満ちてゆく
静かな夜だった。満月と満点の星がまたたく下で虫は鳴き、風は冷たく、本格的な秋の到来を感じさせる夜だ。
サトルは星空を眺め、しみじみ思い、そして願った。みんなと過ごす、おだやかな時がいつまでも流れればいいのに、と。
「禅院さん、身体の具合はいかがですか?」
「小林先生。はい、もう大丈夫です。心配かけてすいません」
「よかった……。ほんとうに」
証悟から抜かれた血は2リットルを超えていた。ふつうの人間ならば、あわや失血死を引き起こすのも時間の問題だった。
前提として、ふつうの人間ならば。
「ワタシの生命のチカラをフル活用したから助かったんだ。よかったら褒めてほしいな」
「あっ、そうですね。禅院さんを助けてくれて、ありがとうございます。バクさん」
「フフ、いざ褒められるとくすぐったいな」
小林先生はサトルの背中に回り込んでお辞儀すると、バクは鋭い口角を吊り上げて笑顔を作った。
「それで……ないんでしょ? 時間」
たたずむサトルに、花子さんが肩で息をしながら訊いてきた。
「アイツ、時間だからって逃げだした。いよいよ明璃が危ないわよ。アンタのコトだし、ひとりでもまた飛んでいくんでしょ?」
サトルは小さく頷いた。態度には表れないが、その赤い瞳はギラギラと輝いている。
「禅院くん……、ムリはしないで」
花子さんのうしろで、疲れて動けない樫見が精いっぱいの声を振りしぼって、慮る。サトルは樫見の元へ寄り、屈んで視線を合わせた。
「またみんなで笑えるように、オレはがんばるよ。樫見さんが助けてくれたコト、無駄にしない。いつもありがとう。ほんとうに、ほんとうに……」
「禅院くん……」
樫見の手を握り、おだやかに言った。サトルの手は、ほのかに暖かかった。
「そういえば、あのうるさい幽霊はどこに行ったのかしら?」
そんなふたりを尻目に、花子さんはつぶやいた。
「いなくなってるな、いつの間にか」
「も、もしかして! 私が塩を撒いたからでしょうか!?」
「小林先生、それはさすがに……いや使いきっとる!?」
空になった塩ビンを見せつける小林先生に、サトルは絶句した。
「可能性があるとしたら、あの幽霊は
ショウゴに取り憑いたのかもしれないな。透明にさせるために」
「なるほど、名推理ね。じゃあどうやって足取りを追う?」
「オオカミに乗ったショウゴが透明になれば、位置がわからなくなる……が。なあ、サトル」
「オレたちは手を打ってある。ただ血を吸われたワケじゃないんだぜ、花子さん」
サトルは立ち上がり、夜空を見上げ、声を上げる。
「ずっと見てんだろ、三郎さん!」
すると、雨が降るように砂がパラパラと降り出した。砂を通じて三郎の声がする。
『無論じゃ。あの水捌きは大したモノじゃった。樫見夕七といったか、見事であったぞ』
「人が死にかけたのも見てたんだろ。シュミが悪い」
『しかし、おぬしもただでは転ばんじゃろう。高い生命力と一挙手一投足が攻撃に転じられるチカラ、わしの想像以上じゃ』
「やけにベタ褒めするなあ、いいコトでもあったか?」
『上機嫌にもなる。ニンゲンと空妖の強さを見せてもらってはのう』
「分ければ強いさ、ひとりじゃないんだから」
『ふっ、殊勝じゃな』
「あとは、人間と空妖が混じったヤツへの布石はどうなるかな……。オオカミたちの足取りは一匹残らず追ってるだろ?」
『無論じゃ』
「様子のおかしいオオカミがいたら、たぶんそれだ。合図を頼む」
『うむ、目立つよう光らせてやる』
「真島と魅人の援護も!」
『言われるまでもないわ。ふたりとも気を吐いておる、無下にするなよ』
ダム一帯に降らせていた砂の雨を止め、砂雲に乗る三郎は下を向いた。
「なるほど、オオカミどもが撹乱しておる。幽霊が憑いた吸血鬼と悟られないように、かの」
三郎は砂雲を降下させて木々の隙間を縫い、ウンちゃんの背に乗る魅人と真島に声をかけた。
「オオカミどもの攻撃は最低限に収まるじゃろう。これからはヤツらの動向に注意するのじゃ」
「ホントに!? 振り落とされずに踏ん張るのも大変なんだから!」
「おれも……叫びつかれた……」
