プロローグ 誰かの夢
── 東京都・昭鳥市
週初めの月曜日の放課後にて、勝手に設立したオカルト研究部、その部室で禅院サトルは唸りながらペンを走らせる。
「んー……。うーん」
冷房のない部室に、少しでも涼を感じるようにと飾った風鈴の音が、むなしく響く。
「あのー、明璃さん。この問題集、全然終わらないんですよ。答えを写しながらやってもね、終わらねえんですよ」
「サトルくん、コレね、みんな夏休み中に終わらせてるの」
「ええ〜? マジにぃ〜?」
サトルの幼馴染である紫城明璃は、長机の角に座ってただ事実を言うだけだった。
「なんでだ、どうしてこんなコトに……」
なんでと言っても理由は明白だった。夏休み中、サトルは女の子になっていたからだ。比喩でもなんでもなく。身体の変化に戸惑い、そして原因を追って解決したうちに、夏休みはウソのように颯爽と過ぎていったのだ。
「1ヶ月も後で、夏休みの宿題を提出しようとする男が、いるんですよ〜」
「なァーにィ〜! やっちまったなあ!」
「男は黙って」「提出拒否」
「男は黙って」「提出拒否」
「内申点、ガタ落ちだよ〜」
そんなサトルを、スマホを弄りながら見ている同級生がふたり。真島悠吾と千田魅人だ。この魅人も、夏休み中はサトルを中心にとりまく性転換の呪いに振り回されていたが、終わってみれば部室に居着く仲になった。
「やかましいわ真島ァ! 魅人も!」
サトルのツッコミに、真島と魅人は顔を合わせて笑いあった。
「でもさ、ホントにヤバくない? 進級できる?」
「ええっ!?」
明璃の何気なく呟いた一言に驚いたのは、サトルではなく樫見夕七だった。みんなのやりとりを微笑ましく見守っていた彼女の顔は、焦っていた。
「禅院、そうなったらたまには遊びに行ってやるよ」
真島もそれに乗っかって冗談を言うと、樫見は首をブンブン横に振った。長い黒髪が荒ぶる。
「そ、そんなのイヤですよ! わたし、禅院くんのおかげで学校に来られるようになったのに、来年からいないなんて……」
「あっ、その、夕七ちゃん、半分冗談のつもりで……。書けーっ! サトル、手を動かしてーっ!」
「はい明璃先生!」
もはやヤケを起こしたように問題集の答えを書き写す。筆圧が濃くなり、字や計算式がどんどん雑になっていくが、この際どうでもいい。
「フフ、呪いを背負うってのも、大変だな。サトル」
サトルのすぐ背後で、なおも笑う声。サトルの背中に取り憑いている口の姿をした空妖、バクだ。
「他人事みたいにさ。オレは集中してるんだ、口を動かさないで手を動かしてる真っ最中!」
「むっ、ワタシに対するイヤミか?」
サトルは呪われていた。かつて先祖が『かるま』という鬼に、幽霊や空妖や――空妖とは、平たく言えば妖怪――と引かれ合う呪いをかけられたからだ。
だが呪いとはいえ、バクがいなければ、サトルは樫見や魅人と仲良くなるコトはなかったかもしれない。それはサトル自身がよく理解していた。
「バクが手を動かさないのは、まあ……事実だろ?」
「フフ、なにも言い返せないな」
呪いが結んだ不思議な縁を噛み締めながら、サトルは少し変わった日常を過ごしていた。
「ねえねえ、『コワスギチャンネル』って知ってる?」
魅人がスマホを弄りながら、誰に言うでもなく訊いた。それに真島は何気なく答える。
「それ、心霊スポットに行ってるユーチューバーだろ? 半分、迷惑系の」
「そうそう。その人が遺体で発見されたって。ツイッターで流れてきたよ」
「ちょっと見せてみ。……へえ、人里離れた山中で、カラカラのミイラになって発見、か。……それが?」
「えっ? だってココ、オカルト研究部なんでしょ? 気にならない?」
「わりとどうでもいいね!」
「ええー? ウソ? みんなもそんなカンジ?」
魅人は明璃と樫見のほうを見る。
「まあ正直、建前みたいなモンだしね。そもそも、そのオカルトと共存してるのが当たり前になってるし」
