海へ行く準備をしなきゃ!①
寝起きには、女になったこの身体を思わず凝視してしまう。髪は伸び、胸も尻も出た。洗面台の鏡に映る自分は、整った顔立ちではあるが、笑顔ではいられない。
「おはようサトル。朝から自分の顔に見とれているのか?」
あくびをしながら、バクはちょっかいをかける。
サトルは昨日の出来事を思い返していた。あかなめが咄嗟に出した手鏡に映る自分を見て、戦意を失った。
元に戻らないといけないのは百も承知だが、かといってこの身体が嫌いなワケではない。イヤになる要素がないのだから。これっぽっちも。
「……ちょっぴりな」
「おや? 素直になったな」
「今は受け入れるしかないだろ」
キレイであるコトを自覚すれば、心は少し軽くなる。身体的な悩みは増える一方だが。
「でも、胸がさ、擦れて痛えんだ。なんか重いし」
「じゃあ……いや、口を滑らせるトコだった」
バクは空気の読める空妖だ、口の姿なのに。そう。今、必要なものは下着だ。
心は男のままだが、下着の購入に躊躇はできない。それにあかなめは去り際に言っていた。「水着を着て、海に来い」と。
「でも、買うってどうやって?」
「そりゃあ……いや、ワタシに訊かれても。然るべき店でおカネを払うんだろう?」
「違う違う……。オレがな、疑問に思ってるのはな?」
「知らんよ、知らん知らん。もう聞く耳持たないぞワタシは」
「あー、耳なんてないクセに!」
服はいつも母親に買ってもらっている男が女物のモノを買うなど、とんでもない犯罪的冒険だ。
こんなときには頼れる友だちに連絡するしかない。スマホを開くとラインに通知が入っていた。明璃からだ。
「今、あなたのうしろにいる……って!」
目の前の鏡には、サトルの後ろに明璃が音もなく現れた。腕に服かなにかを掛けている。
「もう、スマホ見るの遅いわ。ずっと待ってたのに」
「いや悪い。でも、ちょうどよかった! 買い物を手伝ってくれ!」
「完全に女の子の声になったね、喉仏もなくなったし。それで、なにを?」
「その……下着とか水着を」
「ああ、そうね。必要よね。じゃあ買いに行こっか。ほら、早く着替えて!」
「へーい」
女子の前で着替えても恥ずかしくないのは新鮮だ。
「よかったね。おばさんいなくて」
「まあな……」
母は単身赴任中の父の元へ行った。「補習にならなければいっしょに行けたのに」とボヤかれたが、こんな状況ではかえって好都合だ。
「なあ、ヘンじゃない?」
「ちょっと大きめね。でも、私服も真っ黒なの?」
「バクがいるんだからしょうがないじゃん」
「むっ、ワタシのせいみたいな言いかたをして。ワタシがいなかったらオシャレするのか?」
「ごめんごめん。まあ結局真っ黒の服になると思うけどさ」
「そう思ってこれ、持ってきたの」
明璃は腕に掛けていたものを広げてみせた。それは黒いスカートとタイツだった。
「……オレが着るの?」
「当然」
「フフ、きっと似合うぞ」
「それで、どう着んの?」
「だいたいズボンといっしょよ」
「あ……ホントだ」
着替えて鏡を見ると、完全に女の子になったのだと実感する。タイツ越しからうっすらとみえる肌の色が、なんだかなまめかしい。
「うんうん、違和感ナシ。スタイルよくてうらやましいわ」
「これで街中を歩くのか?」
「恥ずかしい? でも、これが女の子らしいカッコよ」
なかなか心がついていかない。街中でもよく見る格好だが、いざ自分がそれになるとかなり恥ずかしい。
「おいおい、ワタシにも緊張が伝わるぞ、サトル。こんな調子じゃあ、水着なんか着たら顔から火でも吹くんじゃないか?」
「今日はこれで外歩くんだからね。ほら、行こ」
