見えない足跡を追って①
午前の授業が終わって昼休み。サトルはすぐに弁当を食べた後、図書館に向かった。古梶山の麓にある村について調べるためだ。
まずネットで検索してわかったコトは、そんな村はもう存在しない、という現実だった。かつて乙筒木村という地名はあったようだが、しかし――
「まさか……ダムの底に沈んでるとは。古梶湖ってダム湖なのかよ」
夢で見た景色はなくなっている。なのに『私を見つけて』と言ってきた声の主は、なぜしつこく夢を見せてくるのか。
古梶山で見つかったという変死体というのも、偶然にしては気になる。
「わからん、なにもかも。声なんてほっといて宿題やってたほうがいいかもな」
図書館は静かだ。ここならば、きっと勉強は捗るだろう。やる気があればのハナシだが。
「……あれ? 珍しいニンゲンが来てるわね」
そんな静かな空間に響く、わざとらしい大きな声。聞き覚えがある。
「こんにちは、禅院サトル」
赤いワンピースにおかっぱ頭の女の子。声の主は、ご存じトイレの花子さんだ。今日は図書館に出没しているようだ。
「よう、花子さん。図書館は静かにするところだぞ」
「アタシの声なんて、誰も聞こえないでしょ。みんな凡人ばかり」
「オレが変人みたいじゃないか」
「合ってるでしょ?」
「ノーコメント。図書館ではお静かに」
花子さんも空妖だが、バクとは違って人形の空妖に分類される。人形の空妖を視るには、俗に言う霊感と呼ばれる霊妙な感性が必要だ。
「ここに花子さんがいるってコトは?」
「あっ、禅院くん……」
「樫見さん。ここで会うのは初めてだ」
「アンタが図書館に来ないから会わないんでしょ。夕七はよく来てるのに」
「なるほど。樫見さんが頭いいのはこういうコトか」
「あはは……そんな」
樫見夕七と花子さんは友達同士で、よく行動を共にしている。
「それで、どうしてアンタが図書館に用があるの?」
「そりゃ調べものがあるからな。花子さんこそ、なんでいるの?」
「トイレはもう飽きたの。これからは図書館の花子さんとして、イメージアップに取り組むわ」
「いいね、面白い冗談だ。ホントは?」
「夕七に悪いムシが付かないためよ」
「は、花子さん?」
樫見も初耳だったようで、驚いた様子を隠せない。それも本音のトーンだったため、余計に驚いた。
「悪いムシって?」
「周りを見て。意外とね、見られてるでしょ。男子どもから」
「ああ、悪いムシってそういう……」
そう言われてみれば、マンガを読んで小声でダベっている生徒たちや、長机にノートを広げている、いかにも勉強が出来そうなメガネの生徒の視線がある。
「は、花子さん。それは偶然じゃないかなって……。気にしすぎですよ」
「夕七……。いい、夕七。男はオオカミなのよ!」
「わあ、時代を感じるフレーズ。……まあオレも悪い意味で有名人だから、それで注目集めてるのかもなあ」
サトルがメガネの生徒と目が合うと、咄嗟に机に向かいあった。あんのじょうかもしれないと思った。
「ってコトは、オレが樫見さんのそばにいればいいんじゃ?」
「えっ!? そんな、悪いですよ……。わたしなんかに」
「ほらオオカミが寄ってきた!」
「あっ、オレも入ってるのね!?」
花子さんはサトルの首に一滴の水を垂らした。出処が不明だが、花子さんの能力であるコトには間違いない。
「どうすればいいのかしら……。男から見て夕七がモテる要素って、どこだと思う?」
「ちょっ、あの、花子さんっ」
「なんだよその質問……。言えないよ、本人の前じゃ」
「へえ、あるんだ。それだけ聞ければいいわ」
「樫見さんを困らせるなよな、まったく。親しき仲にも礼儀ありだぞ」
「そうね、言うとおりだわ。ごめんなさい、夕七」
口では謝ってはいるが、白みを帯びた口角は上がっていた。目に見えて楽しんでいる。
「あー楽しかった、やっと本題に入れるわ。それで調べものって? 古梶山のコト?」
「そう、それ! でも、なんで花子さんが?」
