乳の日
今日は月に一度の乳の日。沢山の兄弟達が湖の周りに集まっています。
そんな中にんげんと犬は、その中でも一際大きい、普段は山に居るという二番目の兄の所へ行っていました。
その巨大さは小さな山のようで大きな者が多い兄弟達の中でも突出しています。
茶色い毛並み、ただ頭の上に鋭く後方に角のように突き出した象牙色の耳だけは乳白色、そしてもこもこの体に似合わない竜のような爬虫類の翼、まあるい尻尾。
そんな兎竜の兄に聞きたいことがあったからです。
にんげんは犬に兎竜の傍で遠吠えを上げてもらうと、自分達の方を向いた兎竜に大声で聞きました。
「あのね!兎竜の兄さん!この集まりって兄さんが考えたんだよね!なんで考えたの!?」と。
そう、月に一度のこの乳の日、生まれた日もばらばらなら本来乳を飲みたくなる日もばらばらなはずの怪物達が、なぜ一部の例外を除いて同じ満月の夜の日に集まるのか。
にんげんはそれが不思議でした。勿論お母さんにも聞きましたが、誰がこの日を考えたのかは教えてくれても、理由は教えてくれませんでした。
だから今、精一杯声を張り上げて、声を拾ってもらえるかも分からない相手に聞いているのです。
にんげんが声を上げてから少し、ゆっくりと兎竜の兄は動き始めました。
周囲の兄弟を潰さないように、じわりじわりと時間を掛けて。
空には、「動くぞ、動くぞ、潰されないように気をつけろ。」という大きな声がごぅんごぅんと響いています。
その姿に大きいのは大変だなぁと思いながらにんげんは待ちました。そしてついに頭だけでも犬の何十倍も大きい兎竜の兄がにんげん達の方を向いたのです。
そして、「さっきの声は犬だな。その後にも微かに何か聞こえたが良くわからなかった、地上に頭を近づけて耳を立てるからもう一度言ってくれ。」と大きく響く声で言って象牙色の角のような耳をぴんと立てました。
それを見てにんげんはもう一度先ほどと同じことを叫びました。すると兎竜の兄は彼としては囁くような声で、「その声はにんげんかな?はじめましてだな。とはいっても君が小さすぎて俺には見えないが。」と言いました。
にんげんもこれには「はじめまして!」と返し、「見えないの?」と大きな声を出します。
竜兎の兄は、「ああ、声はかろうじて聞こえるが姿は見えないな。まったく大きすぎるというのも考え物だ。」と言います。
それを聞いてにんげんはちょっと一番上の兄の話を思い出しました。
そうして「そっかー。大きいのも大変だね!」といいました。
それに対して兎竜の兄は、「何事もほどほどが一番だ。ほどほどがな。」と答えます。
それからようやく、「ところで、何故乳の日を考えたのか、だったな?」と本題に入ります。
にんげんは声を張り上げて、「うん!聞かせて兎竜の兄さん!」と答えを促します。
そうして兎竜の兄の昔話が始まったのです。
昔々太陽と月の入れ替わりが何万も繰り返されてきたほどの昔、お母さんは森と山に自由に暮らす子供達に囲まれて暮らしていた。
その時は一番上の兄も森を歩き、木々を押し倒し、数知れぬ動物達を押しつぶしていた。
しかしある日動物の言葉が解る一番上の兄の耳の中に森の小鳥の訴えが届く。
「貴方の歩いた跡は多くの動物達の死骸があります。私が巣を作っていた木も倒れ、折角妻が産んだ卵も落ちて砕けて散りました。どうか、どうか貴方には動かないで頂きたい。」
この言葉に驚いた兄は、色々な兄弟を産んで自分より小さくなっていたお母さんに聞いたんだ。
「小鳥の言葉は本当なのお母さん。」と。
お母さんは「優しい貴方には残酷な事だけれど、本当の事です。」と言った。
次の瞬間森に、山に、世界に、一番上の兄の鳴き声が響き渡った。当然森にいた小さな動物は皆ひっくり返って気絶した。中には驚きの余りその命を終えるものも居た。
そして一番上の兄はお母さんに問いかけた、「もう殺したくないよ。どうすればいいのお母さん。」その言葉にお母さんはそっと一番上の兄の堅い身体を撫でながら言った「森を出て山に連なるように伏せ、動かず、喋らず過ごしなさい。そこならば貴方はこの先何度太陽と月が何度入れ替わろうと貴方は何者も殺さずに生きてゆけるでしょう。」と。
そうしてお母さんが言った場所までも数他の命を潰しながら移動した一番上の兄はそこで山の一部になった。
そしてその後、お母さんはそこまで優しい自分の初めての息子に子守唄を歌うようになった。
昼夜問わず、動けない優しすぎる一番上の兄を慰めるように。
その体が乾き下半身の蛇の部分の鱗が剥がれ、髪が枯れ枝のようになっても歌い続けた。
さすがにこれは不味い、俺はその時そう思ったんだ。
お母さんは色々知っていて、何も食べずに過ごせる身体だが、この不思議な森の湖から出て幾千もの夜を超える事はできないようなのだ。
だから俺はなんとかお母さんが湖に戻りたくなる方策を考えた。
そこでお母さんの情に訴えようと思ったんだ。
森で皆に聞こえるように、「お母さん湖に戻すため満月の夜に皆、湖に集まってくれお願いだ!」と声を上げて。
お母さんには、「湖で大勢の兄弟が待っています。お母さん帰ってきてください。」とね。
それが乳の日の始まり。
最初は月に一度湖に戻るだけだったお母さんが、湖の周りに沢山の兄弟が集まるようになると、徐々にその居場所は湖に戻ってきた。
あるいは俺の知らない所で一番上の兄が、「僕はもう寂しくないから、お母さんは湖に戻って」とか言ったのかも知れない。
でも俺にはお母さんが湖に戻ってくれたという事しか解らない。
だからこの話はコレで終わりだ。解ったか?にんげん。
この話を聞き終わってにんげんはしばらくぼんやりしていました。
それでもゆっくりと、ゆっくりと頭を振ると言いました。
「一番上の兄さんも、兎竜のお兄さんも凄いんだね。お母さんの事とか考えてて。私、犬や皆に甘えてばっかりでだめだなぁ。」と。
兎竜はこれを聞いて空に向けて笑いました。その声は森中に響きます。
「にんげん、お前はそんな事気にするな。存分に甘えろ。普段自分勝手にそれぞれ過ごしている我々兄弟の中で甘えてくる存在は貴重だ。だから何も気にせず甘えるといい。んん、そうこう言っている間に翼狼の妹がお前を探している様だぞ。犬に遠吠えを上げてもらえ。さぁ、俺も乳を貰って山に帰る頃合だ。それではなにんげんよ、久しぶりに昔話ができてすっきりしたよ。」
そういうと兎竜の兄はお母さんの居る方へ泳いで行ってしまいました。それはゆっくりとした泳ぎでしたが、高波が起こって周囲は大騒ぎ。
そんな中にんげんを優しく咥えて岸辺から離れた犬が遠吠えを上げると、翼狼の姉がやってきました。
そしてぼんやりしているにんげんを見ると、「なあに?なにか悲しいことでもあったの?そんな時は一緒に飛びましょ、風が全部吹き飛ばしてくれるわ!」と言って空の旅へ誘いました。
にんげんは、なんともいえない胸のもやもやを何とかしたくて翼狼の姉の言葉に頷きました。
乳の日の少し悲しい成り立ちをにんげんが知った、そんなある乳の日でした。




