月と温泉とパーティーション
三郎との話は終わり、みんなが待つ古梶荘の前へ合流すると、おしゃべりの魅人と真島が訊いてきた。
「なんの話ー?」
「ちょっとした説教だよ」
「ちゃんと宿題やっとけって?」
「大きなお世話だ真島ァ!」
はしゃぎながら古梶荘に入る。サトルたちを出迎えたロビーは吹き抜けになっており、向かいあう革張りのイスと古時計も合わさって、シックな雰囲気を醸しだしていた。
サトルたちも思わず、その上品の雰囲気に呑まれ、黙りこくった。
「ああ、お客様。来らっしゃいましたか。どうも、どうも……」
壁際のカウンターに、そんな雰囲気に似つかわしくない腰の低い年配の男性がやってきた。派手なアロハシャツには、オーナー影山と書かれた名札が付いている。
「夜分遅くに泊めていただけて、ありがとうございます」
小林先生が頭を下げる。
「いえいえ。それよりもおつかれでしょう。どうでしょう、お風呂なんかは?」
「みなさん、そうしましょうか」
「ささ、どうぞこちらへ」
荷物を預け、案内される。サトルは真島と魅人と男湯の暖簾をくぐろうとすると、魅人がオーナーに止められた。
「ああ、女性の方は女湯で……」
魅人はきょとんとした後で、3人は顔を見合わせて笑いだした。
「ボク、男ですよっ」
「ええ!? それは失礼しました!」
「というワケで、お風呂お借りします」
暖簾をくぐり、脱衣所のカゴに服を入れ、腰にタオルを巻く。入浴準備万端で温泉への戸を開けると、広々とした風呂があった。
夜空を見上げると、月に湯煙が重なり、幻想的に見える。
「すごいッ、露天だ!」
「よっしゃ、一番風呂!」
真島と魅人のはしゃぎっぷりがすさまじい。プールかのようにザブザブとしぶきを上げながら、湯船を歩いている。
「はあーッ、女湯とは仕切りがあって残念です!」
「そりゃそうだろ」
「なので魅人、旅行者同士の混浴ごっこしようぜ!」
「いいねー」
「はあ?」
初耳のごっこ遊びを、さも当然のように共有されているのが、サトルには困惑するしかなかった。真島はおもむろに湯船から上がり、魅人は湯船に浸かったままだ。
「……ん? あのサラサラの髪の毛は。ここはまさか、混浴だったのか!」
真島が魅人目掛けて直行して、初対面を装う。
「もしもし、そこのあなた。ここで会ったのも縁が故。どうでしょう、この後でご飯でも?」
「……あなたも旅をしているのね」
魅人はノリノリで女役を演じるが、濡れたショートヘアと長いまつ毛が様になりすぎている。
「ちょうどいいわ、あなたの旅話を聞かせて。つまらなかったら、それっきりね」
「長くなるよ。夜も、きっと」
「あなたが魅力的だったらね」
小芝居は終わったようで、真島は湯船に顔を突っ込んで、ブクブクと泡を出してからまた顔を出した。
「こんなやりとりしてみてェーッ!」
「……ホンマもんのアホやで」
サトルは湯船から上がり、女湯との仕切りの壁にしゃがんで寄りかかった。
「……ねえ、真島くんと魅人、なにしてんの?」
仕切りの向こうから声が聞こえた。明璃の声だ。
「さあ……。聞こえてた?」
「夕七も小林先生もバカウケしてる。すっごい笑い、こらえてるけど」
「ウケたってよ真島ァ!」
真島は親指を立てながら膝を曲げて、湯船の中に沈んでいった。
「次はシュワちゃんになった」
「ホントなにやってんの……」
ふたりで笑いあったところで、サトルはやっと気が紛れた。
「サトル、やっと笑えたんじゃない? 起きてから横顔しか見てないけど、中学のときと同じ顔してた」
「それは……だってさ」
「だって? なあに?」
「いや、ナシ。それよりも、夢で覚えてるコトはないのか? なんでこんなトコに来たのかもさ」
「うーん……。あまり覚えてないわ」
「ええー? 困るな。人の気も知らないで、あんなにおねんねしといて」
「スミマセンでしたね。ただ、砂の雲の上で起きたとき、なんだかすごく悲しかったの」
元気がなさそうに見えたのはそういうコトかと、サトルはひとりで納得するように頷いた。
「それは30分くらい昼寝しようと思ったら、3時間寝てたときみたいな悲しさ?」
「……そんなしょうもないカンジじゃなかった。なにかを失くす夢」
「失くす?」
