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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第二部二章:新生地獄王編

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【第百一話 腹が減っては何も出来ぬ】

 その日、ロニアは珍しく早起きだった。というよりも、肩の痛みで目が覚めたのだ。

 一週間前の襲撃で負傷し、ヴァレンティノスの治療を受けたとしても、痛みはどうにも引かなかった。

 

 目が覚めて両脇を見渡しても、男たちはまだ眠っている。

 ロムレスはイビキを上げ、ヴァレンティノスはまるで死んでいるように寝息を立てている。

 カレンやセスから見た自分はこうもだらしないのかと思うと、顔が熱くなった。


 ロムレスらを起こさぬよう、ロニアはゆっくりとベッドから降りる。

 窓を開けると、ロニアは急激な輝度の変化により思わず目を閉じた。

 眼球をぎゅうぎゅうと押し込むような痛みだ。


 今日のスーノス地区は、晴れ晴れとしている。

 いつもはくすんだ空模様で、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていたというのに。

 

 窓枠に飛んできた羽毛の多い鳥の(つがい)が、餌を口移しで運んでいる。

 鳥たちの広げられた灰色の翼には、白い羽が混ざっていた。


 ロニアはその様子を、片手で頬杖を突きながら眺めていた。

 微笑みが零れ、ロニアの赤眼が細められる。

 どうも、その様が愛おしかった。


 いつものロニアならば気にも留めないだろうが、こうして生きるために雄と雌が分け与えるというのは、どこか自分たちを見ているようだったからだ。


「オオワタリバト、ですか。珍しいですね、この時期に」


 ロニアは、背後に立つ男の気配に気づくことができなかった。

 夢中になりすぎたのだ。

 その、不意に聞こえた腹の底まで響くような低い声に、ロニアは飛び上がる。


「ぎょわぁっ!」


 オオワタリバトの番も、それに驚き飛び去って行った。


「ああ、行っちゃった……」


「すみません、驚かせてしまいましたね」


 ロニアが口を窄めながら背後の男を見上げる。

 ヴァレンティノスが、寝癖を整えながらロニアを見下ろしていた。

 眼鏡を身に着けていないため、あまり馴染みのない様相だった。


 バスローブのような衣服に身を包んでおり、研究者というよりも富豪に見える。


「しかし、随分と早起きですね、ロニア様。いつもはローラが鍋を片手に起こしに行くというのに」


「それが、まだ肩の痛みが治まらなくって。傷は塞がったんだけどねっ――いてて!」


 右肩を動かそうとすれば、巨大な釘で穿たれた感覚が走る。

 冷汗が滲み、ロニアは息を吐きながらゆっくりと肩を戻す。

 

「まあ、お大事としか言いようがありません。私も手はつくしましたから」


 ヴァレンティノスがドレッサーに近づき、引き出しを開く。

 小瓶を取り出し、ふたを開ける。彼は、それを首元へと近づけた。

 シュッという音と共に、甘い香りが広がる。


「なに、それ?」


コロン(香水)でございます。ローラにこっぴどく叱られましてね。『風呂に入る気がないなら、せめてその悪臭を隠してください』と。当主命令なので逆らえませんが。とほほ」


 二度、それを振りかけた。


「……なんか、キモチワルイ」


 ロニアが眉をひそめて怪訝な表情を浮かべる。


「じきに慣れます。しかし、研究室から大浴場は遠すぎるんですよ。兄から何か言ってやれませんか? 『小浴場を作ってくれ』と」


「え~? なんでボクが……。ヤダよメンドクサイ」


「ではずっと気持ち悪いままですね」


 ヴァレンティノスが鏡に向き直す。

 ロムレスのいびきは、さらに大きくなっていくばかりだ。

 時計を見ると、もうすぐで八時半を回るというのに。


 ロニアの腹の虫が、ぐぅうと空腹を訴えてきた。

 ロニアは、スリッパを履いて部屋の外へ出ることにした。


 広いくせに、フランカ家のような賑やかさはない。むしろ、廊下が一種の空洞のようにも見えた。

 フランカ家では、常に数人を超える使用人とすれ違うのだ。

 この大陸で、五本指に入るほど裕福な家系と比べるのも変な話だが。


 ロニアは欠伸交じりに、窓の光が差す廊下を闊歩する。

 深紅のカーペットは、ロニアの体重でもわずかに沈むほどに柔らかかった。

 

