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蔵に残るもの・一

 その日の午後、翠月館の応接室に通された相談客は二人連れだった。占いではなく祓いの仕事だということで、依も同席することになっている。

 一人は恰幅のいい年配の男性。もう一人は、痩せぎすの中年男性である。

「こんにちは」

 千早夜がいつも通りの整った笑顔で挨拶すると、恰幅のいいほうが待ちかねたように声を上げた。

「弓月さんですね。九条です。いやあ、お会いしたかった」

 紺色のコートに、灰色のストール。いかにも老紳士と言いたくなる装いだったが、柔和な目の奥には、年齢を感じさせない鋭さが残っている。

 九条は名乗るなり、まっすぐ千早夜に右手を差し出した。

 千早夜はその手に一度視線を落とすと、微笑んだ。

「申し訳ありません。祓いに関わる仕事ですので、みだりに人様の手を取らないようにしているんです」

 丁寧な会釈で返され、九条は面食らったようだったが、すぐに愉快そうに目を細め差し出していた手を引っ込めた。

「そういう作法があるんですなあ」

 触れただけで霊を祓ってしまう千早夜にとって、握手することはただの挨拶ではないのだろう。

「どうぞ、おかけください」

 千早夜が窓側の三人掛けソファへ促すと、九条はどかりと腰を下ろし、もうひとりの男性はまわりを気にしながらおずおずとその隣に座る。

 応接室は、暖炉の前に重厚なセンターテーブルが置かれ、それを挟むように三人掛けソファと、一人掛けソファが向かい合っている。三人掛けソファの背後には奥行きのあるスペースがあり、その先の大きな出窓から、昼の陽射しが差し込んでいた。以前、依が相談者として座ったのも、今ふたりが腰を下ろしたそのソファだった。

 二人が席についたのを見て、千早夜も向かいに腰を下ろした。

 依は用意していたコーヒーをトレイにのせ、九条、もう一人の男性へと順にカップを置いていく。

「まさか拠点を京都から東京に移されているとは思いもしませんでしたよ。まるで連絡もつかないものですから、知人の伝手をずいぶん使いました」

 座るなり、九条は苦労話を誇るみたいに笑った。

 京都、という言葉に、千早夜の前へカップを置こうとした依の手が一瞬止まる。

 この人は、千早夜が京都にいた頃のことを知っているらしい。

 横目で千早夜を見ると、彼は九条を出迎えたときと同じ笑顔のまま、口を開いた。

「……そうですか。それはお手数をおかけしました。そちらの方は」

 その視線が隣の男性へ向いた瞬間、男の肩がびくりと震えた。目が合ったわけでもないのに、ひどく怯えたように顔を伏せる。

「おお、そうでした、そうでした」

 九条が隣の男性へ目を向けた。そのあいだに、依が千早夜の前へカップを置くと、千早夜は九条から視線を外さないまま、小さく「ありがとう」と言った。

「こいつは高瀬と申します。今日ご相談したいのは、この高瀬のことでして」

 名前を呼ばれた高瀬は、会釈とも頷きともつかない動きで頭を下げる。

 近くで見ると、やつれ方がひどい。頬はこけ、肌は青白く、目の下には濃い隈が落ちている。髪や服装はきちんとしているのに、全体から妙に翳った印象があった。ただ疲れているというだけではなく、何かよくないものがまとわりついているような、不気味な違和感がある。

 依は千早夜の少し後ろ、斜めに外れた肘掛け椅子に腰掛け、手帳を開いた。後で必要になりそうな話を控えておくつもりだった。

「高瀬には、私が今持っている物件の改修現場を任せておるんですが、見ての通り、一か月ほど前から様子がおかしいんです。少し前までは、もっと威勢のいい男だったんですよ。現場の者をよくまとめてくれていた。それが今では、この通りです。眠れていないのか、食べられていないのか、話しかけても上の空というのか……」

 そう言って高瀬に視線を向けたが、高瀬は肩をすぼめて俯いているだけだった。

 九条は大げさにため息をつく。

「本人に聞いても、要領を得ない。念のため医者にも診せましたが、心労だろう、しばらく休ませろと言われるばかりでしてな。しかし私は、高瀬とは長い付き合いです。こいつは多少のことでは動じない男で、こんなふうに参ってしまうなど、どうにも腑に落ちない。となると――」