「光線の掛け声はいらんと思うがの。まあ、どうでもよい。一層、オオカミたちの動きを凝視するのじゃ。おそらく一匹だけ挙動がおかしいものが出てくる。よいな?」
「「はい!」」
ふたりは返事すると、三郎は再び空に昇った。木よりも高い場所まで見送ると、顔を見合わせる。
「動きのおかしいオオカミ? 腹減ってフラフラになってるとかか?」
「空妖ってお腹空かないんでしょ、たしか。それよりもさ、暗くてよく見えないなあ〜っ。これだけ暗いと、ワラワラ動いてるオオカミもよく見えないなあ〜っ?」
「千田ァ、フリだな?」
「フリだね」
「やってやるぜ! 灯りを点けましょマッシマァァァビィィィィムッ!」
胸を張って両拳を握りしめ叫ぶ。顔に被ったマスクのクチバシは気合いに応えるように光線を放った。
オオカミたちは光の矢を避けつつ照らされながら、走り回る。
その中に、ワケもわからず驚いた者が人知れずいた。証悟に取り憑いたコワスギお化けだ。
「うわあ、ビームだ……。これ生配信してたらバズってたんだろうな」
吸血鬼に取り憑いて、かつオオカミに跨って山中を駆ける。死んだ後で人目を惹きそうなコトをしているのに、コワスギお化けはもったいなさを覚えていた。
「ゴッホもよォォ〜ッ、草葉の陰で悔しがったに違いねえよなァ〜。死んだ後に価値が生まれんのはよォォ〜ッ」
自身のチャンネル登録者の数字である40を思い浮かべ、これがもっと増えていたのだろうと夢想していると、取り憑いている証悟の身体に異変を覚えた。
急だった。全身が痺れ、頭痛とともにやってきた吐き気。胃が空っぽなのに、なんどもえづく。オオカミに振り落とされるのも時間の問題だ。
「さ、最悪だ……。なんで、死んでまで、こんな……」
コワスギお化けはたまらず証悟の身体から飛び出ると、生前にも味わったコトのない不調から抜け出せた。それにより、証悟は透明ではなくなった。
「て、てめェ……。なに勝手に出やがンだよ……」
「うるせえ! おまえの身体だろ、おまえが苦しめ、この人殺しッ!」
「もう着いたから……。あの壁を通り抜けるまで辛抱しろよ。一瞬だけ取り憑け」
震える指を伸ばす先には、ただの山の斜面だった。
「うるせえバカ!」
「早く取り憑けッ!」
「はいわかりましたァ!」
証悟に気圧されるがまま、コワスギお化けはすぐ取り憑く。そしてオオカミから転げ落ち、証悟が指した斜面をすり抜けていった。
少しの間、証悟が姿を現したのを、真島と魅人は見逃さなかった。
「……あれだね」
「走るのがヘタなオオカミがいると思いきや……。三郎さん、ここだ!」
ウンちゃんは証悟の乗っていたオオカミを鼻で退かした。
『なんの変哲もない地面じゃが……。なるほど、音が響く。空洞になっておるようじゃの』
「それでどうする!?」
『光線を空に放て!』
「よし、狼煙のマッシマァァァビィィィィムッ!」
木々を超え夜空を貫く光の柱は、遠くに離れているサトルの目にも確実に届いた。
「あれが合図だな! バク、翼を!」
「あー、待ってくれ」
バクは丸めた紙を吐き出した。サトルはそれを拾い上げて広げると、『メリーはあなたの隣』の文字。
「やっと出番だね!」
メリーさんが現れると、声をかける間もなくサトルの手を握り、大声を上げる。
「サブちゃんの隣ー!」
すると、あっという間に砂雲の上に瞬間移動した。ダムで見た光柱も間近だ。三郎はサトルを見るなり、ニヤリと笑った。
「ニンゲンとして、吸血鬼にどう立ち向かう?」
意地の悪い質問に、サトルも笑って答える。
「なれるなら……、人を守れない人間になるよりも、人を守れるバケモノになるさ」
「いい覚悟だ。では、行くがよい。ここより真下じゃ」
「三郎さんが行ったほうが速いのに」
「抜かせ。鬼を殺すのは、いつだってニンゲンの役目じゃ」
「……アンタ、やっぱり意地悪だ!」
サトルは砂雲から飛び降り、バクは翼を広げる。
「ゼッタイ、ゼッタイに明璃お姉ちゃんを助けてねっ!」
「当ッたり前!」
落下しながら、メリーさんに握り拳を伸ばして応える。それを見たメリーさんも握り拳を伸ばす。
「フフ、見せつけてやろう。あの吸血鬼に」
「オレたちのチカラをな。たとえ、人間を辞めるコトになっても……」




