現れた黒幕③
このエピソードには、人体の欠損などのグロテスクな表現があります
「なに、これ……。胸が、痛いっ!」
オオカミの群れを止める最中、花子さんに異変が起こっていた。抱えたコトのない怒りが、悲しみが、それらをかき消すほどのドス黒い感情が胸に渦巻く。
「ウソよ……、これが夕七の思いだなんて。あの子に限って、こんな、こんな……。ありえない」
能力の共有は、感情も共有される。目の前にいるオオカミに向けるのは、花子さんが感じたコトのないモノだった。
「夕七がどうしてこんな思いを抱かなきゃいけないの……。ああっ、止めなきゃ。待ってて夕七!」
花子さんは切実だった。樫見が強大なチカラを振るうのに、花子さんが覚悟できていなかったからだ。
樫見らしさを、やさしさを捨てて欲しくなかった。しかし樫見は止まらない。ダムは怒涛の如く放流する。証悟の切れた腕から流れる血もまた、同じように。
「このッ……やりやがったな!」
証悟は共有しているオオカミの能力を使い、腕を再生させ、倒れているサトルの血を吸う。
「おい、まだ血を作ってる途中だぞ。やめないか、つまみ食いは」
「うるせェな、この減らず口! そうだ、いいコト思いついた」
また水の刃が閃いたので、ほんの少ししか吸えない。証悟は倒れているサトルの頭を鷲づかみして、樫見に見せつけるように持ち上げた。
「見てみろ、人質だ。少しでも力を入れりゃ、小僧の首が捻じ切れンぞ!」
「こんな状況じゃなきゃ、ツバでも吐きかけてるところだかな。惜しいな」
「いや、なんでそんな余裕あンだよ、口ごときがよ……」
樫見はひるむコトなく、右腕を薙ぐ仕草をした。すると放出された水が逆流し、天端を這う白波と化した。波は引き際に証悟の足に絡み、身体を底へ連れ去ろうとする。
証悟が手を離した隙に、バクは翼を生やして飛び、サトルを空に留めた。
「翼とはな! なるほどなァ、そりゃ余裕なワケだよなァ!」
証悟は天端から落ちそうになるも、足を思いきり蹴り上げた。砕けたコンクリートに突き刺さった足は、水に流されずガッチリと固定されている。
「いいかオオカミども、水を操る小娘の喉笛を掻っ切れッ!」
証悟の号令で、どこからともなくオオカミの群れが現れた。前から、後ろから攻撃を仕掛けるも、樫見は動じない。両腕を交差させ拳を握ると、ダム湖は吹き出し、水は手の形を作った。
オオカミの数だけ湖から水の手が飛び出し、オオカミたちをつまみ、ダム湖へと引きずりこむ。
「なんて恐怖映像だよ、オイ。だがいい囮になってくれた!」
証悟はなんとか天端に上がり、樫見の元へ近づき、月桂樹の花を光らせる。樫見には風鈴の音が聞こえた。
瞬間、樫見の周りは真っ暗になり、なにもなくなった。証悟が夢の世界に閉じ込めたのだ。
「好き放題やりやがって。もう許さねェからな?」
暗い空間にはなにもない。ダムの水も。攻撃の手段がないと見るや、証悟は樫見ににじり寄る。しかし樫見は表情ひとつ変えない。花子さんの能力の共有は切れていない。
「許さないのは……わたしも同じッ」
樫見が流した涙のたったひとしずくは、弾丸のような勢いをつけて、証悟の胸を貫く。舞った血は証悟の目にかかるように操作した。
「ぬああッ、いてえッ!」
すっかり油断していた証悟は、突然の奇襲に驚くばかりだった。
「オオカミどもッ! 来やがれェ!」
目をつむったまま号令すると、複数のずぶ濡れになったオオカミたちが現れた。
「見せてやれ、悪夢をォォッ!」
「……なるほど、真っ暗な夢ね」
「だ、誰の声だ?」
しかし証悟はまだ気づいていない。一匹のオオカミの背に花子さんが乗っているコトを。そしてその両手には、抱えるように浮かせている水球を携えているコトを。
「たしかに悪夢かもしれないわ。一寸先は闇……、あんたの現実になるかもね。そうでしょ、吸血鬼さん」