 そこで九条は身を乗り出し、期待を隠しもしない目で言う。

「これはもしや、霊とやらの仕業かと思いまして。……どうですかな。憑いておりますか」

 千早夜は怒涛の九条の話にも笑顔ひとつ崩さず、ゆっくりと俯いたままの高瀬を見ると、小さく息を吐いた。

「そうですね。……仰る通り、何かが憑いているのは確かです」

「おお、やはり!」

 九条だけが、面白い見世物にでも立ち会ったように目を輝かせる。

「では、さっそく除霊してはもらえませんか」

「その前に……もう少し詳しくお聞きしたいことがあります」

 九条が片眉を上げる。

「何ですかな」

 千早夜は背筋を伸ばしたまま、両手を軽く組んだ。

「一か月前から、と仰っていましたよね。その物件はどこにあって、どういう経緯で手に入れたものなのでしょう」

「なに、大したものじゃありませんよ。……ああ、私が何をしているか、まだ申し上げておりませんでしたな。私は古い物件を買い取って、手を入れて、また使える形にする仕事をしておりまして。今回は、文京の高台に残っていた古い屋敷です。敷地内に母屋と蔵がある物件でしてね。持ち主が手放したがっていたものを、ずいぶん安く譲ってもらったんです。ギャラリー兼の茶房にして、インバウンド向けの店にしたら面白いんじゃないかと」

「文京の高台に、母屋と蔵のある古い屋敷ですか」

 千早夜は確認するように言った。

「その物件で、高瀬さん以外にも異変が起きていますか」

「そうですなあ。母屋までは問題なく進んだんです。ところが、蔵の改修に着手した頃から高瀬の様子がおかしくなりましてな。ほかの作業員まで、扉の前に立っただけで具合が悪くなると言い出した。そのあとは立て続けに事故ですよ。はしごに上った職人が落ちて骨折したんですが、本人は、高瀬に足をつかまれたと言うんです。高瀬のほうは覚えていない。そんなことをする男でもない。だから現場の者は皆、高瀬がおかしくなった、霊に憑かれていると口を揃えて言うんです」

 九条は顎に手をやり、いかにも物思いに沈んだふうをしてみせた。

「……いや、もちろん、高瀬のことは案じておりますよ。現場も止まっておりますしな。ですが、こう言っては何ですが、噂に聞いていた除霊というものをお願いできる、めったにない機会でもあると思いまして」

 依は思わず、メモを取る手を止めた。

「お気持ちはわかります。ただ、目の前のものだけ祓えば済む話かどうかは、まだわかりません」

「ほう。もう高瀬に霊が憑いているとばかり思っておりましたが」

「憑いているように見えるものが、霊とは限りませんから」

 千早夜は、九条の不躾にも聞こえる言葉を咎めなかった。かといって、乗るわけでもない。ただ穏やかな笑みを崩さずにいる。千早夜は九条のような依頼者を過去何度も見てきたのだろうか。

「なるほど。いや、しかし……私としては、霊であったほうが、まだ話が早いのですがな。こういうことで弓月さんにご相談できる機会など、そうあるものではありませんから。以前からお噂は聞いておりましたが、まるで連絡がつかない。私にはご縁のない方かと諦めていたんです」

 九条はそこで、思い出したように目を細めた。

「聞けば、しばらく修行に出ておられたとか。道理で、ここしばらくは噂も途切れていたはずです」

 何気なく落とされたその一言に、千早夜はすぐには答えなかった。

「……修行、ですか」

「違うのですかな? 皆、そう言っていましたよ。しばらく表に出てこないのは、どこかで力を磨いておられるのだろうと。私もてっきり、そういうことかと思っていました」

「……そう聞いておられる方も、いるのでしょうね」

 依のいる位置からでは、千早夜の表情のすべてをうかがい知ることはできない。

 それでも、声の平坦さと、わずかに見える口元だけで、九条に向けられた笑みがいつも以上に丁寧なものなのだとわかる。

「仕事を再開されたということは、さらなるご躍進をされるおつもりだ。東京に来たのも、やはり仕事が多いからでしょうか。東京は人が多い。霊障も、そのぶん多いと聞きますからな」

「どうでしょうね。……僕の話より、ご相談の件ですが」

「おっと、これは失礼。つい話が逸れましたな」

 九条は頭をかき、ソファの上で居住まいを正した。

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