行きたい場所はある?①
サトルが女になって数日経った日の朝、これまで気にならなかった部分に違和感を覚えていた。
「……なんか、胸がちょっと大きくなったか?」
これが起きるなりすぐ発した言葉だった。パジャマ越しではわかりづらいのですぐさま脱ぎ、シャツ越しから手を添えた。やはり少しだけではあるが、大きくなっている。
予想したとおり、そしてあかなめの言ったとおり時間が経つにつれ、どんどん女らしくなっているようだった。意識はしていないが、なぜか鼓動が早くなった。
「ふーむ。言い逃れができないくらいに、らしくなってきたな。キミ、外では気をつけろよ」
背中に憑いている口の相棒は、相変わらず減らず口だ。
「気をつかってくれているのか?」
「フフ、どうかな?」
「でもオレだって常に気にしてるからな。バクがバレないように」
「おっと。シャカに説法だったか?」
あかなめに『臭い付け』をしたので、足取りをつかもうと思えばつかめるハズだ。しかしウソかホントか、ヤツは複数人の性別を変えているらしい。
だからこそ、うかつに手を出せないでいた。空妖は死んでしまえば能力は解け、すべては元に戻る。変わりたかった人の思いを無下にできないし、戸籍とか諸々を考えると、社会が混乱してしまう。
「でもこのまま女になるのなら……、手段は選べないぞ」
「キミがその気になったら、サポートはしっかりする。ところで今日の予定は? やっぱりあるのか、補習?」
「ああ、あるよ」
「まったく、勉学に励んでいればこんなコトにならなかったのに」
「だって夜に寝た気がしないからさ、授業中眠いんだもんよ」
うんざりしながら学ランを着る。鏡で確認すると、まだ目立たない大きさで胸をなで下ろした。これならヘンに誤魔化さずともバレないだろう。自信満々にリビングへ向かい、朝食を食べて母にあいさつを交わすと、学校へ向かった。
「バレないでよかった。母さんに女になったと知られたらどうなるか」
「そうならないように、これからどう避けるかを考えなくちゃな」
呪いがふたつ重なったも同然のこの身体、明日につながるにつれ先が思いやられる。とにかく今は、目の前のコトに向き合っていくしかない。
夏休みの校舎を彩るのは、野球部やサッカー部のかけ声、吹奏楽部の音色。灼熱の気温に負けないくらいに、学び舎はにぎやかだ。サトルは彼らが熱中症にならないよう祈りつつ、ホームルームに入り、席に着いた。
「禅院、おはよーさん」
「おはようございます、禅院くん」
「おはよう、ふたりとも」
サトルはふたりのクラスメイトにあいさつした。ひとりは真島悠吾、中学時代からの同級生だ。もうひとりは樫見夕七、彼女は保健室登校をしていたが、サトルとともに学校祭の出しものをして仲良くなった。
この3人と明璃を含めた4人は、サトルが設立したオカルト研究部の部員だ。とはいえ、部員は定員割れしており、正式に部活動としては認められていない。
それに本格的な怪奇現象がたびたび起こるので、サトル自身はむやみに部員を増やすワケにはいかないと考えている。
「しかしさあ、オカ研3人で補習ってやべーな!」
「真島おまえ、気にしてるコトを!」
「わたしは出席日数が足りないから、仕方ないんですけどね……」
樫見は遠慮がちに言う。
「まあ次がんばればいいっしょ。この補習終わったら部室でダベらない?」
真島の提案にサトルと樫見は乗った。
長く退屈な補習を耐え3人は部室に向かった。入口のドアを開けた瞬間、ムワっとした熱気がたちまち身体にまとわりつく。サトルはすぐにドアの向かいの窓を開けた。が、風はない。
「いや、もうさ。わかってたけどさ……暑すぎ〜ッ!」
「クーラーが……欲しいですね……」
サトルは反射的に学ランを脱ごうとしたが、すぐに思い直した。少しだけ大きくなった胸のせいだ。
「禅院それ脱がねえの? みんなバクが憑いてるコトは知ってんだぜ?」
「ユウゴ、サトルは変わったヤツなんだ。昨日だって、ヘンなサメの映画を楽しそうに観てたし」
バクが一言余計に足して、フォローを入れた。
