エピローグ 一番星の輝く空に
信じるという言葉はあやふやでそそっかしい。なぜなら人の価値観などすぐに塗り替わるからだ。須藤先生が小さく言ったそれは誰かに言ったワケでもなく、自分に言い聞かせたのかもしれない。
――須藤先生は禅院くんが悪霊を斬るのを止めた。また取り憑かれて、屋上から落とされるのをわかっていたハズなのに。でも、助けてくれると信じたんだ。信じるとは言葉で伝えるのではなく、行動で伝えるものだとわたしは理解した。
――再び訪れてしまった、悪霊による命の危機。オレたちも言葉でなく行動で応えるしかない。それは樫見さんも同じだ。
サトルと樫見。なにも言わず、ふたりは顔を見合わせて、頷く。
(絶対に助けるから、信せてッ!)
「さて、この女を助けたきゃ……あの世に目がけて突っ走れよなあッ!」
悪霊が取り憑いた先生の身体はわき目も振らず、虚空へ目がけ走る。サトルは行かせまいと、ラグビーのタックルのように飛び込んで足を掴んだ。
「いざ来られると……邪魔くせえな!」
サトルは頭を踏みにじられた。幽霊の透明化をすればいいものを、わざわざ蹴った。やはり執念深いこの男の精神は歪んでいる。だからこそ、かすかな希望は繋がった。
「これで、ひ《・》とつ」
打ちっぱなしのコンクリート床に鼻血を垂らしながらも、口元を上げ、つぶやいた。
「ぎゃはっ! バカみてえな顔をしやがって。なにも持っていないヤツに幸福な人生を壊されるのはどんな気持ちだろーなあ!?」
「とてもつらいと思います。……あなたには誰も頼れる人がいなかったんですか?」
「はあ?」
「わたしは先生によく助けてもらいました。……こんなコトはやめてください、お願いします」
樫見は質問したあとで深々とお辞儀をした。しかし、あの目を見ればわかる。なにも聞いちゃいない。
「そういうのは葬式にでも言えよ。伝わらねえけど! 死ぬんだから!」
悪霊は言い捨てて、須藤先生の身体を幽体化した。ふわふわと浮かんで、床のない虚空に浮かんでいる。
「これで、ふたつ」
樫見がつぶやいたのを、悪霊はもちろん聞いていない。
「カウントダウーン! 10、9、8……」
この透明化を解いたとき、須藤先生の身体は落ちる。サトルは深呼吸をして気を落ち着かせた。
「さて、間に合うかね。サトル」
「絶対に間に合う。オレも信じてる、みんなを」
「フフ、ワタシもだ。歯がゆい思いはさせないぞ」
そう、みんなをだ。オカ研のみんなを含め、あの悪霊の驕りを、そして人体模型を。
「キミ、躊躇はするな。後悔も、遠慮もッ。さあ蹴っ飛ばせ、思い切りッ!」
左目に熱さを感じると、サトルは両足を前後に開き屈む姿勢――いわゆるクラウチングスタートの構えを取り、床を思い切り蹴った。
目標は先生、必要なのはたった一歩。それだけあれば充分だ。
「5、4……えっ、速――」
バッタの跳躍力、飛び立つハエの瞬発力。これらの能力を使用し、人の理解を超えた人体の発するスピードに驚いた悪霊はすぐさま透明化を解いた。
「――これでみっつ……すよ!」
もはや聞きなれた声、だがその声色に貫録はなかった。
「ウソだろ? こんな、こんなつまらない……」
須藤先生が落下するのと同時に、悪霊が身体から抜け出し、人体模型の心臓へと吸い込まれていった。
