もう3匹の空妖、燐狐①
「……おまえは千田鋼成!? 。なんで今頃になって化けて出てくるんだァ!?」
燐狐の視線の先に、確かに存在する半透明の人影。世に未練を残した――つまり幽霊だが、その黒い眼差しは静かな夜のように、安らぎすら覚える。
「君たちが拙者の子孫じゃな」
その眼差しを、魅人と父に向ける。
「は、はい。ご先祖様、お会いできて光栄です」
魅人は大きく頭を下げた。父も促され、頭を下げる。
「ずっと草葉の陰から見守ってきたが、この神社がよもや幾百の時を経ても存続しておるとはな。この世は諸行無常だというのに、なかなかどうして……」
心底うれしそうに喜ぶ反面、まるで隙がない。燐狐が動けないのもよくわかる。
「さて、あのとき討ち漏らした……、拙がこの世に留まり続ける元凶を断とうか。わっぱ、君の身体を貸してもらいたい」
「あ、力が欲しいってそういう……」
真島は考える。幽霊に取り憑かれるってどういう感覚なのだろうか。怖いモノは怖いが、今は渡りに船、みんなを助けられるのなら――
「はい、どうぞッ!」
「ん? ……いや、その必要はなかったか」
「ええ?」
鋼成の透ける指の先に、なにかが動いているのが見える。あかなめが隠れた拝殿の裏からだ。辺りも暗いし、動いているのも小さくてよくわからないが、魅人は真っ先に気づき、声を挙げた。
「ウンちゃん!?」
「ウンちゃんって……千田が言ってた狛犬の空妖か?」
「危ないよ、逃げて!」
ウンちゃんは石の身体をぎこちなく動かし、燐狐に向かっていく。
「なんだこの小せえのは……」
燐狐は四肢を大きく開き、一瞬だけ身構えたものの、すぐに警戒を解いて、元の姿勢に直った。
「しかし空妖がぞろぞろ出てきやがる……。いったいなんなんだ。あっちらはニンゲンとは分かり合えねえモンさ、同じ言の葉を扱ってもな。そうだろう?」
踏ん張って吠え続けるウンちゃんに対し、燐狐は返事も期待せず語り掛ける。
「吠えるならよ、おめおめと逃げおおすときにしておけよな、負け犬ッ!」
燐孤は大きな尻尾を遠心力で振り回し、ウンちゃんを吹き飛ばした。魅人は駆け寄ろうとするも、鋼成が実体のない腕で静止を促す。
「心配無用、あやつは強い。まあ見ておれ」
鋼成の言う通り、ウンちゃんは立ち上がり、また吠え続ける。しかしその足元はおぼつかない。
「石の身体は燃えねえから面倒なのに立つんじゃねえよッ! 震えて吠えるだけなら石らしくジッとしてやがれ!」
それでもウンちゃんは吠え続ける。その傍らに、鋼成が浮遊してきた。
「相変わらず臆病風に吹かれておるな」
その声に振り向くと、丸まった尻尾をうれしそうにブンブン振り回し、飛びつこうとするも触れられず、うなだれた。
「まだ生きているおまえに役目を与えたいのだが、聞いてくれるな?」
ウンちゃんはその願いに先回りするように、燐狐のほうを向いた。
「うむ。ありがとう。おまえならできる。……忘れたワケではあるまい、おまえの真の名を、姿を」
さっきまでのウンちゃんとは別人――もとい別犬のように、静かに佇んでいる。四足は震えず、その瞳は燐狐を離さない。
「我が声に応えよ。其が名は叢雲、月海に這い寄る邪を討つ者なりッ!」
鋼成の呼び掛けに応えるように、ウンちゃんは夜空に遠吠えした。すると雲の切れ間から、剣のような三日月が覗く。か細く、しかし鋭い月光はウンちゃんに力を与えた。
「ウソだろ、コイツあのときの……!?」
石の身体はみるみるうちに膨れ、ゾウも斯くやと思わせるほどの大きさになった。月海神社の守護者・叢雲。その正体に燐狐は思わずたじろぐ。
「だがそんな大きくなって、ふつうに動けるのかよ?」
そう言ったときには、叢雲の強靭な前脚で吹き飛ばされた。すぐに起き上がるも反撃はしない。
「速さもイヌ並みかよ。心が折れるぜまったく」
その言動とは裏腹に、燐狐の表情はまだ笑っていた。
「天敵が現れたというのにあの態度。まだ秘めたチカラでもあるというのか?」
