現れた黒幕②
このエピソードには、人体の欠損などのグロテスクな表現があります
「これが……鬼のプレッシャーか」
風邪とも違う悪寒、日常生活では感じない緊張感。その男が現れたとき、樫見はへたり込み、サトルは文字通りヘビに睨まれたカエルの気持ちを味わった。
古梶山に巣食う喪服を着た吸血鬼・藍原証悟。彼は微笑みをたたえながら、サトルに向かってゆっくりと近づいてくる。
「あ……あいつだ。あいつに俺は殺されたし、おまえに取り憑けって脅されたんだ!」
悪霊になりかけていたコワスギお化けは、恐怖のあまり我を取り戻していた。サトルは呆れた。
「こんなコト訊くのも悪いけどさ、なんで死んでるのに脅しに屈したんだよ」
「俺のPCのハードディスクを暴いてやるってよ……。やーばいでしょ! ああーッ、コワスギコワスギィ!」
「は? ンな理由かよ……」
なにを保存していたのかは聞きたくもないが、そんな理由で取り憑かれたのかと、サトルはコワスギお化けに対して腹が立った。
しかし、今は怒る場合ではない。サトルは目の前の吸血鬼に目を向けた。
「あんた、勉強家なんだな。昔の人なのに、よく現代人の弱みを知ってる」
「オレがニンゲンの頃使ってたフロッピーと比べりゃ、今のコンピューターはとんでもねェ容量だな。科学の進歩はスゲーよ、ビデオカメラだってとんでもなく小せェしな」
証悟の過去と現在を照らし合わせれば70歳以上のハズだが、身体も声も若いままだ。
「まっ、科学が進歩したとしても、見事に人の欲は変わらねェわな。そして、その欲が弱さに繋がるコトもよ」
「たしかに。太陽の下で生きられないあんたが言うと、説得力があるよ」
「ははッ、言ってくれるぜ」
証悟は笑いながら、その青白い指を動けない樫見に向かって伸ばした。
「小僧、全部守りたいか?」
「指一本触れさせない」
「あの幽霊とも友達かい?」
「違う。あれはどうでもいい」
「おいー!」
きっぱり否定すると、コワスギお化けはサトルの目の前に飛び出してきた。コワスギを通して証悟が笑っているのが見える。
「なあなあなあ、死んだ人間をいじめて楽しいかよ、ええ? 俺だって幽霊だけど怖いんだよ、アイツが!」
「なんもやましいコトがなければ、おまえのPCなんてどうでもいいだろ」
「いや、それは……。なあ、せめてそれはさ、俺が成仏してからやってくれよ、ホントにガチで!」
「なんだその慌てよう、おまえクロだろ! オレの目の黒いうちは、死人に口なしとか言わせねえからな!」
「そんなァ!」
「どいて逃げてろ、ほら!」
言い争いしてる間に樫見のほうを見ると、ふらつく足で立ち上がっていた。花子さんもそばについている。なんとかなりそうだ。
「小僧、失いたくないってのは大きな欲だぜ。手に入れるより難しいんだ、維持するってのは」
「失うと奪われるをいっしょの意味するのか?」
「ンなモン結果論さ」
証悟は内ポケットから黄色い不格好な花を取り出した。月桂樹の花だ。
「さてさて、あいさつはここまでにして。悪夢を見せてやるよ」
花は強烈な光を放ち、サトルを包む。恐る恐る目を開けると、誰もいなくなった。バクも返事をしない。
「みんなをどこにやった!?」
「オレがおまえを隔絶したンだよ。身の程を理解させるためになッ!」
証悟は青白い手で拳を作り地面を殴ると、爆音とともにダムの天端が穿たれた。まさに鬼神の如き剛力だ。
飛び散る礫の向こうで、証悟が赤い瞳を光らせる。
「不思議なモンだな。昔は無力感に苛まれてたのに、今のオレなら……なんでもできる気がするぜ」
「人間をやめたツケは必ず清算されるぞ」
「言ってろよッ!」
証悟はその拳をサトルに振りかざす。人外じみた剛力なら人間の身体など、枯れ木の枝のようにたやすく真っ二つになる。
しかし証悟は空妖の身となり、サトルの手には空妖だけを斬る霊剣が握られている。襲ってくる拳に、サトルはその白刃を振り下ろした。
「うがあああーッ!?」
サトルの手にはなんの手応えもなく、しかし鏡花旅楽は証悟の腕を切り落とした。腕の断面から流れる血に、サトルは気分が悪くなった。
「よくも……よくもやってくれたな小僧ォォッ!」
