夢を叶えるんだ!①
「オ、オオ、ゴメンナサイ……」
おだやかな浅瀬に、空妖のサメはさめざめとしていた。立派なヒレはボロボロになりながら、すっかり反省しているようだ。しおらしくなったサメを見て、サトルはため息をついて諭した。
「もう懲りただろ? これから人を襲っちゃダメだぞ」
「オ、オマエ以外、襲ッタコト、ナイ。ホント!」
「ホントか? でも先生たちを」
「ソレハ、事故未遂! 車ハ急ニ、止マレナイ!」
「ったく、物は言いようだな……」
サメは身体をビッタンビタン縦に揺らし主張する。自分が反応できなかったのも悪いし、ケガもなんともなかったのでサトルは悩んだ挙句、許した。
「それじゃあさ、なんでアタシを喰おうとしたんだ?」
サメは呪継者を食べれば存在できるようになると言っていた。死んでも記憶が残せるようにと。
疑問は疑問だが、サトルはウワサの出所など調べる気はなかった。ウワサなど、くだらない尾ひれがついたりして、常に形を変えていくものだからだ。ネットで炎上している話題を眺めていれば、イヤでもわかる。
それに長生きしているあかなめもデマと言っていた。あかなめは心底気持ち悪いヤツだが、そういうところは信頼できる。
「そんなに忘れられたくなかったのか?」
「ソレモ、アル。デモ、オデガ、ナリタイノハ――」
女になったサトルがなんでもありのサメと会話をしている。そんな光景を魅人は遠目で見て、呟いた。
「自由って、こういうコトなのかな……」
――サトルくんが無事だったのを安心すると、今度はどっと別の感情が湧いていた。羨望だ。
さっき先生が言ったとおり、サトルくんはやさしい。女装したボクと初めて話したときだって、似合ってるって言ってくれた。
でも、そんなサトルくんがなりたくもないのに女の子になって、しかも美人になって、複雑な気持ちになる。
「はいはーい! ただいま映画の撮影中ですのでね、あまり近寄らないでくださいね。ご協力お願いします!」
「にしても、スマホでホントに映画が撮れるんですよね。スゴいです、技術の進化」
「……言ってるコトが年寄りくさいですよ、小林先生」
今、一生懸命に先生たちが人払いしてくれている。あのとき言ってた『否定する強さ』ってなんだったんだろう。小林先生は身勝手さとも言っていたけれど。
たしかに思いあたる。入学してちょっとの頃、意見書に男でもセーラー服を着たいって書いたコトがある。なにか動けば変わるかなって、ちょっと期待した。だけど、なんの音沙汰もなかった。
服装なんて自由でいいのに、どうして受け入れてくれないんだろう。けっきょく大人は子供を縛る。だから須藤先生は苦笑いしたのかな、それを自覚しているから。
でも……向こうから見たら、身勝手なのはボクのほうなのかもしれない。男は男のカッコをするのが普通なのだから。けれど、身勝手と思われても、大きな声で言いたい。
――普通でいたら、ボクは自分じゃいられないんだッ!
だからこそ、ボクは女の子になって、女の子の普通を満喫したい。でも、その能力を持つあかなめは、全然乗り気になってくれない。
だからこそ、あのサメの能力が羨ましい。理想の姿形に変われる、あの能力が。……でも、誰かにボクのコトを、本当の女の子って思わせなきゃなれないのか。きっとバレたら、すぐにウソつき呼ばわりされるんだ。
「せ、千田くん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ……。もしかして、熱中症かもしれません」
いつの間にか隣に座っていた夕七ちゃんに気を使わせちゃった。
「……うん、大丈夫。ありがとう。さっき水分とったから」
「あ、よ、よかったです……」
快晴の砂浜に、気まずい時間が流れる。なにか言わなきゃ、と思ってると、夕七ちゃんからまた話してくれた。
「あ、あの……。千田くんも、変わりたいんですか?」
「えっ?」
変わりたいものなら変わりたい。でもあかなめが言った通り、性別なんてどんなにおカネを積んでも変えられない。
だから、あんな奇跡を見てしまったら……。欲が湧き出る。夢を叶えたくなる。
「うん、変わりたいよ。自分が自分であるために……」
「自分……。ステキですね」
「ステキって、なんで?」
予想外の反応だったから、つい早口で訊いちゃった。
「その、わたし、なんのこだわりもなく日常を過ごしてたから……。千田くん、インスタでも人気者なんですよね、すごいなあ」
その視線はサトルくんへと向いた。
「わたし、こうなりたいって、禅院くんに会うまで思ったコトなかったんです。だから、自分からこうなりたいって自分の道を進んで行けるのは、ステキだと思います」
「そうかな……」
なんだか、今まで言われてきた言葉の中で、一番うれしかった。その道の先は途切れているのだけれど、樫見ちゃんのそれを一言で表すのなら――
「夢に向かってるのは、みんなカッコいいです」
そう、夢。
「ところで、樫見ちゃんの夢って?」
「えっ? それは……」
すぐに顔が真っ赤になっちゃった。夕七ちゃんのほうが熱中症になっちゃいそう。
「夢かあ」
大人たちは、みんな夢を持てと言ってくる。それって、ボクのような夢でも?
