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ep.15『兄者』⑥

***


 御年120を超えた開天盤古は、強大な魔族・魔物と命のやり取りをするだけの体力をとうに失っていた。

 それでも尚、弟子達は師匠である盤古を最強の格闘家として敬っていた。

 かつて最強だった、という話ではなく、現役の最強として。

 何故なら、判定によって勝敗を決める試合においては、若く血気盛んな弟子の誰もが盤古には敵わなかったからだ。

 相手の攻撃を見極め、避け、隙を読み、自分の攻撃を叩き込む。

 盤古は体力の衰えとは無関係な程の短時間で、正確に『一本』を取って勝ち続けた。

 もっとも、屈強な門下生達に肉体的ダメージを与えるほどの威力は無い。これが試合ではなく命がけの戦いであれば、盤古の攻撃を耐えきって体力の落ちたところに反撃……という形で弟子達は勝利できたに違いない。

 しかし、武の道を極めようとする高い志を持った門下生が、そのような理屈で納得できるはずもない。

 試合という枠の中で、きっちりと師匠を超える……それが、門下生にとって共通の目標であった。


 結局、その目標を成し遂げたのは凄之ただ一人であった。

 盤古のコンディションも万全で、試合を左右するようなアクシデントもなく、誰がどう考えても『凄之の実力が、盤古を超えた』と判断せざるを得ない完璧な勝利であった。

 試合を見守っていた門下生達は、この結果に大いに沸き立った。

 そして誰より、敗北した盤古が自らのことのように喜んだ。凄之を称えた。

 かつて幾度となく世界を救った英雄・開天盤古の力を受け継ぎ、超えた……その先にある開天流の明るい未来を想像し、誰もが希望に胸を膨らませた。

 ただ一人、凄之を除いて。


 勝利を掴んだ彼が手に入れたのは、あまりにも大きすぎる虚しさであった。

 直接師匠を超えた凄之は、手に取るようにわかってしまった。

 老いて尚、健在だった師・開天盤古。

 試合という形式であれば未だ最強と思われていたその男が、どれだけ衰えているのか。

 殺し合いでなければ問題ない、という話ではなかった。

 動きが遅い。反射が鈍い。技にキレが無い。

 超えた視点から見下ろした師匠は、紛れもなく『老人』であった。

 もしも自分が戦ったのが、一世紀前の――勇者パーティの一員として魔王軍と戦っていた頃の師匠であれば、自分のような若造では敵わなかったはずだ。

 師匠の若い頃、その実態を知らない凄之だったが、知らないからこそ憧憬は膨らむ一方。

 武の道を極めたとしても、人間である以上行き着く先は『老い』以外にあり得ない……そう悟った彼の反動は大きかった。

 しかし、平素より無口・無表情な凄之だ。その心境は、誰にも想像ができなかった。


 自分も凄之に続くぞ、と決意を新たに血潮を燃やす門下生の中で、凄之ただ一人が心に虚無を抱えていた。

 修行でくたくたになったはずの夜でも、なかなか寝付くことができなかった。

 同じ大広間で、666人の門下生が布団を並べて眠っていても、凄之は孤独だった。

 闇夜で心中の虚無に向き合っていると、胸の鼓動がやけにうるさく感じる。

 意識すると鼓動は、早さを増した。

 鼓動の早さが増すということは、老いに近づくということに他ならない。

 こうして進む距離が僅かなものであっても、この時の凄之は心を乱された。

 自らの鼓動を鎮めるように、いつしか凄之は胸に手を当てて眠るのが癖になっていた。

 毎晩毎晩、厚い胸板を掌で覆っていると、そのうち気がつく。


 ――指が乳首に当たるとき、ちょっとくすぐったくて()いな、ということに。


 そのうち凄之は、進んで乳首を弄ぶようになった。

 乳首のくすぐったさが()い間だけは、老いへの恐怖を忘れることができた。

 弄べば弄ぶほど乳首の()さは増していき……まるで新たな土地(フロンティア)を拓くような清々しさが凄之の胸中を健やかにしてくれた。


「んっ♡ んぉ……っ♡ お゛ぉっ……♡♡」


 周りで寝ている同期の門下生が『こいつ最近……大丈夫か? でもなんか、指摘するのも怖いな……』と思い始めた頃、凄之は決心する。

 こんな気持ちいいこと……みんなにも教えてあげなくっチャ!!!

