見えない足跡を追って③
いつの間にか日が落ちていた。山間から見える星はまばらで、明かりはなにひとつない。月明かりすらもない。視界も足場も悪い中で、証悟はひたすら古梶山を登っていた。
息を切らしながらも、それでも足を止めなかった。血走った目をした証悟を止める人間はどこにもいない。もちろん、この光景を夢で見ているサトルにも止められない。
「思い出したくもない道だ……!」
静まり返る山中に聞こえるのは、水のせせらぎ。覚えがある道だが、小川に架かっていた橋は朽ち果てていた。まばらに飛んでいるホタルに目もくれず、証悟は足を濡らし進んでいく。
狂気すら感じる歩みを見て、サトルはふと、『彼を助けて』という声を思い出す。それがどういう意味なのか、直にわかるだろう。躊躇のなさに確信した。
山道を歩き続けると、ついに石造りの祭壇に着いた。かつて、ゆかりが跪いた祭壇に、証悟があぐらをかく。
「オレが来たぞ、ゆかりッ!」
度を超えた大声に、サトルは思わず耳を塞いだ。そこら中の木に止まっていた鳥たちが、一斉に飛び立つほどだった。
再び訪れる静寂とともに、木々の奥からふたつの光る点が次々と現れる。唸り声もする。しかし証悟は全く動じず、再び怒鳴り声を張り上げた。
「あのときと同じだな畜生どもッ! ゆかりはどこだ!」
狼神様と執拗に言っていたので仮にオオカミだとして、あのときとは20年以上の時が経っている。寿命を迎えているだろうから、そのオオカミとは違うだろう。
それでも証悟のタンカには、一斉に吠え出した。獣とは思えない連携だ。
「誰のためによ、ゆかりは犠牲になる必要があったんだ。村の人間どもか、それともおまえらのためか? 後者だったら恨むぜ。この山から出られない、取るに足らない命のクセによ!」
恨みのこもった怒声に、ふたつの光る点は木から飛び出し、シルエットを作り出した。その見た目は、やはりオオカミそのものだった。真っ黒な毛皮で覆われ、瞳は黄色く、想像を超える大きさだった。
それが証悟の目の前で、鼻にシワを寄せ、キバを剥き出しにしている。噛みつかれるものなら、すぐに喰われてしまうような迫力があった。荒い息が顔にかかっても、証悟は怖気づくどころか、むしろ笑った。
「ハハッ、人を見るのは初めてかい? ワン公」
オオカミが裂けた口を大きく広げた瞬間、女性の声がした。
『みんな下がって。いい子だから』
オオカミたちは森の中に消え去った。証悟は立ち上がり、眉間にシワを寄せ困惑する。
「……なんだよ。ゆかり、どうなってるんだよ。子供をあやすみたいに」
『証ちゃん、来てくれてありがとう。そのまま真っ直ぐ歩いてくれる?』
「……言ったとおりなんだろうな? いい子だからって」
『もちろん。足下暗いからね、ゆっくり来てね』
証悟は祭壇から降り、言われた通りに歩き始めた。暗闇に目が慣れたのか、木々の隙間を避けていく。
横に後ろに目を向ければ、オオカミたちが目を光らせている。ゆかりの言いつけを守っているのは、どういう関係だろう。襲わないとは言ったが不安なモノは不安だ。
『あっ、ここで止まって。そこに穴があるでしょう?』
目を凝らすと、山腹に穴が空いている。屈めば入れるくらいの大きさだ。
『見えた? そこに来てほしいの』
「来られない理由があるのか?」
『ええ。私を見てもらえたら、理解してくれると思うわ』
「ワケがわかんねえよ……」
証悟はぶつぶつと呟いて、暗い洞穴に入る。夜の暗さに慣れたとはいえ、段違いに暗い。
「どこまで歩けばいい? おっと、声がよく響くな。広いのか」
『そこで止まって。躓くから』
「なんだ、この曲線は。根っこ?」
『それを跨いでね。あとは真っ直ぐ歩いて……ここで止まって』
声が近い。ゆかりがそこにいるのは間違いない。
「いい加減こっち来いよ。帰ろう、こんなトコに留まってないで!」
『ダメ。それはできないの』
「なんでだ!?」
『見せてあげるから。……みんな、集まって』
