【第百八話 お疲れ様っス!】
「こんちゃッス! 姐さんから話は聞いてるッス!」
「すげぇ……。マジでいい匂いする……! ちょっと舐めてもいいッスか!?」
「良いワケないでしょ!?」
集落の傍ら。民家と民家の間にある、少し開けた小さな広場。
根雪がこんもりと盛り上がり、若い芽が腕だけを出してくたびれている。
ロニアは眉を顰め、欣喜雀躍する狼たちから距離を取ろうとしていた。
ルパに連れられ、ロニアはルパのナワバリに足を踏み入れた途端にこれだ。
彼らにも入浴という習性はないのだろう。ロニアの鼻腔に、刺激的な臭いがツンと刺さった。
髪色と同じように、彼らにも多種多様な毛色があった。
ルパが夜空を思わせるような紺色とすれば、子分狼たちは橙色だったり、黄金色など。
どことなく、ニンゲンのそれよりも鮮やかに見えた。
スーノス地区で、白毛赤目というのはロンド家だけなのだろうか、とロニアはふと疑問に感じた。
ルシフェルやミカエル、そしてサタン。魂の設計が、彼らに似通っているロンド家以外に、その特徴を持つ人物を見たことがなかったからだ。
よしんば、誰かに操作された天使の記憶の中であったとしても。
この特徴こそ、自身のルーツに迫る最大のピースだ。
だが、動くのはメンドクサイ。ロニアはそう結論付けて、狼たちの猛攻をしのいでいた。
「お前たち、ロニアに手ぇ出すんじゃないよ! 【お座り】ッ!」
「「ハィィイ!」」
その場にへたり込む、二人の雄狼たち。
ルパの圧は、まるで空気をビリビリと震わせる雷鳴がごとく。
庇護対象のロニアであっても、思わず座ってしまいそうだった。
「……さて、正直に来てくれたのはありがたいね、ロニア」
「まあ、けが人だからね、一応。ホントは今すぐに帰りたいけど、ロムレスおじさんが今出てるから」
「そう冷たくすんなって。お前に、手伝ってほしいことがあるんだ」
「ボクに? この人たちとちょっと会うだけじゃダメなの?」
ロニアは隠すこともせず、口元を歪め、眉間に皺を寄せた。
【手伝う】。例外的だが、ロニアの嫌う言葉のひとつでもある。
カレンやセスに対しては、嫌がりつつもそつなくこなす。
しかし、その他の人物に対しては拒否の姿勢を取るのだ。
アリスなどの友人には、逡巡の末に脳内でコインを回すことになるが。
「ああ。むしろ、本当にそんな理由だったらこいつらから来させるよ。お前にしかできないと思ってな。ロムレスから聞いたが、お前、クリスタリアの学校ではトップなんだって?」
「う~ん、そうだね。あんまり自慢することじゃないけどさ」
生き物が歩くように、空の雲が進むように。
ロニアにとっては、あらゆる学問が当然でしかなかった。
なにせ、自分の正体が学者たちの研究対象そのものなのだから。
「なら、魔力鑑定には詳しいだろ?」
「かもしれないね。その道のプロフェッショナルには敵わないかもだけど」
実際のところ、そんなことはない。
クリスタリアにて、ネフィリムの襲撃事件があった少し後。
学院に、院長イザラムの発足した対策本部の鑑定団が訪れた。
精度は見事と言わざるを得なかったが、全てにおいて表面だけを捉えていたのだ。
本来なら、深部に眠る本来の姿こそが重要なのだが。
しかし、相手はあくまでニンゲンだ。無理強いはしない。
「じゃあ、こいつらを診てくれ」
ルパはそう言って、尖った口先を座り込んでいる若狼たちに向ける。
彼らも、まさか自分が矢面に立たされるとは思っていなかったのか、互いに顔を見合わせながら目を丸くしていた。
確か、ヴォルコフからもベイリアルに洗脳された狼たちがいたとか。
「なるほどね。このヒト……。ヒトでいいの?」
「狼人だ。ヒトでいい」
ロニアは頷いた。
「このヒトたちが本物かどうか、ボクに見てほしいってことね」
「そういうこった。やっぱ賢い子だな。ますます好きになっちまうよ」
琥珀色の瞳を細めるルパ。
蠱惑的に笑っているが、鋭い眼光があった。
どこからか、冷えた風が差す。
昔なら、冷徹に圧を返していたところだろう。
だが、自分はカレンに絆された。今は、なんとなく受け流すだけだ。
狙われたところで、自分をカレンに捧げるだけだ。
「ちょ、姐さん! 俺たちを疑うんすか!?」
「そうっすよ! 俺たちはどう見ても潔白っす!」
次々に声を上げる、ふたりの狼。
狼というには、その様があまりにも情けなかった。
瞳を潤わせ、耳はぺたんと垂れさがっていた。
喉の奥で絞られたような「クゥ~ン」という音も響く。
小型犬ほどよく吠える。それも、甲高い声で。
「黙りな! だいたい、あんな胡散臭い男についていくのが間違いなんだよ!」
再び、ルパからカミナリが迸る。
威圧感が幻視させていた雷鳴が、まるで本当に現れたかのようだ。
雷魔法の使い手かと、ロニアは苦笑交じりに思った。
「クリスタリアで発生した、ネフィリム事件。こっちにまで広がってるかもしんねえから、心配なのさ」
瞳を細め、耳を曲げて呟くルパ。
確かに、あれを皮切りに学園の空気が一変していたような気がする。
賑やかさの裏に、誰しもが焦りに近い何かを覚えていたのだ。
「んじゃ、いっちょやるかあ。ルパさん、後で報酬は貰うからね」
「……そのがめつさはロムレスに似ているな」
ロニアは、懐から白銀の杖を取り出す。
ロンド家と、カレンのフランカ家の家紋が刻まれた、特注の杖だ。
陽光を受けて、キラリと光る。
まったく、久しぶりの魔法だ。
「【赤魔法:銀が映し出す真実よ】」
赤の魔方陣が、小さな杖の先端から投射される。
それは空間に浮かび上がり、座りこむ狼たちを通過する。
眩しさに彼らが目を覆っていた。
「どうだ?」
「待って。解析には時間がかかるから。はあ……まったく。ルーン文字じゃなくて公用語で浮かび上がればいいのに」
ため息がひとつ。
ロニアは、片目を閉じながら魔方陣を眺めていた。
象形文字のような何かが、魔方陣に刻まれる。
魔法とは切っても切り離せない、ルーン文字である。
毛皮を含めた皮膚面。異常なし。この寒さで、右側の雄狼は乾燥気味と。
次に、内臓。狼の氏族であっても、人間と同じように鍛臓は存在する。
これがあるならば、彼らにだって魔法は使えるだろう。
上半身から下半身にかけて、ゆっくりと観察を続けるロニア。
ふと、左の彼に違和感があった。
「ん……? これは……」
燃え上がる、赤黒い炎。
地獄のエーテルが、かすかに胃袋で燃え盛っていたのだった。




