ep.15『兄者』⑪
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脳を駆けめぐった情景、その末に凄之の心に残ったのは、ダフマァの遺言であった。
乳首を失った後悔は凄まじいものであったが、凄之はそれを持ち前の精神力で乗り越えた。
振り返ってみればむしろ、この犠牲によって以前よりも遙かに強靱な精神を手に入れたという実感すらあった。
しかし今、ヴォルガーとの決着をつけてあの遺言が脳裏に浮かんできた、その意味は。
凄之の深層心理は、一体何故今になってあの言葉を浮かび上がらせたのか。
(もしやダフマァが言いたかったのは……乳首の話ではないのか?)
どうしても、ヴォルガーの遺体に視線が向かってしまう。
お互い戦士として、戦いの果てに命を落とすことはとうの昔に覚悟している。
ヴォルガーの覚悟が生半可なものでないことは、未熟な時代を導いた凄之にとって実感の伴う事実だ。
それが何故、ダフマァの言葉を思い出してしまったのか。
戦いを終え、冷えた思考で逡巡を繰り返す凄之。
その視線の先にあるヴォルガーの遺体が……突然、光を放った。
「!?」
全くの予想外、推測すらできない事態であった。
莫大な魔力を肉体と技の強化につぎ込んできたヴォルガーには、生前ですら自らの体を発光させるような芸当はできなかったはずだ。
それが何故、死んだ後にこのような現象が起こるのか?
凄之が混乱しているうちにヴォルガーの体を包む光は止み……
ブチッ
という、何かが引き千切れる音が響いた。
そして、息を引き取ったはずのヴォルガーは、目を覚ました。
最期に凄之が潰した胸をはじめ、全身に無数の傷を受けていたはずのヴォルガーの体は、綺麗に癒えていた。
外観だけではない。内側の傷すらも万全に回復しているという事実が、観察しているだけの凄之にも把握できるほどであった。
静かに起きあがったヴォルガーは、引き千切れた黒いチョーカーを首から手に取り、そしてじっと見つめた。
「……ラピアさんが、護ってくれたらしい」
「……そのチョーカーは、魔道具であったか」
ヴォルガーは千切れたチョーカーをそっとしまうと、凄之に向き合う。
「兄者、第二ラウンドだ」
そして、拳を構える。
「一方的に状態を整えて戦いを挑むのは、格闘家としては恥ずべきことかもしれない……だが、俺の求める勝利は、俺だけのものではないのだ」
「……そうか。それが、お前の答えか」
ヴォルガーに相対する凄之、その表情は不思議と穏やかであった。
二人の間で、ゴングが鳴った。
先に仕掛けたのは、ヴォルガーだ。
先手を譲ったのは、凄之の思惑ではない。
戦いを終え、一度精神の冷えた凄之。敗北と地続きの精神状態で蘇ったヴォルガー。
その精神性の違いが、必然的に初手を仕掛けるスピードの差を生んだのだ。
「らぁぁぁッッッ!!!」
薙払うようなヴォルガーの蹴撃が凄之を捉える。
「ッッ!!!」
凄之は腕による防御でダメージを軽減する。が、それでも凄まじい威力に吹き飛ばされた。
凄之の中でスイッチが入ったのは、この攻撃を受け止めたその瞬間であった。
明らかに遅い立ち上がりである。
しかし、一度立ち上がった以上、一方的に攻撃を受けることもない。
土煙をあげてブレーキをかける凄之。そこに襲い来るヴォルガーの拳を、凄之は的確に拳で受け止めた。
ドォォォォン
第一ラウンド同様、ぶつかり合った拳と拳の間には凄まじい衝撃波が発生する。
そして再び、互いのパワー・スピードを比べる拳の応酬が始まる。
「「アアアァァァァァァァァァッッッッッ!!!!」」
韋駄天の速さでぶつかり合う拳と拳。
お互いの動きを見切り合った衝突は無限に続くかに見えるが、実態はやはり有限だ。
力量の高い方が、攻撃を通す権利を得る。
「らぁぁッッッ!!!」
通したのは、やはり凄之の方であった。
力比べを制した凄之の拳が、ヴォルガーの顔面に迫り来る。
ヴォルガーの肉体は今まさに、万全の状態にある。SSS級ヒーラーたるラピアが10年以上をかけて完成させた魔道具はヴォルガーの傷と疲労を徹底的に癒し、文字通り生まれ変わったかのような快調をヴォルガーにもたらした。
それでも尚、第一ラウンドの傷を引きずっている凄之の方が、ヴォルガーの力量を上回っている。
接近する拳を目の当たりにして、その事実をヴォルガーは明確に自覚した。
自らを上回るパワー・スピードで迫り来る拳を回避することは不可能だと確信した。
不可避の攻撃をヴォルガーは……額で受け止めた。
「!!??」