 しばらく歩いていると、ロニアは黒髪のスレンダーな女性と出会った。

 彼の養母、セス・アダマンティアだ。


「おはよ。母さん」

 

 彼女は、窓から外を眺めていたが、ロニアに気づくと二度見をして、瞳を大きく見開いた。


「……ボクが早起きするの、そんなに珍しい?」


「犬は空を飛ばないだろ?」


「え、そんなに? 生物レベルで不可能だって思われてたの?」


 セスは「冗談だ」と笑い飛ばしたものの、ロニアは軽く彼女の脚を小突いた。


「いて、いてて。やめなさいロニア。怪我してるんだから、安静にしていなさい」


「ふん。みんなして珍しがるんだから。ヴァレンおじさんも、母さんも」


「まあ、ヴァレンさんはさておきな。私から見ても、今までのお前からは考えられない行動だぞ?」


 怠惰。これだけで、ロニア・ロンドという存在を説明できる。

 寝床こそが聖域であり、彼の睡眠を妨げた者には手痛い報復が待っているという。


「肩が痛いせいで、ちゃんと眠れなかったんだと思う。あ、ちゃんと八時間は寝たからね!?」


 怠惰と言えば、夜更かしのイメージがあるだろう。

 しかし、ことロニアに対してはそうでなかった。

 

 夜というのは、どれほど眠っても叱られない時間帯なのだ。

 とどのつまり、ロニアの時間と言ってもいい。


「ならよし。寝る子は育つからな」


「じゃあなんでボクはチビのままなの?」


「はは、不思議なことがあるものだ」


 セスが、ロニアの頭を優しく撫でた。

 彼女に拾われた時から変わらない、母親の温もりがあった。

 ロニアが背伸びをする。「んっ」という声を上げながら、ロニアは目を閉じた。


「……甘えるのは良いが、それはカレンの為にとっておけよ?」


「時々、母さんも恋しくなるの」


「お前なあ。はあ、お前はこんなにも強いのに、私に対しては子供のままだ」


「引き取ってくれたのなんて、四年とちょっとじゃん」


 ロニアが瞳を開け、抱擁感溢れる柔らかな笑みを浮かべるセスを見上げた。

 すると、セスはしゃがみ込み、ロニアの腰に手を回す。

 なんと、ロニアの脚は床から離れた。


「わぁ!?」


「あのな、ロニア。母親である私にとって、お前と過ごした時間は永遠のようなものなんだぞ。それに、私から見ればお前はまだ子供だ。どれだけ天使であろうとな」


 抱き上げられたロニアは、なんだか面映ゆくなり、セスから目線を逸らした。

 天使ロニアはもちろん、ロニア・ロンドという肉体だって、自立してもおかしくない年齢だ。


 そのとき、腹の虫が「まだかまだか」と鳴き始めた。

 がらんどうの廊下に響き渡り、セスとロニアは目を丸くしていた。

 ふたりの視線が混じりあい、吹き出す音で沈黙が砕かれる。


「そうか、そうだな。朝ごはんでも食べようか」


「……うん。ボク、お肉がいいな」


「はいはい。アマクサさんに買い出しはしてもらったから、たんまりあるぞ」


 死闘の末、穏やかな日々が戻ってきた。

 まだまだ、スーノス地区でやることは残っている。

 クリスタリアの男子寮に戻れるのは、きっとまだ先だろう。


 ロニアはそう思いながら、朝食を心待ちにするのだった。

次回から、毎週水曜日更新とさせていただきます。

ご了承くださいませm(_ _)m

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