ep.15『兄者』⑧
肝心のボディを防御しているとはいえ、ヴォルガーの連撃は確実に凄之の体にダメージを蓄積した。
しかし、腕でボディを守っている以上、近い。
ヴォルガーの拳と、凄之の拳。
「!!??」
連撃を叩き込んでいる、僅かな刹那。
ヴォルガーの優位は一気に崩された。
両の拳が、凄之によって掴まれていたのだ。
ヴォルガーはこれから逃れようとするが、凄之の金剛力はヴォルガーの拳を放さない。
と……思いきや、拳はあっさりと放された。
逃れようと力んでいたヴォルガーは、突然の解放によって必然バランスを崩す。
崩れたところに、凄之の拳は襲いかかった。
「ハァァッッ!!!」
「ぐぁ……ッッッ!!!」
凄之の拳は、ヴォルガーの顔面へと真っ直ぐにぶち込まれる。
脳を揺さぶる衝撃……それは、ヴォルガーにとって初めて味わう重みであった。
修業時代に散々繰り返した組み手であっても、ヴォルガーが凄之に殴られたことは皆無であった。
他の門下生の誰一人として……
「……とうとう拳を使ったな、兄者ァッ!!!」
人体の構造上、脚の持つ膂力は腕のそれを凌駕する。
凄之には拘りがある。
脚による攻撃の方が高い威力を出せる以上、無闇に拳を使うのは無駄、という思想。
脚力による効率的な破壊……それが凄之のスタイルであった。
明らかに技の幅を狭めるこの判断は、しかし凄之の才能をもってすれば合理的であった。
ありとあらゆる相手が、凄之の脚力のみに薙ぎ倒されていった。
ヴォルガーの知る限り、例外は唯一人。
師である、開天盤古その人だけだった。
「……」
この指摘に、凄之の動揺は無い。
凄之は冷静に判断しただけだ。
足技のみでヴォルガーに勝利することは不可能である、と。
「ハァァッッ!!」
「らぁぁッッ!!」
ヴォルガーと凄之、二人の繰り出した拳が真正面からぶつかり合う。
ドンッ、という重低音こそは、拳と拳の間に生じた衝撃波の音であった。
「「アアアァァァァァァァァァッッッッッ!!!!」」
雄叫びをあげて拳をぶつけ合う二人の男。
腕を振るう両者のスピードは韋駄天。ここにオーディエンスがいれば、二人の腕が消えてしまったように見えたことだろう。
いや、そもそも拳と拳の間に生まれる衝撃波で見続けることすら叶わないに違いない。
純粋なパワーとスピードのぶつかり合い、その明暗を分けるものは、やはり純粋な力量の差でしかない。
怒濤のように続いた応酬は、頬を撃ち抜く鈍い音で終わった。
ヴォルガーの拳は、凄之の拳に凌駕されてしまった。
体勢を立て直す余裕も無いまま、ヴォルガーの顔面を雨霰のように拳が襲いかかる。
「ぐぁぁッッッッ!!!!」
思わず倒れそうになる体をぐっと踏みとどまらせるヴォルガーだが、反撃に転じる前に別の衝撃に再び崩れる。
ヴォルガーの頭に、斧の如く振り下ろされたのは凄之の脚であった。
徹底的に体勢を崩し、自らの有利を崩さぬための踵落としだ。
ヴォルガーは悟る。今、ここから立ち上がるのは不可能だと。
ヴォルガーは、倒れた。
振り下ろされた脚、その衝撃に従って……あえて、前に倒れた。
必然、接近する。
振り下ろされた脚とは反対側の、凄之の左脚に。
「ッッ!!!」
接近した後の畳みかけは素早い。
凄之が一本の脚で大地に立つこの好機に、掬うように瞬く間にバランスを崩す。そして、自らの脚を絡ませる。
腕で足首を固定し、脚で腿を固定し……膝関節を逆方向に折り曲げようと間接技を極めあげた。
「ぐぅぅぅ……ッッ!!」
オリハルコンより堅い、SSS級格闘家の骨だ。
そうそう折れるはずもないが、ただで放すわけにはいかない。
少しでも骨に、筋に、ダメージを残すべく組み付く。
「ふん……ッッ!!!」
凄之はヴォルガーを飛ばすように脚を跳ね上げた。
正確には、全身をバネの様に跳ね上げた。
それは、攻撃ではない。あくまでも、ヴォルガーを自分から突き放すための行動であった。
ヴォルガ―もこの反撃で、絡み続けることの限界を悟る。
動作に身を任せて、宙を舞い、凄之から離れる。
密着していた二人の距離が、リセットされた。
着地したヴォルガーは、確かに凄之から十分な距離を取れている。
無理に自分を引き剝がした凄之の体勢は決して万全ではない。
ここから反撃開始だ。今度こそ自分のペースに持ち込もう。
その決意で拳を構え、凄之を見据えたヴォルガーだったが、
ふ……とその姿勢が、少しだけ崩れた。
攻撃を受けたのではない。ただ、着地して拳を整えただけだ。
それなのに、その程度の衝撃でヴォルガーの頭は俄に眩んだ。
ふらりとなったのはほんの一瞬。
だが、その一瞬でヴォルガーは実感した。
この戦いで、自分の体がどれだけダメージを受けたのか。
相対する凄之もまた立ち上がっているが、決して自分のように眩むことはない。
言い訳の利かない差が、そこには存在した。
「隙を見せたな、ヴォルガー」
その声が耳に届いたその時、凄之の暴力はヴォルガーの眼前まで迫っていた。
真っ直ぐに、地面と平行に迫り来る凄之の右足。
弓から放たれた矢のように描かれる美しい直線。
「天之逆鉾」
文字通りの、必殺技だ。
そう言い切れるのは、凄之のこの技を食らって生き残った魔物をヴォルガーは見たことがないからだ。
必ず殺す技、だからだ。
しかし、その威力の高さの分、対応の隙も大きい。
そのはずだが、ヴォルガーの対応は間に合わなかった。
受けるにも、避けるにも、ヴォルガーは遅すぎた。
ふらりと眩んだその瞬間に、ヴォルガーはチャンスを失っていたのだ。
それを悟ったのは、凄之の足裏がヴォルガーの鳩尾を踏みつけた後である。
凄之の蹴撃は、矢が刺さるような鋭さでは終わらない。
高所から落ちた人間が大地に引きずり込まれるように、この技で殺される者は重力を味わう。錯覚する。
まるで、背後の壁に強烈な引力が発生したかのような……そんな抗えない力を覚えるのだ。
ヴォルガーもまた、壁に『落ちた』
「ガァ……ッッ……!!」
ヴォルガーの『落下』した壁はひび割れ、凹む。
しかしそれよりも明らかに深刻なのが、技を受けたヴォルガーの胸だ。
脚の形に、胸がつぶれた。
骨も内蔵も、誰が見ても致命傷を負ったと確信できる形に、潰されていた。
紅い血と共に息を吐き出したヴォルガー、その声は最早声にもならぬ有様であった。
ヴォルガーの致命傷を、与えた凄之は生々しく実感する。
潰れた胸から足を放し、静かに大地に降り立つ。
命尽きる寸前の弟弟子を、ただ見据える。
しかしヴォルガーは最早、目の前にいる凄之の姿すら曖昧になっていた。
最期の最期の瞬間に、彼の目に浮かぶ影があった。
「ラピア……さん……」
声を絞り出すようにそう呼ぶと、ヴォルガーは確かに事切れた。
「……まさかお前に、名前を呼ぶような女がいたとはな」
凄之はただ、静かに踵を返した。




