天狗様の砂遊び
── 東京都・旧乙筒木村
古梶山は東京都と山梨県に跨ぐ絹糸山脈の一部を形成する、なだらかな山だ。標高は約1800メートル。絹糸山脈を水源とする葉等川の上流部に存在した乙筒木村に、ダムは建設された。
ダム建設には障害が多く、まず水没する村の住民に対する交渉がある。しかし時間は全くかからず、すぐに建設は進められた。
村民たちは不気味なまでに協力的だった。その裏になにかを隠し、あるいは忘れ去り、水に流したいモノがあったのだと、オカルト界隈でウワサは絶えず、赴き、そして変死した人間もいる。友が失踪した高校生もいる。
なにかがある。そんな確信がいよいよ深まる。そんな古梶山に最初にたどり着いたのは、三郎天狗だった。
「ふむ。これを見るに、存外大きな湖じゃ。村ぐるみで隠したいものがあり、それが空妖絡みならば、気づけなんだ守護天狗の責任でもあるが」
砂でできた雲に乗りながらダム湖を見渡し、その隣に位置する古梶山に砂を降らせた。すごい速さで山中に向かう、なにかを乗せた四足の動物の反応があった。
「うむ、これじゃな。空妖戦になるのは必至、気を引き締めねば」
砂の雲は急降下し、木々を潜り抜け、それの前に立つ。
三郎の目の前にいたのは、明璃を背に乗せたオオカミだった。明璃はうつ伏せになってぐったりしている。息はしている、寝ているだけのようだ。
「禅院の呪継者が言う通り、キサマが一匹でないならば……」
上から降ってくる影がみっつ、一直線に向かってくる。相手の能力を探る余裕もない。
「分が悪い。手の内全て見せてでも、奪還させてもらおうッ!」
三郎の顔に身につけているトリを模ったマスクのクチバシがひとりでに開き、開いたクチバシは光を放ち始めた。
「狙いは足……!」
もちろんオオカミが明璃を盾にする可能性も考慮し、追ってきた3匹のオオカミを砂の壁に囲んでから、攻撃を試みる。
開いたクチバシの先端に光が集まると、クチバシは閉じ、一筋の光線を放った。それはオオカミの足を貫き、後ろの木までも貫通した。
しかし光線が当たったそばから、丸く空いた傷は塞がっていた。オオカミは明璃を下ろす様子もなく、止まる様子もない。
「なるほど。よくわかった」
三郎はわかったコトを整理した。
ひとつは、このオオカミは明璃を生かす必要があると考えている。ひとつは、オオカミの能力は傷の再生。もうひとつは、また別のオオカミ複数匹が山を駆け降りてきているコトだ。
これらの結論が――
「想像よりも、厄介そうじゃの」
人質がいる以上、一瞬たりとも後手に回っていられない。
煩わしさを覚えた三郎は砂の壁を解体し、その砂で明璃を持ち上げつつ、足下に砂雲を作り、上空に撤退した。
難なく明璃の奪還は成功。
「おい、起きないか」
眠っている明璃に声をかけても寝息を立てているだけで、反応はない。
「まるで夢を見ながらここまで来たようじゃ」
眼下のオオカミたちはジッと睨んでいる。空を上っていく能力はないと見ると、牽制に光線を一発放った。
「ふむ。反撃の手立てもない、か」
オオカミは避けるだけだった。欲しいデータが集まったところで、明璃を保護しようとした、そのときだった。
オオカミの遠吠えとともに、風もないのに木々がざわめく。どこからともなく視線を感じる。揺れてもないのに、地鳴りのような音がする。
急いで明璃をどこかへ下ろしたほうがいいと思った矢先、三郎の背中にプレッシャーがのしかかる。冷たい殺気が全身に降りかかる。
「……お出ましか、吸血鬼」
三郎は感じた。千年もの昔からこの日本に確かに存在していた鬼、それの気配を。それも、日本には滅多にいない吸血鬼。三郎のマスクの下は破顔していた。
「今の今までこんな気配を見落としていたとは。なんたる不覚か。やはり予想以上じゃ。ずっと日本に潜んでいたのかの?」