「暴力、質問に答えない、そして落とす。流れるようなスリーアウトですわ。アンタ、ずっとボクの中にいてもらうっすよ」
人体模型は興奮している。
「いやあ、でも見ました? ボクにもできましたよ、能力使うの! マジでやべーすわ! あのオッサンのマネだけどうまくいってよかったあ。悪霊を斬らなくてよかったすね、感謝してくださいよ」
サトルは聞いていないが、代わりに別の人影があった。花子さんだ。
「そうね、よくやってくれたわ」
「あれ、あのときのおかっぱちゃんじゃないすか。なにしてんです?」
「人助けよ」
「ははあ、ボクと同じだ。ってほら、見てくださいよあれ!」
「うぐぐ……」
人体模型の指す方向には、サトルが指先からクモの糸束を伸ばし、落ちそうな先生を支えていた。樫見もサトルの肩を引っ張って支えるのを手伝っている。
「思ったより、これは……」
「ぜ、禅院くんっ、重いなんていっちゃ」
「もっと、鍛えなきゃなッ」
「紳士だ……!」
クモ糸を伸ばす指を折りたたみ、拳を握り締める。まるで命がけの綱引きだ。ここにフェンスがあったら踏ん張れたが、そんなモノはない。
かろうじて樫見の支えもあってこらえられるが、腰に付いた糸に吊られて宙ぶらりんになっている先生を見て、余計焦りが増す。
「先生がルールを破ればボクにも助けられるんすけど……」
「また心臓を開いたら、悪霊が逃げちゃうでしょ」
「じゃあボクも支えるの手伝うっす! ってボク歩くのおっそい! んもう、どうすればいいんすかあ……」
「悔しがらなくてもいいわ。そのために花子が来たの」
花子さんは夕七に寄り、肩に手を置いた。
「花子さん。どうしよう、先生がっ」
「待ちましょう。なにぶん、チカラを多く使うの。夕七も手伝ってくれる?」
待つ? なにを? でも、わたしの友達だから信じられる。花子さんは必ず力になってくれるって!
「もちろんです!」
「これで百人力ね。掛け値なしに」
樫見の目の下に共有印が浮かんだ。青く光る雫の形をした親愛の印。勇気とチカラを共有するおまじない。
「やばい、腕……!」
「禅院サトル、ふんばって!」
「禅院くん、こらえて……がんばってください!」
ついにそのときが来た。命を支える糸が、音もなく切れた。力が余ったサトルはうしろに倒れ込んだが、すぐに立ち上がり、飛び降りて後を追った。
「バク、翼を!」
「……その必要はもうないだろう」
「なにを……あっ――」
――禅院くんの糸が切れた弾みでわたしも勢いよく倒れたけど、花子さんが横にずらしたおかげでケガはなかった。それよりも、自分なんかよりも。
「そんな、禅院くんッ!」
先生といっしょに禅院くんまで落ちてしまった。まだ腕にその重さを、必死だった熱を感じる。放してしまった。わ、わたしにはなにも……。
「夕七! きたわ、手伝ってッ!」
涙を拭いて前を見ると、視界が不自然に歪んでいた。陽炎なんかじゃない。夕日を受けてきらめくのを見て、音を立ててしぶきを上げるのを見て確信した。これは水だ!
「あのカッパが操って持ってきた25メートルプールの水、およそ50万リットルの量ッ! この中に閉じ込めた先生とアイツを地面に降ろすわ!」
怖くて確認できなかった地面を見下ろすと、まるで湖が浮かんでいるようだった。その中に先生と禅院くんが見えた。ふたりとも無事だ!
