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ep.15『兄者』⑨

 戦いを終えた凄之の脳裏に、一つの光景が流れていく。

 流れていくのを、凄之は止められなかった。

 それを引き起こした感情は、何なのか。

 凄之の脳を流れるのは、彼が魔王軍に下った時の情景である。


 彼が魔王軍を訪れた時の本心は、有り体に言えば自暴自棄であった。

 いくら調べても、今の人類に寿命を格段に伸ばすような魔術は存在していなかった。

 特に、ナディやリッケの書いた書物は徹底的に読み漁った。「寿命を延ばす方法はない」という結論が懇切丁寧に解説されている書物だ。

 二人は人間より遙かに長い寿命を持つエルフであり、片や治癒魔法の創始者、片や不死鳥研究の第一人者……自分のように長命を望む者から延命をせがまれた経験はうんざりするほどあったに違いない、という背景も推測ができた。

 残された希望は異世界からの侵略者である魔族だったが、しかしそれは希望というより願望というべきものであった。

 魔王軍ならば人類の到達していない技術を持っているかもしれない、という単純な推測があるのみであった。

 第一、仮にそのような技術があったとして、凄之に施す理由も無いだろう。

 それでも凄之は、一縷の望みにかけて魔王の城を目指した。

 望みが叶わないのであれば、老いさらばえる前に異界の強者と死合を重ねて命を燃やし尽くすのも悪くない。

 むしろ、その可能性の方が高いだろうと考えていた。


 しかし現実には、魔王城周辺を守る魔族にも凄之に敵う者は無く、大勢を屠った末に面会の叶った魔王は、凄之の言い分をあっさりと飲み込んだ。


***


「なるほど……魔族になれるなら人間を裏切る、という決意は本物のようだね」


 キルデイルは、凄之の姿を写した鏡を見ながらうんざりした気持ちを隠そうともせずに言う。

 凄之が写されている鏡は、嘘をつけば鏡面の揺らぐ魔道具だ。

 波紋の一つも起こらずありのままの情景を反射しているあたり、凄之の言葉は本心らしい。

 そうなると、この先の展開は予想がついた。

 魔王城周辺を守っていた魔族を殺し尽くして実力は折り紙付き、長寿と引き替えに人類を裏切るという宣誓も本心。

 となれば、魔王アゥリマはこの男の入軍を認めるに違いない。

 味方を大量に殺したこの男を? という当然の疑問は、あの魔王には通用しない。

 実力が高いこと、こちらを裏切らないこと。

 あの魔王が基準にするのはその二点だけだ。

 (つぶさ)に言えば、『裏切らないこと』は重視しているが『信頼』と呼べるものは皆無。

 だから、このような得体の知れない人間でも魔道具による保証さえあれば、『秩の魔王』との戦いで共に勝利を収めた自分達と同等に扱ってしまう。

 ……しかし、本人の性格と資質は強固に結びついているものだ。

 魔王アゥリマはこのような性格だからこそ魔界で最強の名をほしいままにした。『万橡の泉』を奪って魔界の寿命を延ばすには最強の魔王に従う他なかった。

 実に厄介な話である。


 そして、キルデイルにとって遺憾な事実はこれだけでは終わらなかった。


「君の求めている、魔族になる技術だけどね……まぁ、一応あるんだよ。他でもない、僕が開発した魔術がね」


 動物を魔物にする実験は、前々から繰り返していた。ある程度の結果も出していた。

 そして、凄之ほど体力・魔力の充実した人間であれば同じ実験に耐えられるだろうという目算もついていた。

 キルデイルは、自身の研究に対する熱意を後悔した。


「ただまぁ、まだまだ研究の途上だからね。精々寿命が格段に延びるくらいで、お手軽パワーアップみたいなことはできないんだ。ガッカリしたかい?」

「いや、むしろそれこそが我の求めていた魔術だ」


 キルデイルは、鏡面に揺らぎのないことにガッカリさせられた。

 いずれにせよ、キルデイルとしてはこの人間を信頼することはできない。

 心変わりに備えていくつか対応策を握っておきたいところであった。

 例えば、魔族から再び人間に戻す術を自分が備えておくのは必須だろう。

 そして、今は交渉において自分が有利な立場にある。これを活かして、情報を引き出しておく必要も当然ある。


「君がこっちの条件に納得してくれたのはいいとして、こちらからも条件は提示させてもらうよ」

「なんだ?」

「君の弱点を教えてほしい。寝返った人間を受け入れるのだから、当然の権利だろう?」


 キルデイルの訴えに、凄之は特段不服そうな様子もなく、黙って考え込む。


「念のために言っておくけど、心臓を潰されたら死ぬとか頭部を壊されたら死ぬとかそういう話じゃあないよ。こっちが調べてもわからないような情報を出してもらわないとねぇ」

「そうだな……やはり我の弱点といえば、乳首が弱いことに尽きるだろう」


 鏡面に揺らぎはない。

 しかし、キルデイルは言葉の意味を計りかねた。


「乳首が、弱い……? いまいちわからないんだけど、人間は全員乳首が弱いものなのかい?」

「いや……我は人間の中でも取り分けて乳首が弱い。長年の乳首開発による賜物だ」

「乳首開発……? ということはつまり、自分でわざと弱くした、ということになるのかい……?」

「うむ、その通りだ」

「なんでそんな……あっ、自ら弱点を作ることで格闘家として精神を鍛えるみたいな、そういうことか」

「いや……純粋に気持ちいいから開発してきた。(すこぶ)る気持ちがいいのだ」

「??? よくわからないんだけれど……それは人間の間ではメジャーな行動なのかな?」

「長年世間と離れて修行を続けてきた故、この世界でどれだけの人間が乳首を開発しているのかはわからぬ。だが、我と同じ開天流最後の門下生は、その全員が乳首を開発して敏感になっている」

「なんで?????」


 とにもかくにも、キルデイルは凄之に対して二枚のカードを握った。

 人間に戻す方法と、乳首が弱いという情報。

 そしてキルデイルは、いざという時に凄之に対処できるよう、格闘家としての高い実力・反比例するように敏感で弱々しい乳首を兼ね備えたサンプルを求めた。

 その研究が凄之に対して活かされる機会は、(つい)ぞ訪れなかったのだが。

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