花子さんは両手を合わせて水球を潰す。弾けて飛び散った水はオオカミたちの四足にまとわりつき、見えない地面に引っ張る。オオカミはのしかかった水の重さにより、動けなくなった。
「なにがどうなってンだ……」
証悟は何度もまばたきして、やっと目を開くと、樫見の隣にいる花子さんを見て首を傾げた。
「花子さん? そのカッコ、三番目の花子さんか?」
「三番目って……なんの順番?」
「いやだから、便所に入って三番目の花子さんだよ」
「どうでもいいけど、私はトイレの花子よ。そして今はアンタの敵。そう、言うなれば……ダムの花子!」
「はあ?」
花子さんはそう言ってドヤ顔をした。対して、証悟は困惑。
「オレは伝説とか妖怪を相手してンのか。冗談きついぜ。たしかに悪夢を見てンのはオレのほうかもな」
「吸血鬼がよく言うわ」
「ああ、だからやめにしよう」
証悟は指を弾くと、真っ暗な空間は消え、元の風景に戻った。
「もう月があんな上に昇ってる。これ以上血は流せねェ」
「どの口が……!」
樫見は腕を伸ばしたとき、ダムの放流が止まり、自身も膝から崩れ落ちた。能力の使いすぎによる疲労だった。
「夕七!」
「こりゃ好都合だ。おとなしそうな娘だし、あんまり日常的にやらないコトすると、そりゃ疲れるよな」
「まだ私もいる!」
息を荒げる樫見の前に、花子さんが立ちはだかる。しかし証悟は背を向けた。
「あー、知ってる。時間だからよ、もうちょっかいはかけねェ。もっとも、そっちから来るならハナシは別だが」
2回手を叩くと、オオカミが屈んだ状態で現れ、証悟はすぐにオオカミの背に乗った。隙はいくらでもあったが、花子さんは手を出せなかった。
「殊勝だな。都市伝説じゃ、花子さんはトイレに引きずりこむ悪いヤツなのに、ニンゲンと仲良しだなんてよ」
「引きずりこむなら、どうしてそんなウワサが流れるのかしらね?」
「ニンゲンの悪意だろうな。そのほうが面白い」
「面白い、か。それがヒトの想いだったのかな。まっ、慣れっこだけど」
証悟はため息をついて、花子さんに訊ねる。
「なあ、そこの小娘の想い、どんな具合だった?」
「……とても重かった。暗くて、絶対に許さないっていう黒い意志。私も見たコトない姿だった」
「ヒトを想うからこそ、か」
「アンタもそうなんでしょ。早く明璃を帰してほしいわね」
「オレにも成し遂げたいコトがある、それこそ、ヒトを想うからだ。止めたきゃ止めてみろ」
「私たちはみんなを信頼してる。心配になるのが多いけどね。今は……ひと休みね。夕七のために」
「見逃して後悔すンなよ。小僧によろしくな」
証悟がトンネルの暗闇に消えると、今までの風景がヒビ割れた。一見すると景色に変わり映えはないが、花子さんのすぐ後ろに、座り込んでいるサトルと小林先生がいた。
花子さんは夢から醒めたのを理解すると、安心感で脱力しきって樫見の隣で座り込んだ。
「……もう限界だわ。がんばったわね、夕七」
「花子さん? よくわからないけど、なんだか疲れちゃって……。あっ、吸血鬼は!?」
「安心して。ひとまずはどこかに行ったみたい」
「そ、そうですか……」
花子さんも樫見と同様、限界を迎えていた。証悟に襲われなかったのも強気な姿勢を保ち、水を操る能力を脅威的と思わせたからだ。
「やっぱり花子さんみたいに、もっと水を扱えなきゃ……」
「いいのよ、夕七は夕七のままで」
花子さんは微笑んだ。なにより安心したのは、樫見の怒りが収まったからだ。でも、と言いたげな樫見に、花子さんは手を柔らかく握る。
「落ち込まないで。上手にできていたわ。なによりの証拠が……」
「樫見さん、花子さん、無事ですか!?」
小林先生がへたり込むふたりに駆け寄る。視線を動かすと、血を抜かれ倒れていたサトルが立てるまでに回復していた。
「ほら、みんないるでしょ? 悔しいけれど、私たちは休んでいましょう」
「……はい」
みんなを守れた。ふたりを共有する思いが流れ込む。樫見は空を見上げ、また想う。この星空を、またみんなで見られますように、と。




