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失った力の行方・三

「……そんなに見つめて、どうしたの?」

 本に目を落としたままの千早夜に声をかけられて、依ははっと我に返った。

「い、いえ……あの……千早夜さんは……東京に来てから、占いのお仕事以外では、何をしていたんですか」

 ページをめくりかけていた千早夜の指が止まった。

 それから小さく息を吐いて、何事もなかったようにページをめくる。

「調べてた。……僕の力を戻す方法を」

「ここにある本を、全部読んだんですか」

「うん。読んだし、集めもした。ここ、もともとは一冊もなかったんだけど、気づいたら二年でこうなってた」

 依は、棚を埋める本と、床に積まれた本の山を見回した。

 本が一冊もなかった部屋が、二年でここまで埋まる。

 それだけの時間を、千早夜はずっと同じものを探すために使ってきたのだ。

「千早夜さんにとって、祓い屋に戻ることは……そのくらい、大事なことだったんですね」

「……うん」

 読んでいる本を閉じながら、千早夜は続ける。

「霊を祓うのは僕にとって、できるのが当たり前だったからね。それが突然できなくなったら、自分が何なのかわからなくなった」

 そう言って、千早夜は本で埋まった部屋を眺めた。

「自分を取り戻したかったんだと思う」

 九条が伝手をたどってまで探していたくらいだ。京都にいた頃の千早夜は、噂を聞いた人が一度は会ってみたいと思うほどの祓い屋だったのだろう。その力を失ったあと、本人はこうして二年も方法を探し続けていた。なのに周囲では、修行に出ているのだと、都合よく語られていた。

 それを千早夜は、どんな気持ちで聞いていたのだろう。

「……二年調べて、ひとつわかったことは……」

 千早夜は別の本を手に取り、薄く笑った。

「僕の力は、たぶんもう戻らないんだろうってこと」

 口元にはかすかな笑みがあるのに、その黒に近い茶色の瞳は、驚くほど静かに凪いでいた。

 その目を見た瞬間、依はようやく、初めて会った日に見た千早夜の瞳の意味を理解した。

 あのとき、暖炉の前に立っていた千早夜は、遠くを見ているようで、何も見ていないような、凪いだ瞳をしていた。

 あれはきっと、二年という時間の果てに、戻らないものを悟ってしまった人の目だったのだ。

 ――祓いの仕事がもう一度できると思った。

 千早夜はそう言っていた。それなのに今は、依を危険な目に遭わせたくないからと、自分から離れようとする。

 どうしてそんなことが言えるのだろう。

 そんなに優しく突き放さないでほしい。

 助けられてばかりで終わりたくない。

 ちゃんと、この人の隣に立ちたい。

「……結局、何も見つけられなかった」

「そんなの、嘘です」

 気づけば、依は千早夜の言葉に被せるように言っていた。

 千早夜の視線が依を捉える。

「成果がなかったなんて……もし、千早夜さんがずっと京都で祓い屋のままだったら」

 開きっぱなしの本に、思わず力が入る。

「きっと、私みたいな人間とは一生出会うこともなかった。私はあのまま、誰にも気づかれずに不幸な事故で死んでいたと思います」

 言いながら、自分でも声が少し震えているのがわかった。

「千早夜さんが、今までみたいに力を使えなくなったことは、本当に理不尽で、辛いことだったと思います。でも……だから何も見つけられなかったなんて、言わないでください」

 そこまで言って、依の口元に、自然と笑みが浮かんだ。

「私は、今の千早夜さんに会えて、本当によかったです」

 千早夜は言葉を失った。

 ただ目を見開いて、依を見つめている。

 何も映していないようだった瞳が、その一瞬だけ、確かに依を映した。

 やがて千早夜は視線を逃がすように俯いて、「うん」と小さく頷く。

 深く息を吸い込んで、消え入りそうな声で、それでもはっきりと呟いた。

「……ありがとう」

 その一言で、少し前まで沈み込んでいた空気がかすかに温度を取り戻す。

 依の身体も、そこで緊張をほどいたのかもしれない。

 息を吐いた瞬間、きゅう、と情けない音が自分のお腹から響いた。

「……!」

 千早夜がふっと吹き出した。

 かっと顔が赤くなるのを感じながら慌ててお腹を隠すが、もちろん意味はない。

「ご、ごめんなさい……」

「ふふ……ううん。もう、お昼過ぎてる頃だろうし」

 口元を押さえながら肩を揺らして笑う千早夜につられて、依も笑ってしまう。

「私、何か作ります。サンドイッチとか……」

「うん。じゃあ、お願いしようかな」

 

 遅い昼食を軽く済ませて、二人はもう一度書庫へ戻った。

 さっきと同じ部屋のはずなのに、一度外へ出たせいか、依には本棚の圧がさっき以上にはっきり見えた。棚に詰め込まれた本も、床に積まれた束も、全部この二年のあいだに千早夜が集めたものなのだ。

「……千早夜さん、これを全部、二年で集めたんですよね」

「うん」

「どうやって手に入れたんですか?」

「日本中、かな」

 千早夜は手近な本を棚へ戻しながら答えた。

「祓いに関する本は、普通の書店だとまず見つからないからね。地方の伝承をまとめたものを探したり、譲ってもらったり、古書店を当たったり」

「日本全国……」

「本だけじゃなくて、そういうことに詳しい人のところにも行ったよ。呪いを解くのを生業にしてる人とか、古い術に通じてる人とか」

 そう言って、新しい本のページをめくりながら続ける。

「最初の一年は、ほとんど東京にいなかった。戻ってきたときに、紹介された人の相談に少し乗るくらいで」

 予約のない日に、千早夜がふらりと出かけていた姿を思い出す。戻ってきたとき、包みを手にしていたことが何度かあった。

 そこで、ある考えにたどり着く。

「千早夜さん、さっきのお話を聞いてると、もうだめなんだって思ってるように聞こえました。でも……本当は、まだ諦めきれてないんじゃないですか」

 千早夜が依を見る。

「出かけた日に、いつも何か持って帰ってきていましたよね。あれって……本ですよね」

「……うん。今でも探してる」

 千早夜は、手元の本へ視線を落とした。

「諦められるなら、たぶん、とっくにそうしてる」

 やはりこの人は、まだ手放していない。

 苦しくても、無駄だったと思い込もうとしても、以前のように力を取り戻すことを、どこかでまだ手放せずにいるのだ。

「それなら、なおさら……私の霊媒がうまくいく方法を、一緒に探さないとですね」

 千早夜は、少しだけ困ったように、それでもやわらかく笑って頷いた。

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