化け物ふたつ①
「くッ……。もう、少しだ」
目的地に着いた証悟は、自身に取り憑いていたコワスギお化けを追い出し、ほふく前進で洞穴を進む。月明かりは届かず暗闇に包まれても、反響音で進むにつれ広くなっているのがわかった。立ち上がろうとするも全身の痺れと震えがそれを邪魔する。
「滑稽すぎるよなァ、吸血鬼が具合悪いなんてよォ……!」
しかし証悟はあきらめなかった。歯を食い縛りながら立ち上がり、千鳥足で暗闇を突き進む。
「暗ェな、クソッ!」
不甲斐なさによる怒りで八つ当たりの罵声を出すと、証悟の目の前にホタルが横切った。どこからともなく現れたホタルの大群は、立派な照明となって洞穴を照らし、一点に集まった。
その場所こそ、ゆかりと一体化している空妖の月桂樹だった。その根本には明璃が眠っている。
「ハハッ、ゆかり……。やっと、このときが来たぜ」
証悟は今にも倒れそうだった。しかしこれまでの周到な計画をムダにできないと気合いを込め、下半身が木に埋まっているゆかりの傍に立つ。
「すぐ解放してやる。そして次の贄はこの小娘だ。オレたちの夢を叶えようぜ」
震える手でゆかりの頬をなでると、突然背後で轟音がした。驚いて振り向くと、砂煙とともに満月に照らされた夜の薄闇が洞穴に灯る。
「なんだ、アイツは……?」
証悟は我が目を疑った。砂煙の向こうにいた人影の右腕が、不自然なまでに肥大化していたからだ。具合の悪さによる目の錯覚だったのか、まばたきするとふつうの人影に戻っていた。
それはゆっくり近づいてくる。またホタルが横切ったとき、やっとそれが誰なのかがわかった。そして納得もしたし、悔しがった。完全に殺せばよかったと。
「ノックしたほうがよかったか? 洞穴の入り口が塞がってるとは思ってなくて。夢で見たときと違ったから」
「……気にすンなよ。化け物同士の仲だろ?」
「ありがたいな。そう言ってもらえると」
禅院サトル。あれだけの血を吸ったのに、なぜ生きているのか。証悟は理不尽だと思った。
「あとは明璃を返してもらえれば、言うコトなしなんだけどな」
「へッ……。バカ言えよ、もう察しはついてンだろ?」
サトルは洞穴を見渡すと、なにも夢と変わらないのがわかった。ゆかりと一体化している木の根本に、明璃が寝ているコト以外は。
どうにかして、助けなければ。
「察しがついてるといえば……、オレが血に毒を盛ったのは気づいたか?」
「ああ、そう。どうりでなあ。なんでもアリじゃねェか」
「強力な神経毒……ご存知、スベスベマンジュウガニの毒を」
「スベスベ……えっ、なんて?」
「だからスベスベマンジュウガニだって。スベスベマンジュウガニ」
「知るかよ、そんなふざけた名前の生物なんか……」
証悟を蝕む毒の症状は、さらに悪化していく。痺れは硬直に代わり、何度もえづくも、空っぽの胃はなにも吐き出さない。人間の血の循環と空妖の不死性が織りなす苦しみは、永続する。
「空妖は不変の存在、毒の排出だって行われるかわからない。……オレたちに手を出したのが間違いだ」
サトルは硬直している証悟を尻目に、眠っている明璃に近づく。そうはさせまいと、証悟は決断した。
「……なんの、これしきィィッ!」
「まずいなッ。おいサトル、アカリをかばえッ!」
証悟は腕をトカゲの尻尾のように切り捨て、毒に染まった血を流す。血は勢いよく吹き出し、洞穴を赤く染めた。
「瀉血、完了。ほら、オレの手ェ、出してやったぜ?」
「……シャレになってねえよ」
血を出し切ると、共有しているオオカミの能力で腕を生やす。毒の症状は血とともに消えた。鬼の持つ尋常でない腕力も。
「フフ、服を汚してしまったな。なんて言われるか」
「いい気分じゃないな、自分の血を浴びるってのは……。バクもナイスプレーだったぜ」
サトルも明璃をかばい多量の血を浴びた。バクが大口を開いて血を飲まなければ、明璃にかかっていた。
ほっとしたのも束の間、解毒を済ませた証悟がにじり寄る。
「さて、動ければだ。小僧にゃ退場願おうか」
