝煙が燻った。

 次に、ツンと突き刺すような悪臭が走った。それは、酸だった。

 蠅と化したプルマの口内から伸びるもうひとつの口腔から吐き出されたのだ。

 

 ロムレスの表情は、冷たくなっている。

 狩人が、獲物を冷徹に捉える瞳だ。

 か細く息を吐けば、白い煙が空に昇る。


 懐に忍ばせてあった、一発目の弾丸。

 まさぐれば、残り弾数は七発。長年のカンがそう伝えていた。

 指先で弾き、落ちてくる弾を(クロスボウ)に滑らせる。


 銃口を向け、鈍色が日光に煌めく。

 同時に、ロムレスの紅の瞳が唸る。


 刹那、音が消える。


 雪が、波となってロムレスに襲い掛かる。

 狼蠅の姿がくらみ、しかし足元に影があった。

 

 ロムレスは、雪波へと駆ける。

 獲物を前に、逃げ出す狩人がどこにいようか。

 頬をかすめる雪の塊。ふと、瞳を細める。


 背後。ドサッという重い音。

 同時に、振り返って引き金を引く。


 パンッ。


 雪の波に、小さな穴が開く。

 第一の魔弾が、放たれた。


「まずは喰らいやがれ。おアツイのをな」


「アアァアアァアァァァア!」


 白い霧が晴れると、狼蠅の右複眼に焦げ跡がついている。


 致命傷、とまではいかないが、それでも弱らせたはずだ。

 残る魔弾は、六つ。


「チッ。残り()()だってのによ」


 ロムレスが瞳を細め、舌打ちを響かせる。

 まるでそれに呼ばれたように、駆け寄る小さな影があった。

 雲のように透き通る毛髪、紅の瞳。


 ロニアだった。


「おじさん!」


「おお、ちょうどいいな。プルマちゃんは見ての通りだ」


 ロニアが、握ったままの杖を向ける。

 雄狼の胃袋にあったように、赤黒いエーテルが炎のように狼蠅を包んでいた。


「……まったく、ついてくるんじゃなかった」


 ロニアが忌々しそうに、眉間へと皺を寄せる。

 最初はただ面倒だった。けれど、短時間ではあったが、あんなにも快活な女の子が。

 いまや、醜い蠅になっている。


 記憶の奥底にあったもの。

 帽子の影からニヤつくベルゼブブの顔を、ロニアは思い出した。

 ベイリアルすらも、ベルゼブブの手中にあったのか?

 

 そう考えると、どうしようもなく苛立ちが沸き上がる。

 何が目的か。快楽のため。喰らうため。


 プルマという少女は、最後まで尊厳を踏みにじられた。

 だからせめて。

 痛くないように。

 

 ロニアは、深く息を吸う。

 走ってきたばかりなので、喉と肺がにわかに痛む。

 

「ロニア坊。俺は、お前に手を汚してほしくねえ」


「いきなり何言ってんの。ボクは元天使だよ。何人も、裁きを加えてきた。この前だって、ボクはヒトを殺した」


 ロニアは、怒りのあまり脱獄犯クロウルを殺害したのだ。

 それも、ミカエルの力を無理やり行使して。


「天使ロニアはな。けどよ、それってお前が望んでたことか?」


「お父様の命に従ってた。それだけだよ」


 ロニアが喉元のチョーカーに手を触れる。


「今はもう関係ねえ。人間になりてえなら、その手を汚すな」


 ロムレス、二発目の弾を装填。

 引き金を引く。火花が飛ぶ。

 眩むような黄色の弾丸。


「大人しく痺れてな。後で脳天ぶち抜いてやるからよ」

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