プレッシャーの方向から感じる強い憎悪は、まるで古梶山全体から発せられているようだった。だからこそ、余計に三郎は笑う。強者との戦いを待ち望んで。
「生半にはいかんな。お楽しみは、この少女を降ろしてからじゃ」
内心ウキウキで砂雲を翻したときだった。古梶山が光を放つ。それは三郎もよく知っているものだった。
「むッ、夢の通い路か!」
自分に向けられたものではないのは、三郎自身わかっていた。夢を見るのは、眠るものだけ。その光が放たれた途端、三郎の後ろにいる明璃はうなされ、暴れはじめた。
「ぬうッ、暴れるでない! 頭を殴るでない、蹴るでない!」
砂雲から落ちる危険がある以上、止めなければならない。三郎は着ている結袈裟をまさぐり、霊桜の花びらを取り出した。
「夢には夢を。馬鹿らしい夢で、悪夢を上書きしてやろうぞ!」
この花びらに込められた夢は、空妖・あずき洗いとの対決の記録だった。
シャカシャカシャカ……
シャカシャカシャカ……
シャカシャカシャカ……
川で懸命にあずきを洗うソイツに対して、砂でひたすら邪魔するだけの映像は音も含めて不快だったようで、明璃をより暴れさせた。
「シャカシャカ……うるさい」
「むうッ、寝言! これではダメじゃったか!」
「行かなきゃ……」
「また寝言を……なに?」
「あそこまで、行かなきゃ」
明璃は砂雲の上で立ち上がり、そこに床があるような足取りで歩きだした。当然、砂雲から落ちる。
「なにをやっとるかァァーッ!?」
人間の落下速度よりも速く砂雲を急降下させて、地面に叩きつけられる前に明璃を抱える。
間一髪だ。
木々の隙間を縫って砂雲を操作し、再び空に昇ろうとするも、目の前に前脚を振り上げ、攻撃の構えを見せるオオカミが現れた。
これに直撃してしまえば元も子もない。三郎は砂雲に急ブレーキをかけると、これ見よがしにオオカミたちがにじり寄り、囲む。
「見たところ十匹。まだいるな」
オオカミは裂けた口から牙を剥き出す。今にでも襲われかねない雰囲気に、三郎のマスクの下も満面の笑みを浮かべていた。
「まとめて相手したいところではあるが、人命を優先せねばならんのでな」
三郎は手のひらの上で砂の渦を作ると、それをオオカミにぶつけるワケでもなく、地面に落とした。
「雲から降ろすのは悪手だったかもしれんぞ。……わしは逃げ上手でな。その方法も、ちと過激じゃぞ?」
カチカチと音を鳴らす砂渦は落ち葉を巻き込むと、回転はさらに加速し、摩擦熱で炎を起こした。火の手は黒煙を上げ、みるみるうちに広がる。
故意に、山火事を起こしたのだ。
「ほれ、ほれほれ。次はおまえたちが逃げる番じゃ。その毛皮ごと燃えてしまうぞ?」
ケガがすぐに治るオオカミの空妖も、さすがに炎には近づかず、三郎から遠ざかる一方だった。その間に砂雲を再び浮かばせ、避難する。また明璃が動かないように、砂できっちりと囲いを作った。
「アリの子が散るように逃げたのはよい。だがプレッシャーも消えた。結局、吸血鬼は姿を現さなんだか」
両手をかざし、視界に見える全ての砂を持ち上げ、火の元に落とした。波が引き返すような音が止むと、辺りは暗くなった。
「消火も奪還も完了はいいが……どこで降ろすかじゃのう。オオカミどもがジッと目を離さないのも不気味、ここを離れても追いかけてきそうじゃ」
明璃の寝息がおだやかになったが、また夢にうなされないよう、しばらくは見張らなければならない。
「人の子らは自動車で来るようなので、そこで合流すればよいかの」
突然、一匹のオオカミが吠えると、そのオオカミは走り去った。一匹だけ。行き先になにがあるか『砂察知』すると、翼の生えた人影のシルエットが見える。
「速かったな。恐らくヤツと対峙するコトとなろうが、これからの戦いへの試金石じゃの。……気張れよ、禅院の呪継者」
砂雲はその場に留まり、三郎は鎮座する。これから起こる戦いに、胸を躍らせながら。