サトルは振り向き様に拳を振り上げるも、まず目に飛び込んだのは、証悟の手に月桂樹の花が握られているコトだった。
「まずい――」
「背中の口といい夢見ろよ」
夢を見れば、外から起こしてもらわねばならない。それがわかっていても抵抗の術はなく、バクと眠りに落ちた。
「……これでやっと、迎えに行ける」
証悟はサトルに毒が流れていないのを確認すると、血を吸い、おもむろに月桂樹の前に立つ。そして両腕を広げ、叫んだ。
「樹よ、夢見る樹よ、新たな贄を捧げてやる! 代わりにゆかりを離してもらおうかッ!」
すると月桂樹は口を開くように樹洞を開き、ゆかりを吐き出した。証悟は地面に叩きつけられそうな身体を支える。
「よう、ゆかり……。やっと現実で会えたな」
木と一体化していたゆかりの身体は瑞々しさを取り戻し、黒い瞳を見せた。その若かりし姿は、時が止まっているようだった。
「ゆかり、おまえも吸血鬼になろう。ずっと耐えてきた人生だっただろ? これからは永遠に生きて、生きて……。オレと暮らそう。夢じゃないんだぜ」
「証、ちゃん」
しかし異変が起こった。ゆかりから赤黒い瘴気が立ち上ると、声がしわがれていく。変化は声だけではない。
「おい、なんなんだ! おいッ!?」
ゆかりの黒髪は白に染まり、肌はシワだらけになり痩せ細っていく。まるで時が帳尻を合わせるように、すさまじい速さで老化していた。
「ダメ、だよ」
それが最期の言葉だった。老化現象の行き着く先は白骨化だった。証悟が支えていた肩に重さはなくなり、支えのなくなったゆかりの頭蓋骨は落ちて砕けた。
「……なんだよ、これ」
証悟は膝から崩れ落ちた。なんのために吸血鬼になったのか、誰のための永遠の命か。生きる意味も愛する人も、ただ一瞬で全てを失った。
「あ……うわああああああッ!」
証悟は慟哭した。赤い瞳からは涙は流れないけれど。
「オレになにが残った? 流れる血は他人の借り物、涙も流せない。永遠に夜しか歩けない身体になっても……。おまえしかいなかったのに、ゆかり」
激しい乾きが証悟を襲った。汗もかかず喉も渇かない身体は、しかし焦燥と悪夢のような現実に震えが止まらなかった。吸血鬼になってから奪ってきた命にも意味はなく、しかし死なない自分に嫌悪感が襲い、全てから逃げ出したかった。
「あれえ? オレは誰だ?」
だからこそ――描いていた理想とともに次第に崩れ始める。
自我が、正気が。
「そうだよ。流れている血がオレのじゃないなら、オレは誰だ? この血は小僧の、禅院サトルのだよな? そうか、オレは禅院サトルなんだ」
ぶつぶつと言葉を紡ぎ、定まらなかった視線は明璃を捉え、顔を近づけた。
「おはよう。おはよう」
言葉を覚えたてのオウムのように何度も言って、明璃を起こす。寝ぼけ眼をこすってまばたきすると、間近にあった顔面に絶句した。
「おはよう」
「……誰? サトルになにをしたの」
「オレが禅院サトルだよ」
「はあ?」
証悟は錯乱した微笑みをたたえながら、明璃の両手に肩を置き、そのうなじに鋭い歯を覗かせた。
「なにも怖いコトはない。永遠になろう。夜だけ見える六等星のように」
「なに言ってんのコイツ、ていうかホントになにコイツ!? サトルーッ、はやく起きてーッ!」
その声に応えるように、サトルはゆっくりと起き、立ち上がった。が、その姿は人間離れしていた。
サトルの右腕は肥大化し、背中からは二対の黒い触手が蠢き、左の赤い瞳はひび割れ複眼となる。
「フフ、イヤでもわからせてやるさ。ショウゴ、おまえはサトルじゃあないってコトを」
誰のためのチカラか、なんのための命か。サトルにはわかっていた。
自分の命よりも大事なもののためだ。そのためならば、どんな生物だって喰らうし、どんなチカラだって振るう。呪われた業を背負ってでも。
その業の報いが、人間をやめるコトだとしても。
「藍原証悟、オレがおまえの悪夢だ」
その心が人間をやめるまで、呪いに身を委ねる覚悟はできた。あとはチカラを振るうだけ。
……目の前にいる、吸血鬼に。