「言っただろ、ツケは……。おえっ、あーダメだ、直視してらんない」
「見てらンねェか? じゃあ、お望み通り生やすか」
「なんて?」
サトルは背けていた目を証悟のほうにやると、切ったハズの腕が再生していた。
「オオカミのチカラ。共有してンだな、これが」
「おいおい……ズルだろそれ!」
「いや大したモンだ。見てみろオレを。げっそりしてきただろ?」
血が流れでたせいで証悟の頬はこけ、痩せ細った。
「これじゃパワーもでない。小僧の血をもらおうか」
「一滴もやらせな……あれえ?」
震える足でにじり寄る証悟に、サトルは鏡花旅楽を振るおうとするも、手にはなにも握られていなかった。
戸惑っている間に、証悟はサトルの首を掴む。
「どうだい、ふつうのニンゲンになって吸血鬼と対面する気持ちは?」
「……悪夢だ」
「グッド。いい反応だ。悪夢から醒ましてやるよ」
証悟は夜空を見上げ、ロウソクの火を消すように息を吹くと、風鈴の音が鳴った。夢から醒めたようだった。
首根っこをつかまれたサトルには、変化が感じられなかったが――
「ぜ、禅院くんッ!?」
樫見の驚く声が聞こえた。
「な、なにが夢から醒めるだ。離せよ。話が違うだろ……」
「ようこそ、悪夢のような現実へ」
サトルは声を振り絞ると、証悟は笑った。視線を下げると、浮いた足元に鏡花旅楽が落ちている。証悟はそれに気づくと、鏡花旅楽を蹴る。小さな飛沫がダム底に落ちたのを物語った。
「よくも……。バク、チカラを――」
「おっと、そこまでだ」
バクと能力を共有した瞬間、証悟はサトルを寄せると、サトルのうしろ髪を上げて、うなじに一瞬だけ噛みついた。
「な、なんのマネだ……」
「なにって血ィ吸ったんだよ。酒もタバコもやってない、うめェ血だ。なによりもRhプラスでO型なのがグッドネス。これで安心して飲めるってモンだぜ」
「抗原不一致はダメなのかよ、吸血鬼も……」
「世知辛えよな」
再び血を吸われると、サトルの背筋に寒気が走った。寒気は全身を包み、体温を奪っていく。血の気は失せ、視界が明滅しても、心臓の音だけがやたらと大きく響いていた。
「サトル、生きてるか?」
バクが冗談混じりに訊く。サトルは微かに首を縦に振るしかできなかった。証悟はサトルが動けないのを確認すると、吸血をやめた。
「この声、小僧に取り憑いてる口か。興味本位なんだが、小僧が死んだらお前さんはどうなっちまうんだい?」
「さあ。宿主が死んだ寄生虫はどうなると思う?」
「ククッ。そうならないための努力はしてンだろ?」
「当たり前だ。我々の生命力を知らないだろう。たまげるなよ、吸血鬼」
「じゃあこれは知ってるかい? 努力ってのは報われねェとよ、努力って言わねンだよ」
「卑屈だな。お日様を浴びていないとこうなるのか?」
「どいつもこいつも減らず口かよ」
「言われ慣れてるさ」
証悟は腕に力を入れ、首を絞め続ける。血は抜かれ、息も耐えそうなサトルは抵抗すらできない。
「どんな努力をしてンのか知らんが、徒労で終わりそうだなッ!」
「フフ……いや。ワタシががんばる必要もなさそうだ」
「は?」
突如、轟音が鳴り響いた。
「なんだ、なんの騒ぎだ?」
証悟はサトルの首をつかみながら、ダムを見る。さっきまではなにもなかったのに、危険水域でもないのに放流し始めた。
「離してッ……」
施設の人間が行ったワケではない。この怒涛に理屈はなく、文字通りの怒りによって表れた。鋭い剣幕で見つめる樫見によって。
「こりゃなんだ? 小娘がやってンのかい?」
「禅院くんを、離してッ!」
証悟は笑って腕に力を入れるも、目の前にサトルがこぼれ落ちた。証悟の腕といっしょに。
「おいおい、なんなんだッ!?」
一瞬の閃きだった。水の刃が証悟の腕を裂いたのだ。サトルの背中にこぼれ落ちた証悟の腕を、バクは食し、笑った。
「なにがおかしいんだ、減らず口。他人に助けられるのが生き延びる努力とでも言うのか?」
「吸血鬼にはわからないか? ヒトはそれを『絆』と言うんだよ」
「ったく、参ったな。久々だね、そんなクサいセリフ」
樫見は片腕を落とした証悟を睨み続ける。ダムから流れる怒涛は未だ、止む気配はない。