ふたりは玄関を出ると、元気な声が聞こえる。その方を向くと、メリーさんが手を振っていた。
「おはよーサトル兄ちゃん! ……でいいんだよね?」
「おはようメリーさん。そうだよ、オレだ」
「きれいになったね!」
「これからもっとオシャレするんだからね、気合い入れてよっ」
「覚悟……できるかなあ?」
ふたりと空妖ひとりは駅へ向かった。サトルは明璃のうしろをおどおど連いていく。
「なーにをそんなカルガモの子どもみたいに……。もっと自信持って、胸張って!」
「胸張ったらさ、もっと恥ずかしいだろ!」
「大変ね。まだ心が元のままか」
駅には相変わらず人が多い。それはいつもと変わらないが、見られているように思い、なぜかドキドキする。改札を通り、ホームで電車を待つ間もそうだ。同級生に会わないか、いたとしてもバレないか。
「キョロキョロしてないで、堂々としてればいいじゃない」
「ンなコト言われてもさあ~ッ。バレたらどうすんのさあ〜ッ」
「誰もわかりゃしないわよ」
言ってる間にアナウンスが鳴り、電車が到着した。人はまばらにいる程度だった。
「ラッキー。座れるね」
「これでひと息……」
サトルは足を広げてドカッと座り込んだ。
「ちょっ、サトル、そんな雑に座ったらスカートの中見えるって!」
「あっ、そうか!」
向かいの席に視線をやると、中年の男が慌てて顔を下げ、わざとらしくスマホを凝視する姿がみえた。
「……いや、でもタイツ履いてるけど、アカンの?」
「次にそういうコト言ったら、その口縫い合わせるわよ」
「えッ、コワ……。まあ気をつけないといけないコト、多いんだな」
「これが女の子よ」
中年男の視線も寒さすら覚える冷房も、全部タイツのおかげで防げている。タイツのありがたみを嚙み締めていると、目的地に着いた。この前に明璃と来たビルだ。
「さて、買おう、水着!」
「そういえば……」
考えてみれば、あかなめは水着の種類を指定していないので、どんなモノを買えばいいのかわからない。
「スクール水着でもいいのか? サイフにもやさしいし」
「サトル……好きなの? 着たい?」
「えっ、ただの提案ってだけで。なんだその冷たい目は。メリーさん、オレなんかヘンなコト言った?」
「なんかの撮影かと思われちゃうよ」
「撮影? 海でスクール水着は見ないのに……あっ、そうか。違和感すごいもんな、それじゃあ」
明璃とメリーさんが目を合わせているのを見て、会話が噛み合わないのを感じた。
「じゃあ水着といえば……やっぱりビキニとか? いやムリだ恥ずい!」
「まあ男は好きでしょ……ねっ、サトル?」
「今は女だからノーコメントで!」
「兄ちゃん、このワンピースっぽい水着はどう?」
「それいいな! 布面積デカくて。これにしよう」
「案外早く決まったわね。それじゃ他の服とかもみましょ」
そして――
「ほら、これ試着してみて!」
「えーと、どう?」
「めっちゃ似合ってるよー!」
買い物の時は――
「ネイルもしてみない?」
「あ……この赤いの、キレイかも」
「おおっ、兄ちゃんわかってきたね」
あっという間に流れて――
「化粧品の種類、わかる?」
「口紅と、なんか顔にポフポフするヤツしかわかんねえ……」
「使っていけばすぐ覚えるよ」
「そういうモンか」
いろいろな店を巡っていると、サトルにある自覚か芽生えた。それは、女の子でいるコトが楽しく思えるようになった、というコトだ。
男でいたときは服は同じものを着回していたし、爪など長さしか気にしていなかったが、なかなかどうして、今日の新鮮な体験は心を瑞々しくしてくれた。
「どう、サトル? オシャレって楽しいでしょ?」
「……まあ、そうだな」
男に戻ったらいろんな服を着てみようと、そう思えた。