「果たして、いるコトがわかっているのに、まだオカルト言えるのだろうか?」
明璃は机から降り、サトルの背中をジッと見つめる。バクはいたずらっぽく舌をべっと出した。
「そうね。バクちゃんをオカルトとは思えなくなったくらいには、サトルに毒されたのかも。もうペットくらいの距離感よね」
「いや言い方!」
すかさずサトルは手を動かしながら、一言ツッコミをいれた。
「わ、わたしは……。友達といっしょにいられるから、ここに来てるだけなので」
「おれも樫見さんと同じく!」
魅人は頬を膨らませた。
「こうやってダベるのも楽しいんだけど、せっかくだしなあ、部活っぽいコトやりたいよ。遠征とか!」
「オカ研の遠征ってどこかの廃墟とか墓場とか? ダメダメ、そこら辺はやべーヤツらの溜まり場になってるよ」
「それは……。よくわかってるつもりだけど」
「けっきょく、生きてる人間が一番怖い的なね。まっ、よくあるオチよね」
「わたしは……禅院くんが進級できないほうが怖いです……」
「樫見さん、オレがんばるから!」
オカルト研究部なのに、妙な冷めっぷりに魅人は驚いた。
「たしかに、ボクもウンちゃんはもちろん、火を吹くキツネ、それにご先祖様の幽霊と会ってビックリしたけど……。サトルくんはどう思う?」
サトルのペンの動きが止まると、また唸り出した。
「遠征っていうとなあ、空妖退治を思い浮かべちゃって」
「すごい物騒! 昔の武士みたい!」
「しかも空妖って、死ぬとなにも残せないんだってよ。骸も記憶も。記録には残るらしいけど」
「じゃあ、ウンちゃんもそうなのかな……」
「どうだろうな。でもそれを思うとさ、遠征とかもして思い出を作りたいよな。この短い高校生活、後悔しないように」
「な、なんか、こんなコト聞いてごめんね。こう、意味合いが重くなっちゃったみたいで……」
「わはは。いまさら夏休みの宿題終わらせようとしてるマヌケに謝るコトねえよ」
サトルは自虐して笑ったあと、しみじみと思い、そして口に出した。
「だけど……後悔のない生き方なんてあるのか?」
「またそういうコト言う! ほら手を動かしてほら!」
「はい明璃先生!」
サトルは再び机に向き合い、ペンを握った瞬間、急に甲高い音の耳鳴りに襲われた。まるでネコ避けの超音波がトンネルで反響しているような音だ。
一瞬驚いたが、なぜだか不快ではない。耳鳴りの遠くで声が聞こえた気がした。ペンを置いて耳を澄ますと、聞いたコトのない女性の声がする。
「なんだ……?」
「ほらほら、手を動かす!」
「いや、静かに」
サトルは前をジッと見据え、しかしなにも見つめていない。明璃はただならぬ様子と声の低さに戸惑いながらも、他の3人に静かにするように人差し指を顔の前で立てた。
「……なにか聞こえるの?」
明璃は小声で訊く。サトルは小さく頷いた。
「やっと、繋がった――って。なにが? 誰なんだ?」
見知らぬ声は、しだいにハッキリと聞こえる。
『お願いです。……助けて。あの人を、救ってください』
「なんだッ、敵か!?」
『そして、私を見つけて!』
サトルは立ち上がり叫ぶも、声と耳鳴りは止まった。途端、世界は無音になった。明璃がなにか言っていたが、なにも聞こえなかった。
ただひとつだけ、風鈴の音だけが耳に届いた。その刹那――眩しい光が辺りを包む。サトルはこの感覚を知っていた。
「サトル、この光がキミの言っている夢の通い路か?」
「ああ、きっとそうだ。バクも来てくれ」
「わかった。チカラを共有しよう。しかし……キミと同じ夢を見るとは、胸が躍る話じゃないか」
「胸なんてないクセに」
「フフ、そうだったな」
声の主は夢を見せて、なにかを伝えたいのだろう。そのメッセージを受け取るべく、サトルたちは誰かの夢に飛び込んでいった。
「……しかし、また宿題出すの遅れそうだな。いやー、困った」
「白々しいな。もう提出する気ないだろ、キミ」