オオカミが集まるのかと背後を警戒するも、それは間違いだった。ゆかりの呼びかけに応じたのは、無数のホタルだった。広い洞穴を照らしながら、証悟を横切り、一点に集まると、それは浮かび上がった。
「久しぶりだね、証ちゃん」
「な、なんだよ。コレ……」
証悟とともにサトルも愕然とした。目の前にあったのは、女性が付いた木だった。肩から下が幹と一体化しており、突き出た肩から伸びる腕も細い枝と化し、その先には小さなザクロのような果実がなっている。
「私だよ、ゆかりだよ。だいぶ変わっちゃったけどね」
ゆかりの目も口も開かない。たしかに老婆の言う通り、死んでいない。
「ウソだ……ウソだッ!」
「ホントだよ」
ひたひたと足音がする。振り返ると、オオカミが証悟に無視し、ゆかりの前に来た。そして小さな果実を食べた。
「いてて。どう、おいしかった? ……そう、よかった」
オオカミは満足と言いたげに、ゆかりの顔を舐め回して、また外に出ていった。
「証ちゃん。私ね、贄になったあと、オオカミに育てられたんだ。この子たちはね、空妖っていうんだって」
「知るか知るか知るか! オレはゆかりに会いにきたんだ! どこにいるんだよッ!?」
「あの子たちは狼神様って崇められてたけど、親が欲しかったみたいでね。だからね、私がお母さん代わりになってるんだ。育ててくれたお返しにね」
「人がッ! 木と一体化するワケないだろッ! どこだ、ゆかりはッ!?」
「……聞いて、ホントなんだよ。小さい頃言ったよね。証ちゃんの夢も私の夢も、叶えられなくなっちゃったね」
「……ウソだ。それを知ってるのは、ゆかりだけじゃないか」
証悟は膝から崩れ、涙を流した。傍観しているだけのサトルも、なぜだか苦しくなる。
「大人になった証ちゃんも見れたし、好きだった絵も描き続けてるってわかったし、今日はいい日だった。証ちゃん、がんばってね。いつまでも応援してるから」
ゆかりは枝になった腕を、証悟に向かって伸ばすも、彼は見向きもしない。
「クソッ! クソッ! こんな現実があってたまるかあああッ!」
「あっ、証ちゃん!」
ノドを枯らし、走り去っていったのを見届けると、サトルの頭上に光が降り注ぐ。
夢から覚めるときだ――
「はッ!?」
「わあっ!?」
サトルは息を荒げながら目を覚ました。悪夢を見て間もない暗い気持ちと痛みが胸中を支配するも、隣で驚いている樫見を見て、落ち着いた。
「樫見さん、オレをずっと?」
「……はい。とてもうなされてて。だ、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫、大丈夫。いや、ちょっと恥ずかしいな、この歳で悪い夢に怖がって」
ぎゅっと握られた手を見ながら、サトルは微笑む。
「悲しくて、つらい夢だったけど、でも、樫見さんがいてくれてよかった。ありがとう、傍にいてくれて」
「い、いえ。わたしなんか、これくらいしか」
「これくらいなんて……。樫見さんがいてくれたから安心できたから」
「――それが、言えなかったっていう夕七のモテる要素?」
「そうそう。なんというか、安心感がね……」
サトルは無意識に答えたあとで我に返った。いつの間にか、バケツを持ちながらニヤニヤしている花子さんがいた。
「ふたりとも手繋ぎながら顔真っ赤にしちゃって。どう? 水ぶっかけて消火する?」
「やばい、恥ずい! 被りたい、水!」
「やっぱナシ。これがホントの水いらずってヤツね。バーイ」
「おま、水差しに来ただけか!?」
花子さんはクスクス笑いながら、図書室を出て行った。時計を見ると、休み時間は終わりそうだった。
「HRに戻ろうか……」
「は、はい……」
ふたりは司書の先生の冷たい視線を背に、図書室を出て行った。悪夢を見た気分など吹っ飛び、気まずさと高揚感がそれぞれ同居するドキドキが胸を支配した。
「あ、あのっ。さっき言ってくれたコト、ホントですか?」
「……どうだと思う?」
「ズルいですよ、その言いかた……」
それでも、手は繋ぎっぱなしだった。