鋼成の疑問は空から降る砂によって解消された。
(今、もう3匹の燐狐が下山している。気を引き締めよ)
「はて、拙者の他にも霊が?」
「三郎さんの声だ! 御先祖様、たぶん砂から伝えているみたいです」
「三郎? ふむ、天狗殿のチカラか。この世の中、まこと奇怪よな」
拝殿の裏手から、ガサガサと草木が揺れる。風ではない。三郎が言っていた燐狐の群れだ。3匹同時に現れ、炎をまき散らす。
「「「ヒャッハー!」」」
「奇襲を仕掛けてきたか! 童、やはり身体を借りるぞ」
「えっ、あ――」
一言交わす前に、鋼成は真島の身体に溶け込む。一瞬だけ膝から崩れ落ちそうになるも、力強く前に踏み出し持ちこたえた。
「……ふむ。若く健康な身体だ。やはり大地に足を着けてこその命よな」
「感慨に浸ってる場合じゃないですよ御先祖様!」
「ふふ、わかっている。さあ叢雲、やろうかッ!」
一斉に降りかかる火の雨は、恐れるまでもなく、まばたきをするまでもなく、刹那の間に全て消された。鏡花旅楽を携えた鋼成の流れるような剣技が、叢雲の身を挺した防御が、恐れるべきを寄せ付けない。
「ふむ、こんなモノなのか。童の身体を傷つかせずおまえたちを倒すコトなど、造作もなさそうだ」
ダンゴになって身を固める燐狐は、4匹という数を誇っても、いよいよ余裕を見せなくなった。
「だが、この人数を守りながらよお、あっちらを倒せるのか?」
「自信がないのか? 訊くんじゃあなく、やってみせればよい」
「煽ってどうすんのさ御先祖様!?」
「このッ、後悔しやがれ!」
4匹の燐狐はグルグル回りながら円を作って魅人たちを囲み、それぞれが炎を吐く。誰が炎を吐くのかもわからない。
「君らは動くなよ、固まっているんだ」
「御先祖様……!」
魅人は弱々しく鋼成を見つめる。
「拙者を信じろ。必ず守る」
「お、お願いします」
その声も顔も真島のものだが、魅人はなぜだか胸がときめいた。
「さあ、やってやるぞ!」
4匹は飛び跳ねたり、走りながら炎を吐き出した。
「これでは拙も叢雲も、守るのに手いっぱいだ。ふふ、少なめの知能でよく考えたな。4匹寄れば文殊の知恵、と言ったところか」
「御先祖様ァ!?」
「傲慢な態度をやめろやッ! 死んだニンゲンがよォッ!」
「やめない。余裕だからな」
「殺すッ! 必ず殺してやるッ! 悪霊堕ちさせてやるッ!」
4匹が攻勢の炎を強めたところで、鋼成も叢雲もそれを断つ。様々な手段で繰り出されるが、意に介さない。それどころか、涼しく笑っていた。叢雲もそんな鋼成――が取り憑いている真島の笑顔――を見て喜んでいる。
「ハァ、ハァ……」
燐狐たちは舌をだらしなく出しながら、足を止めた。
「せいいっぱい足掻いたな。では、引導を渡してやろう」
(逃げろ――)
「うん? 声がする」
鋼成が鏡花旅楽を振り下ろうとした瞬間、再び砂が降り注ぐ。
(おまえたち、ここから逃げろッ!)
「天狗殿?」
(空から炎を纏ったなにかが来る!)
「ほう、まだそんな余力があるとは」
燐狐のほうを見ると、眉間にシワを刻んでいた。
「えっ? なにそれ知らん。コワ……」
「あー、ゴホン」
鋼成はわざとらしい咳払いのほうを向くと、目を見張った。
「ワタシが呼んだ。アナタが来るまでは、窮地だったからな」
「かわいらしい娘の背中に口が憑いているとは、ふふ、思いも寄らぬコトばかりだな。とにかく離れよう!」
鋼成の指示で階段のほうへと退く。
「ふぅ、ふぅ。てめーら、逃げる……なよ」
「リコとやら、悪いな。これからすぐに、もっと心が折れるコトが起こるが……。まあ、ワタシたちの縁を舐めすぎていたな」
サトミが背中を向けながら逃げている間に、疲れて動けなくなった燐孤にバクは笑いながら話した。
「ところで、なにを呼んだと?」
鋼成の質問にも、バクの笑いは止まらない。
「フフ、この言葉のとおりさ。『泣きっ面にサメ』ってね」