好き勝手言っておいて、じゃあなんで国語の教科書に『山月記』だとか『こころ』を載せるんだろう。暗に「求めるモノには届かない」とか、「夢は破れるモノだ」とでも言いたいのかな。
そんなの、矛盾してるよ。その言い分もわかっているつもりだけど、やっぱり大人は身勝手だ。
でも、無理は承知な夢でも、叶えられるんだ。ボクもサトルくんに出会って、世界が啓けた。無限の可能性がある世界なんだ。
「あっ、禅院くんがサメとバイバイしました。ケガしなくてよかった……」
だから、あかなめがサトルくんに近づいている今、ボクもあかなめに近づこう。夢は夢で終わらせないために――
「ふう。いやあ、疲れたなあ。バクもお疲れさん」
「サトル、安心するのは早いかもな」
「……うーわ」
サメと別れ、伸びをするサトルに近づく影。あかなめだ。
「禅院の戦いっぷり、見せてもらったぜ。食った動物の生態を扱う能力ってトコか。いい能力だな」
分析そのものは冷静かつ正確だが、いやらしく腕を伸ばして、サトルに触ろうとする。
「なんだよおめー。セクハラしようとしてないで早く元に戻せよ。言った通り海に来ただろ?」
サトルは見逃さず、あかなめの手首を掴み、強く握り締める。
「いてててッ! もちろんだよ。オッケーオッケー」
手首を離すも、次のあかなめの表情は人をバカにしたソレだった。
「ウソでーす! だってまだ夏は終わってませーん!」
「二度と立ち上がれんように砂の底に埋めてやろうか」
「なあ、なあなあなあ……。まださ、あるだろ? 夏祭りが!」
サトルたちの住む近所には、8月下旬に『月海祭』という催しがある。
「それが?」
「浴衣デート! 神社の境内を練り歩いてさあ、なッ!?」
「マジで引くわ。もうホントに。マージで引くわ。気持ち悪い、もう気持ち悪い」
サトルは、公衆便所に群がる小さな虫を見るような目つきで睨みつける。
「いちいち2回言う必要あった? とにかく、これができれば能力を解く! 本当に『本気』で!」
サトルは女になってイヤだと思ったコトは、まだない。ただ自分の理想ばかり押し付けるあかなめが恋人面するのが腹立つだけだ。女性の生理現象が起こらないのも、うしろめたい都合の良さを感じる。
早くあかなめから解放されたいし、学校が始まるまでには男に戻りたい。
「次パチこいたら許さないぞ」
「ああ、もちろんだ。……斬れるものならなッ!」
あかなめのだらんとした指先がピンと伸びた。そして次に――
「下がれッ!」
バクとサトルが吼える。
「もう遅いぜ! ……って、禅院おまえ、誰に言った?」
あかなめのあえかな光を発する指先は、サトルへと向かう。が、サトルに当たる瞬間、別の手が伸びた。
「はあ、はあ……。間に合った」
魅人の手が、サトルに伸びるあかなめの指を受け止めたのだ。
「これで、ボクも女の子になれる」
その表情はとても満足気だった。サトルは今日、魅人の笑顔を初めて見た。