「でも急がなきゃね、窒息しちゃうから。慎重に、かつ素早くこの水を地面に下ろすわよ」
「はい、わたしたちならできます!」
わたしたちは腕を伸ばし、ゆっくりと下ろした。陽が沈むようにゆっくりと、ゆっくりと。
それと連動して、水もゆっくり地面につく。集中しすぎて息が切れ始めたころ、ようやくふたりが地面についたのが見えた。
「や、やりましたね……!」
「ええ、お疲れ様。この余った水は、雨にして降らしましょう。きっとふたりも、目がさめるでしょ」
花子さんの「せーのっ」の掛け声で腕を振り上げると、辺りに雨が降り注いだ。もちろん、横たわっているふたりにも――
「……次は雨が降ってきた」
――奇妙な体験をした。飛び降りて翼を広げようと思ったら、着水していた。小学生の頃にふざけてプールに飛び込んだコトがあるが、まさしくあのカンジだ。それを空で味わったのだ。
助けてくれた巨大な水の塊は、突然現れた。驚いて身動きが取れなかったが、ちゃんと地上で横たわっている今、ヘタに動かないコトこそ正解だったのかもしれない。隣で同じく横たわり、噴水のようにぴゅーっと口から吹く先生を見て、そう思った。
「はは、面白い顔だぞ。禅院」
「先生も今の絵面、すげーマヌケでしたよ。マンガみたいで」
「言ってくれるねえ。ところでこれ、現実?」
「ええ、そうですね」
「おーい、無事だったべか!」
「……それで、目の前にカッパがいるのも現実か?」
「ええ、現実ですね」
「紫城山の連絡と真島山の発想がなきゃ助らんなかったけんども、よかったなあ。ふたりとも無事で」
この救出劇には明璃と真島も一枚噛んでいたようだ。みんなを信じる。そう言った先生のほうをちらりと見ると、微笑みながらのドヤ顔をこちらに向けた。
「……須藤先生、どうしてみんなを信じられたんですか?」
「そんなの、みんななら助けてくれるだろうなあって思っただけだよ。そうでなきゃ、あのとき幽霊を斬っていただろう? あれはもう死んでたけどさ、私だけを助けるのに人を斬るのは、きっと禅院のためにならないと思って」
「私だけを、なんて言わないでくださいよ。みんな先生が好きだから一生懸命で助けたかったんですから」
「……ありがとう。おかげでバカ親父にずっと自慢できるよ」
不思議な雨が止んだ。空には、雲なんかひとつもなかった。
――人体模型にお礼を言って旧校舎から急いで戻ると、禅院くんと先生が笑い合って空を見つめていた。無事はあとで喜ぼう、今は全身がびしょびしょだから、早く乾かさなきゃ。花子さんのチカラを借りて余計な水分を吸いとり脱水した。
「おお、ありがとう、樫見さん」
「樫見、助けてくれてありがとう」
「先生、わたし、変われましたか?」
「いやあ……変わってないねえ」
こんなわたしでも自信があったのに……! ショックがすごい。
「私が思うにだよ。前に変わるってコト言ったと思うんだけど」
「ああ、なにかを得る代わりになにかを失うのが、変化ってヤツですか?」
「そうそう、ナイス記憶力だ禅院。んでね、それに当てはめるとなにも失ってないけど、めちゃめちゃ得たモノがいっぱいあるんじゃないかな」
そう、たしかにまだ人見知りはするし、コミュニケーションはできるようにはなったと思うけれど……。わたしには友達ができた。保健室以外の居場所だってできた。
「とすると、だ。これは変化じゃなくて……。そう、『進化』だ!」
「し、進化ですか?」
「うん、そう。ゼッタイそう。変化よりスゴいやつ」
進化ってなると、ちょっとイマイチ実感が湧きづらい。
「樫見さん、戸惑っちゃいましたよ」
「えー? 進化ってかっこいいのに。なにも変わらずに、一歩ずつなりたい自分に進んでいってるってコトって考えれば、なんだかいいだろう?」
「はい、それはステキです」
「だろう? いずれ禅院との関係も一歩ずつ進んでいけば――」
「ちょっ、先生!?」
「え、あ、すごい大声で、え? なんかゴメン」