 そしてある日、凄之は就寝前の門下生を集めて乳首開発の()さを伝え、情熱に燃える門下生達は尊敬する一番弟子のアドバイスを素直に受け入れ、快楽の波は瞬く間に道場を埋め尽くした!!!


「「「「「お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ お゛ぉっ♡♡ んお゛ぉぉっっっ♡♡♡ お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ お゛ぉっ♡♡ お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ んお゛ぉっ♡ お゛っ♡♡ お゛ぉっ♡♡ お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ お゛っ♡♡ んお゛ぉっ♡ お゛っ♡♡ お゛ぉっ♡♡ んお゛ぉぉぉぉっっっっっ♡♡♡」」」」」


***


「我は魔王軍に下ることで、人間よりも遙かに長い魔族の寿命を手に入れた。100年、200年程度では衰えぬ肉体だ」

「そんなもの!!! 魂を売る価値があるものか!!!」

「……交渉の余地は無し、か」


 凄之はヴォルガーに向き合い、見据える。

 その虹彩は、実の兄同然に慕っていたヴォルガーですら初めて見る歪みを持っていた。

 ――凄之から命を奪われる者だけに、見える瞳孔であった。

 ヴォルガーは、これに立ち向かわねばならない。

 魔王軍を退け、人類を守るためには避けることのできない戦いである。

 しかし、ヴォルガーはその決意に踏み出すことができず、訴えかける。


「頼む兄者……戻ってきてくれ!! 例え魔族になろうと、人類のために……」

「ならぬ。七沌将の一人として勇者達を迎え撃つことこそが、我が魔族でいるための条件だ。何より……」


 胸のうちの苦しさを堪えるように目を伏せながら、凄之は上半身を包む黒いタンクトップ、その胸部を両手で掴んだ。

 そして、そのまま引き千切り、破いた。

 凄之の腕力であれば子供の紙遊びよりも容易く切れるはずの布切れが、妙に重々しく破かれた。

 しかし、黒い布の下に隠されていたものを見て、ヴォルガーは悟る。

 この衣服を破いて、自らを曝け出すその意味を。

 凄之の胸の中心には、黒い宝石のようなものがはめ込まれていた。

 一部の魔族にとっては心臓同等の機能を果たす器官――核だ。

 それは、凄之が人間をやめたという事実を決定的に裏付けていた。

 しかし、ヴォルガーにとって真に衝撃的だったのは核ではない。

 衝撃的だったのは胸の真ん中にあったそれよりむしろ、雄々しく厚い二峰の盛り上がり、そこに……


「……乳首が、無い!?」


 そう、そこにあるはずの、桃色の乳首が存在しないのだ。

 門下生の誰より先に乳首の()さに気づいた兄者に、何故(なにゆえ)乳首が無いのか。

 おかしいではないか、人間であれば必ず……と考え始めた途端に、ヴォルガーは気づいてしまった。

 自らの知識にある、揺るぎのない魔族の実態。


『魔族は様々な姿を持つが、その生態は未だ謎に包まれている。蛇のようであってもは虫類ではなく、人のようであってもほ乳類ではない』


 ……そう、魔族になった以上、ほ乳類をやめた以上、凄之に乳首があろうはずがないのだ。

 乳首は、子供に乳をやり育てる生物の特権なのだから。


「――我は、もう戻れぬ。戻るには、失ったものが大きすぎる」


 そう語る凄之の瞳は、嘆きも悲しみも飲み込んだ男の決意に満ちていた。

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