「もっと、胸にぽっかり穴が空いたみたいな。……うん、この気持ち、あたしにもあった。きっとサトルにも。ううん、きっとじゃない。あったわよ、ゼッタイ」
サトルはすぐに察せた。その気持ちは大事なものを失ってからもずっと引きずり続けるような、埋まらない喪失感。そんなものは夢の中でも味わいたくないだろう。
「どんなに悲しくても夢は夢だ。現実じゃない。夢でよかったって、ホッとしなかったか?」
「そりゃあね。でも……」
「でも?」
「なにが夢で現実かなんて、曖昧なんじゃないって」
「うん? ヘンなコト言うなあ」
「だってほら、聞こえる?」
「盗み聞きは悪いだろ」
「アンタもヘンなトコだけマジメね、宿題すらやってないのに。まっ、イヤでも聞こえてくると思うけど」
明璃の言う通りだった。真島と魅人が好き放題してたような水しぶきを上げる音の後で、声が聞こえる。
「いやっほーい! 温泉きもちいいね、花ちゃん!」
「まったくもう、メリーは元気ね。あんなコトの後なのに」
「楽しめるときに楽しまなきゃ!」
仕切りの向こうでは、ふたりの空妖が当然の権利のようにタダ風呂を浴びているようだ。
「……なにが言いたいかってね、つまり都市伝説のふたりが、目の前でひとっ風呂浴びてんのよ」
「あー、うん。言いたいコトはわかったよ。いまさらってカンジだけど」
微かに聞こえるバクの寝息を聞きながら答える。
「夢か現実か……」
先祖の呪いのせいで霊の類いが視えるようになったばかりか、口が取り憑いて、それまでの都市伝説や古くからの妖怪などの――つまり夢のような存在が、現実に現れたのだ。
呪いとは、相反するものが混じり合うコトなのかもしれない。
「あれー? 明璃お姉ちゃん、お風呂入んないの?」
「なんか話し声がしたけど、そこに誰かいるのかしら?」
メリーさんと花子さんが明璃と会話している。なぜかイヤな予感がした。
「それはね……警戒してるのよ。サトルがね、そこにいるから」
「おまっ、濡れ衣着させる気か!?」
「悪いオトコには……こう!」
仕切りを飛び越えて、熱湯の奔流がサトルに降り注いだ。
「あちゃちゃーッ!」
「どう? かわいい女子たちが浸かったお湯を浴びた気分は。こう言うとトクベツにならない?」
「そんなコト言われたらドキドキする……いや熱いとしか感じねーわ!」
「あら、意外とお利口さんね。喜ぶと思ったけど」
「人をヘンタイみたいによォ……」
仕切り越しからでも、花子さんがイタズラに笑うのが想像できる。急に降ってきたから少しお湯を飲んでしまったのは、黙っておこう。
「聞いちゃったよサトル兄ちゃん。アタシのコト、夢って思ってるの?」
「思っちゃいないよ、メリーさん」
「ホントに? だったら……またそばに行ってあげる」
「おい、それって……」
「隣にいるよー」
サトルはすぐに目をつむった。恥ずかしさと、見てはいけないという謎の正義感があったからだ。
「サトル兄ちゃんウブだねー! わたしみたいなちっちゃい女の子相手にィ〜!」
「自分のチカラをそんなふうに悪用するなよな! そんな煽り散らすなら、もうさん付けしないぞ!」
「じょーだんだよ。アタシもサトル兄ちゃんといっしょだよ。安心してください、巻いてますよ!」
「タオルを? ホントか……?」
疑いつつ薄目を開けると、あんのじょうだった。そして、すぐに目を閉じた。
「わたしを見ても夢と思わないでしょ? 次は……触ってみるぅ?」
メリーさんはサトルの手を持ち、自分の身体にサトルの手を這わせる。指先には硬く、小さな曲線状のものが当たった。恐らく肩だ。そう信じたい。
「あーもうダメダメダメ! 明璃、なんとかしてくれーッ!」
「ふふっ。メリーちゃん、サトルをあまり困らせないであげて」
「あー、おもしろかった。隣!」
「ほら、もういないわよ」
目を開けると、そこには誰もいない。奥のほうで魅人が目を見開いているが。
「どう? わたしは在たでしょ?」
「……上がる!」
大して風呂に浸かってないが、のぼせ気味になった。理由は明白だ。間違いようのない、人の見た目と肌の感触。これが夢のハズがない。
だが、冷静に考えてみれば。いきなり金髪の女の子が一糸纏わぬ姿で男湯に現れたら、現実と思うだろうか?
「……ンなワケないだろ」
サトルは苦笑いを浮かべた。