先生のあっけにとられた表情をしている。こんな顔は見たコトない。視線を横に向ければ禅院くんの顔のほうがもっと驚いた顔をしていた。
辺りに気まずい空気が流れたところに、いいタイミングでグループラインの通知音が鳴った。
「あっ、文化祭の出し物の結果が出たって……」
「すっかり忘れてたよ。オレたち金賞取るためにがんばってたんじゃん! それで、結果は……?」
「……銀賞、みたいです」
「そっか、惜しかったなあ!」
ステージは圧巻だったけど、びしょびしょになるのと、オチが弱かったのが減点、という意見が多かったみたい。ちなみに金賞は、軽音部のライブだった。
「銀賞でもすごいと思うけどな。また来年リベンジしてみるのはどうだ?」
「うん……そうっすね」
次もこんなに楽しいことができるのかと思うと浮足立つ。だけど、クラス替えがあるし……。
来年はクラスでじゃなくて、オカ研で参加できないかなあ。お祭りが終わるのはさびしい。そんなコトを思ってると、また通知がきた。
「この後のフォークダンスはどうする? って……」
「ああ、後夜祭か。たしか校庭にキャンプファイヤー組んで、その周りでみんなで踊るんだっけか。自由参加だけど、樫見たちはどうする?」
「知らなかったそんなの。みんなはどうすんのかな」
なぜかドキドキしてきた。通知は鳴り続ける。
「明璃さんはメイド喫茶の片付けで、真島くんは相手がいないみたいです」
「いいコト思いついたべさ。真島山はオラがえすこーとしてやるっぺよ!」
「ゴン、流石にマズいぞ? カッパなのを差し引いても部外者がまだ学校にいるのは」
となると、禅院くんは空いてる。いっしょに出たいけど、でもきっと疲れただろうし早く帰りたいかなあ。わたしと踊るのは迷惑かなあ。そもそもダンスなんて体育以外でしたコトないのに、上手に踊れるかなあ。
禅院くんの横で大の字で横になってる先生のほうをちらりと見ると、ニヤニヤしていた。ほんのちょっと前まで命の危機だったのに。すこしムッとした顔をすると、先生がひとこと。
「みんな同じコトを思ってるよ」
たしか前にもお父さんに言われたっけ。それなら、もしかして禅院くんも……?
こんなところで勇気を引っ込めちゃダメだ。自分から誘おう……!
「あの、禅院くん」
「どしたの?」
「わたし、みんなのおかげでこんなに楽しい思い出ができました。本当にありがとうございます。禅院くんが誘ってくれなかったら、わたしは今も、家にこもっていたと思います」
「いろいろあったけど、結果オーライだったね。オレもありがとうだよ、マジに」
「欲張っちゃうとまだまだ楽しみたいです。……禅院くんと。だから――」
やっぱりドキドキする。禅院くん、しっかりとわたしの目を見つめ続けるんだから。でも、言わなきゃ。自分から誘わなきゃ。
「わ、わたしといっしょに、踊りませんか?」
今度は、わたしが手を差し伸べた。
「ぜひ、よろこんで」
禅院くんはわたしの手を握って立ち上がり応えてくれた。あきらめないでよかった!
「そろそろ始まる頃じゃないか。早く校庭に行きな」
「はい、先生!」
わたしたちは一歩踏み出し、校庭へ向かった。振り向くと、花子さんと先生とゴンさんが手を振ってくれている。わたしも笑顔で腕いっぱいに振り返した。
「……オレ、踊るのヘタなんだけどさ、樫見さんはどう?」
「ふふっ、わたしもヘタっぴです」
「そっか、よかった。迷惑かけたらどうしようって。……いや、よくはないかな」
「大丈夫ですよ。それも共有して、いっしょに分かち合えば――」
暗くなってきた空を見上げると、一番星のそばを流れ星が走った。願い事を言おうと思ったけれど、もう既に叶っていた。
小さなものだけど、そっと心の中にしまっておこう。今はゆっくり、その幸せを大事にしたい。あこがれの人のとなりで――
第2部 完
ここまで読んでいただきありがとうございました。第3部・転性編に続きます。