「ウッソだろ、『午後ロー』でやってたやつ? おれすぐテレビ消しちゃったよ。変わりすぎの変人マンだぜ」
「好き放題言うじゃねえか真島ァ!」
言っている間にもっと暑くなったところで、ドアをノックする音が聞こえた。
ここ、オカ研は正式な部活動として認められていないが、この部室は生徒会長の許可を得て使っているだけだ。
事情を知らない先生だったらどうしようかとサトルは必要以上にビクビクしながら、樫見がゆっくりと開けるのを見ていた。
「こんにちは、樫見さん。補習がんばっているようですね」
「あっ、小林先生もおつかれ様です」
にっこり笑いながら入って来たのは、オカ研の顧問である小林先生だった。彼女はサトルに救われた縁がある。そのため、問題児だらけの顧問という汚れ仕事を、仕方なく引き受けているように見えるが――
「ところでその両腕に抱えているモノは……?」
「扇風機です。暑いですからね、つい持ってきちゃいました」
「ありがとうございますッ!」
実際、ノリノリである。ある先生が言うには、サトルに出会った前と後とで別人のように笑顔が増えたという。
「ところでみなさんは、夏らしいコトはしましたか?」
「ううーん、それがまだあんまり」
「わたしは補習ばかりです……」
「おれたちと小林先生と須藤先生とで川遊びしたくらいっす」
夏休みが始まった頃、サトルたちは川へ赴きカッパのゴンが山へ帰るのを見送った。空妖たちも入り混じり、川釣りやバーベキューもして楽しかったと心から思っている。
「じゃあ今度は海に行きたいですよね……。海の家で食べるラーメン、たまりませんよねッ」
「先生ツウですね~。おれ、泳いでパリッパリに日焼けしたい!」
「わたしは波の音を聞いていたいなあ。あまり暑くなければ……」
それぞれの海の満喫の仕方を聞いたところで、サトルも乗っかろうかと思った。が、忘れてはいけない、今は女であるコトを。次の番だぞ、と言わんばかりに真島の目が向いている。
「オレは……海釣りかな?」
「ああ、それもいい……」
これなら服は脱がないし、川で釣りをしたときも楽しかった。こうなるとやっぱり――
「海、行きたーいっ!」
真島の魂の叫びに、ここにいる全員は強く、強く頷く。
「今度、みんなでゼッタイに行きましょうね、海!」
「「「はいッ!」」」
小林先生の提案に、部員たちは野球部に負けないくらいの返事をした。
「んじゃ、流れで解散ってコトでー」
扇風機をひとり占めしていた真島が立ち上がり、部室から出ようとした瞬間だった。
「真島、ちょいストップ!」
サトルは叫んだ。
「サトルも気づいたか。入口のほうからなにか急に濃い気配がする」
バクも同調した。
「もしかして、悪霊とかですか……?」
「ううん、悪いヤツの雰囲気じゃないから安心しててよ。で、いいよな、バク?」
「キミもカンが鋭くなったな、ワタシも鼻が高いよ。まっ、ワタシに鼻はないがね」
実際、なにがいるのかはドアを開けてみないとわからない。この声も漏れているだろうし、襲ってこないのだから敵ではないハズだ。
「じゃあ、開けるぞ」
念のためみんなを向かいの窓に寄らせ、そこから逃げられる準備ができたのを確認すると、サトルはゆっくりとノブに手をかけ、そして開けた。
「――うむ。いい心構えをしている」
そこにいたのは、見上げるくらい背の高い人だった。感心しているようで、腕を組んで頷いている。
「え? おいおい、めっちゃ悪そうじゃん!」
異様なのは、その見た目だった。ペスト医師が着けていたという黒いクチバシが目立つマスクで顔を覆い、山伏のような服装、そして不自然なまでに高い一本歯のゲタを履いている。
このゲタがなければ、恐らく同じくらいの身長だろうと、サトルは思った。
「その瞳を見ればわかる。貴様が禅院の者だな?」
「……またオレの呪い絡みかよ」
こもった声に不安を覚えつつ、汗が頬を伝う。図らずも、古から受け継いだ呪いが導くこの縁、この出会い。コトが簡単に済むハズがないだろう。




