なりたい自分を探して①
このエピソードには、性差に対する偏見や露悪的な表現があります。これを念頭に置いて、読んでいただければ幸いです。
学校の最寄り駅から15分ほど歩くと、今は廃墟と化した立体駐車場がある。コンクリートの柱はところどころ砕け、壁は無秩序に描かれたペンキの落書きに塗れていた。
駅前の近くとあって、市民が景観を損ねると声を挙げても、未だ取り壊しには至っていない。
生活という繋がりから縁を切られたようなこの場所に、ひとりの少年――千田魅人は足を踏み入れた。彼は追い求めていた、自らの理想を叶えてくれる者に。
「――おいおい、ニンゲンがこんなトコになんの用だ? まだ真っ昼間だってのに。もっと陽の当たる生き方をしろよ。……なんてな、聞こえるワケねえよな」
「説教はよしてよ。ボクはあなたに会うために、ここまで来たんだから」
「おやぁ……?」
魅人にはその声が聞こえていた。本来は聞こえるハズのない、奇跡を起こしてくれる者の声を。
人形の空妖、あかなめ。積まれたタイヤの上に座り込むこの空妖は、魅人に不敵な笑みを向けている。
「おやおや、おまえさん、禅院の呪継者といっしょにいたよな。視えていたのかい、この俺様を」
「ううん、視えなかったよ。ボクの家は歴史のある神社だから、もしかしたら、なにかあると思ったんだ。ボクを導いてくれるなにかが……」
「へえ? 歴史ある神社?」
「それで物置のずっと奥でこの子を見つけた。震えているから手を差し伸べたんだけど、嚙まれちゃって。それで視えるようになったのかもね」
魅人は手提げ袋から石の質感を持った、手のひらサイズの狛犬を足元に置いた。
「この子がニオイを追ってくれたんだ」
「おいおい、まだ落ちねえのかよ。どんだけくせェんだ、あのツバ! でも俺様は感じない。においって慣れるモンだよなあ、うーんフシギ」
「それで……率直に言うよ」
魅人の真っ直ぐな眼差しはあかなめに向いている。しかし、あかなめは受け止めようとしていない。
「あーあー、女にしろってんだろ?」
「うん、そう!」
「いや、いいだろ。必要ない」
「なんでさ!?」
「だっておまえさん、もう女より女らしいじゃん。化粧、ネイル、ファッション、その他もろもろカンペキにこなしてよお。しょうがなく女やってる女よりも、男が女を懸命に目指してる方が『女』だろう? 俺様はそう思う」
「違う。……違うッ! そう言ってくれてるのはうれしいけど、でも、時間が経つにつれて身体の男は止められないんだよ。声は低くなるし、身体はゴツゴツしてくるし、それに……毛もそのうち濃くなっていくだろうし」
「いやいや、気になんねーよ。自分を認めてやれよ」
「ダメだよ、ダメなんだよそれじゃあ……。ボクは女の子になって、かわいくありたいんだ!」
「そんなに経血流してェのか?」
「このッ……なんでサトルくんはいいんだよ! 望んでいないじゃあないか、サトルくんは!」
「あれは……わかるだろ? 『好きな子にちょっかいかけたくなる理論』だって」
「ふざけないでよ! その神様みたいな能力をわけてくれたっていいじゃないかッ! ボクにだってさあ!」
「ははっ、神様ねえ。俺様、ムダに長生きしてるけども、神も仏も見たコトはねえ」
魅人からまだまだ怒りが湧いているのを、あかなめは見逃さない。
「まあまあ、そうがなるな。小さな狛犬ちゃんが怯えてるぜ? こいつも生きてるから感情だってあるんだぜ、空妖だからな」
「うっ……ゴメンね」
魅人は床で震えている石造りの狛犬をやさしく抱え上げ、そのゴツゴツした背中をなでた。落ち着いたのを見計らって、あかなめは反論する。
「あのな、俺様が変えたニンゲンはそりゃもう、笑けるくらいひっでえブサイクばっかりでな! そいつらに比べりゃおまえさん、生まれついての容姿は恵まれているぜ」
「でもじゃあ、なんでサトルくんを……。サトルくんだってさ、カッコいいじゃん」
「アイツは俺様にとって特別なんだなあ。だから自分のモノだけにしたいのさ。わかるか? おっと、不公平と思うなよ。自分だけの能力を自由に使ってなにが悪い?」
「どうして……。ボクだってホントのボクになりたいのに」
「あー、ブツブツ言ってるトコ邪魔するが、お客さんだぜ。……しょうもないニンゲンだよ」
魅人はふと我に返り、耳をすませた。たしかに聞こえる。ゆっくり進んでくる足音がこちらに向かって来る。