「わ、わたしも気になったんです」
もじもじしていた夕七が顔を上げ、食い気味に、自信満々に答えた。
「ネットで調べたら、気になる名前があって。あの、ちょっと着いてきてもらっていいですか?」
樫見の後に着いていくと、通常よりも大きな本が並ぶ本棚に案内された。貸し出せない画集コーナーだ。
「この画集が……よいしょ」
その中でも特に分厚い画集を手に取り、長机にやさしく置いた。表紙には、藍原証悟作品集と書いてある。
「なにか役に立てればと思って……」
「……証悟。夢の中で聞いた! 絵が上手いとも聞いた! ビンゴじゃないか、これは!?」
「図書館では静かに、でしょ?」
サトルは興奮して、つい声が大きくなった。ついでと言わんばかりにページのめくる音も大きくなる。ほとんどが変わり映えのない田舎の風景画だが、小さく書かれたタイトルの『乙筒木村・遠景』を見逃さなかった。
「すごいぞッ! 樫見さん、すごいよ! 教えてくれてありがとう!」
「えへへ……。役に立てたみたいで、よかったです」
村がダム湖に沈むよりも前に描かれたのは、間違いない。もしかすると、沈むとわかったからこそ描いたのかもしれない。
こうして画家となって、しかし幼馴染を失い、のちに沈みゆく故郷をどういう思いで描き、生きたのだろう。画集にはありのままが描かれている。人も空も、なにひとつ気取っていない。ページをめくるたび、不思議と親近感が湧いてきた。
(藍原証悟、か。……あんたはどこにいるんだ)
そんなコトを思いながらページをめくっていると、脳裏に焼きついた光景があった。角の欠けた石造りの祭壇が描かれている。
「ここ、証悟の友達が――」
その絵が目に入った瞬間、あのときの声が聞こえてきた。
『お願い……あの人を、証悟を助けて。私を見つけて……』
「藍原証悟を……? ってコトは、あんたはゆかりさんなのか。なにがあったんだ!」
『私を、見つけて!』
「もう、なんでこう一方的なんだよ。見つけてどうしてほしいんだよ、誰か説明してくれよ!」
女性の声の要望に頭を抱えていると、絵が光りだした。目も覚めるような眩しさだが、逆に眠くなる。夢の通い路だ。
「あッ、やば、眠気ッ」
「ぜ、禅院くん。貸出不可の本の上で寝ちゃダメですよ!」
眠気に抗えず寝落ちする前に樫見が画集を下げたので、サトルは机に勢いよく頭をぶつけた。
「ぶッッッ」
「ああっ、ごめんなさい!」
痛みで声が出たのも束の間、すぐにおだやかな寝息を立てた。
「大丈夫そう。よかったあ……」
「いや、よくないわよ。もう休み時間終わっちゃうわよ」
「わっ、もうそんな時間ですか! 楽しい時間は、あっという間だなあ」
サトルを起こそうとして、やさしく背中をさすったり、ささやいても、ピクリとも動かない。花子さんは呆れ気味にため息をついた。
「禅院くーん、起きてくださーい……」
「こらこら、起こす気ないでしょ。そんな小さい声で」
「い、いや、そんなコトは」
「ひょっとして、ずっとこうしてたいとか思ってなぁい?」
「えっ!? うう……」
「もう、耳を真っ赤にして。甘っちょろい夕七に変わって……。起こすにはこうするッ!」
「頭がガクンってなったあ!?」
花子さんはサトルが寝ているイスを少し引く。机に伏せてる顔がさらに床へ向いても、まだ起きない。
「チッ、起きなかったか。水持ってくるわね」
「ま、負けず嫌い……」
花子さんが図書館から出た途端、サトルがうめき声を上げだした。
「ぜ、禅院くん、どうしよう……」
どんな夢を見ているのか、樫見には想像がつかなかった。全然起きないし、できるコトは見守るだけ。
「……ううん。せめて、これだけ」
しかし、首を横に振ってすぐに思い直して、サトルの手を握った。
「禅院くんだけが苦しむのは、見ていられない!」
樫見は少しでも、サトルの苦しみを共有したかった。うなされるくらいの悪夢から、すぐにでも覚めるように、祈るしかできないのだけれど。