「隠れたほうがいいんじゃねーのか? 普段ここでたむろってるニンゲンのクズ共だぜ。たぶん」
「え? でも、ああ、どうしよう?」
ここから逃げたりしたら、きっとあかなめは逃げる。二度と前に立つコトはないのかもしれない。
「――誰かいるんスかねえ?」
「――でっけえ声出してたな。マジウケる」
声が近づいてきた。魅人は急いで柱の陰に屈んだ、が――
「ああ、そんな!」
抱えていた狛犬が手からこぼれ、ゴロゴロと転がっていった。それからすぐにふたりの男が現れた。耳、鼻、口にピアスを着けている。
「見ろよ、石の……なんだコレ? イヌ? シーサー?」
「どうでもいいや、メルカリにでも出して売っぱらうから」
「ぎゃはは、さんせー」
小汚い男たちの手に渡った狛犬は、生きているコトを悟られないよう石像そのものとなっていた。魅人は悔んでいた。自分の都合で連れてきたのに、知らない男に捕まり、どこかへ飛ばされようとしている。
(ああ、神様――)
魅人は両手を組んで祈ったとき、あかなめはタイヤから立ち上がった。
「神頼みをするときはなあ、ベストを尽くしてからするモンさ」
「ベストを……尽くしてから?」
「その手は祈るためだけかい?」
そう言いながら、魅人の後悔がにじみ出ている表情を見て、あかなめはひとり興奮していた。
「さあ、どうする? まっ、俺様は見てるだけだがな」
あかなめには期待はしていないが、ここで行かなければ狛犬はどうなるか。魅人自身、見つけた日から徐々に愛着が湧いていた。
「……その子から放せッ!」
だからこそ、助けたかった。魅人は男ふたりの前に立った。
「立ち上がったッ! いいぞ、それでこそニンゲンだ!」
あかなめは勝手に興奮していた。
「これおねーちゃんのだったの? かわいいねー」
「ところでひとり言してたのもキミだよね。こんなトコでナニをシてたの? つまんないでしょ、たのしいコトしない?」
「え? なにを言ってるの……」
このふたりは異様だった。まるで全てを投げ捨てたような、他のものなどどうでもいいと思っているような、そんな怖さがあった。
「ねえ、いっしょに遊ぼうよ~ッ!」
「うああ、やめてッ、痛いッ!」
男のひとりが魅人の服を破き、胸を鷲掴みにしようとした。が、掴める胸などない。
「はあ? おいコイツ男かよッ!?」
「女装とかキモッ! キモッ! 気持ち悪ゥ! うわ最悪なえたわクソが」
魅人は乱雑に突き飛ばされ、尻もちをついた。男ふたりから視えていないあかなめは、ただニヤニヤしながら眺めている。
「うぜー。ほんまにクソ。エグいわ。あーもういいや。コイツ殺そうぜ」
「……えっ?」
「死ねよもうマジで」
転がっていた鉄パイプを握りしめ、男はにじり寄る。魅人は初めて感じた。暴力が近寄る恐怖を。
「なんだアイツら、想像以上にイカれてんな。どれ、俺様が助けてやるかね」
大声も出せずに涙を流しながら、動けずにいた。諦めて目を閉じようとした瞬間――
「目がッ!」
「痛えッ!」
ふたりは突然叫び、目を擦っている。
「砂か!?」
「イミフだわ、崩れてきてんのか、ここが!?」
「また入った!」
「クソがッ! 今日は厄日かよクソ!」
ふたりは不気味さを覚え、足早に去って行った。
「砂だって? ヤな予感がするねえ」
あかなめの悪い予感は的中した。駐車場の隙間から見える青い空からまるで夕立ちのように、それは突然あかなめだけに降り注いだ。
「そうか、来やがったな、守護天狗ッ!」
あかなめは目をつむり、男が落とした鉄パイプを握りしめ、心でにらむ。
「な、なに? 砂が?」
「安心しなよ、おまえさんの敵じゃねえ。もっとも、俺様からすれば――」
魅人はまた固まった。あかなめが言っている途中で、空から平行線を描いて長身の人が現れたのだ。
「そう……強敵出現だなッ!」
不気味な見た目をしたそれは、なにも言わず両刃の剣を振るうが、あかなめは笑いながら鉄パイプで受け止めた。そして、声高にこう言った。
「視ているか、感じているか? おまえさんは今まで『幸運』でいられたのによお、もう戻れねえんだぜ!」
魅人は目の前の出来事についていけなかった。不気味な見た目をしてるけどたぶん砂を操って助けてくれた人と、性別を変える人。こんなコト、ふつうではありえない。
「ううん、望むところだよ」
だからこそ、胸が熱くなる。きっと、非日常に惹かれるのは自然なコトなのだから――




