恩師②
わたしが今ここにいるというコトは、ある種の運命なのかもしれない。禅院くんと出会い、逸森さんの話を聞いたあの日から、なにかが変わっていったのかもしれない。もちろん、いい方向に。
ううん、わたしも禅院くんといっしょに動いたから変われた……そう信じたいな。
「須藤先生……わたしがわかりませんか?」
「無駄だ無駄だ。いくら茶番を演じようが、この身体は俺のモンだ」
須藤先生はこんな乱暴に言葉をひとつひとつ言い捨てる人じゃない。やっぱり別の人が入っているのが痛いほどわかる。わたしも胸がとても痛い。
だからこそ、あきらめないで呼び続ければきっと!
「先生! わたし、先生のおかげで学校に行けたんです。禅院くんやオカ研のみんなといっしょにいて、自分を好きにもなれました。なのに、先生がどこにもいないんじゃ……。わたし、そんなのイヤです! わたし、おっ、怒りますよ!」
「……薫とはどういう関係だ?」
あのときの人体模型が、先生を下の名前で呼びながら質問している。
「それは……わたしが訊きたいです」
「この人体模型のじいさんは須藤先生の父親なんだって」
禅院くんの目から赤い傷が消えている。冷静になってわざわざそれを言うために? それとも、わたしに任せてくれているからかな。
「……あのときは、恐ろしい目にあわせて申し訳ない。この通りだ」
人体模型はわたしに向かってぎこちなく頭を下げた。禅院くんにも謝ってほしいけど、そんなコト言っているヒマはないかな。
「わたしは、先生の教え子です」
「……そうか。ならば頼む。薫を救ってくれ。わしは父として、なにもしてやれなかった。恥ずべき話だが、死んでからようやくわかった」
たしか、保健室登校をし始めて仲良くなった頃に聞いたんだった。須藤先生の親子の確執を。
「――んでさ、樫見は親とは仲がいいのかい?」
「……あっ、は、はい」
「そっか。なんだか安心したよ。私の家はさ、ひいじいさんの代から教師らしくてね、かなーりキビしい家だったんだよ」
「なんだか息苦しそうですね……」
「そう、みんなでおまえも教師になれって言うの。それしか生き方を知らないから。私はそんな家が嫌いだった。父親らしさなんかなくて、家にいても口うるさい先生がいるみたいだったんだもん」
「……はあ」
「しかも父はここの元校長でね。……思えば、それがいけなかったんだな」
「いけない?」
「ウワサで聞いたコトない? この学校には自殺者が3人いるっての。ホントの話さ。父が在任中にその2人目が出てね、マスコミが大騒ぎ。それで心労で参ったんだ。乱暴になってとっとと早死にして……」
「あっ……その、えっ、……すいません」
「いやあ、こっちこそゴメンね、急にこんな話しちゃって」
「あの……それで先生は……?」
「教職になるもんかと思ったんだけど、父の勤めてた学校で養護教諭さ。なんというか、収まるところに収まったというか……。そう、つまりなにが言いたいのかと言うとね、家族が好きなら、信じてみてってコト」
「は、はい……」
「そうすればね、そのうち自分も好きになれて、自信もつく。それまでここでゆっくりしていればいいさ。慌てないで、自分のペースでね――」
あの口ぶりはきっと、先生は嫌いなのかもしれない。家族も、自分も、もしかしたら仕事のコトも。わたしに言ってくれたアドバイスだって、こうありたかったという後悔なのかもしれない。
じゃあ、なにを呼び掛ければいい? そんなのはもう決まっている。
「わたしは先生が好きです。どんなときでも励ましてくれて、受け入れてくれて、放っておかないでくれて。だから……もう、自分を嫌いにならないでください。お父さんと仲直りしましょう、先生」
「うっ、うう……。やめろ、もう喋るな。心が戻ってくる……」
須藤先生――の中の悪霊が苦しそうな声を上げたと思ったら、先生の身体から黒い霧が浮かんで人の形を作った。悪霊が出たんだ。
「頭が痛い……俺、死んでいるハズなのに……。痛みなんてないハズなのに……」
出てきた悪霊は、頭を押さえて苦しんでいる。それよりも――
「先生!」
前に倒れこみそうだった先生を受け止めて、必死に呼びかけた。禅院くんの話だと、明璃さんが悪霊から解放されたときは丸一日くらい寝ていたらしいけど……。
「ふわあ。ん、んん……?」
まるで寝起きのような反応だった。流している涙があくびの後みたいに見える。何事もなくてホッとした。
「おはようございます、須藤先生」
「樫見……? そうか、なんだか長い夢を見ていた気がするけど、なんとなく聞こえていたよ。樫見が私を連れ戻してくれたんだな。ありがとう」
「いえ、わたしは思っているコトを言ったまでで……。そうだ、そこの人体模型が」
「ああ、もちろん聞こえていたよ。……なあ、父さん」
須藤先生は呼びかけると、人体模型から白い霧が浮かび人の形を作った。須藤先生はそれをジッと見つめている。悪霊に取り憑かれたから視える体質になったんだ、明璃さんのように。
「薫……すまなかった」
耳を傾けているけど黙ったままだ。
「わかっている、謝っても許されないだろう。本当にすまなかった」
「……死んでからも謝ってばかりですか。酒呑んでは殴って、酔いが醒めたら謝ってばかりッ!」
あんな須藤先生の落ち込んだような顔は見たコトない。わたしには状況が想像できないから、より壮絶に思える。お父さんの霊の顔は曇ったままだ。もともと深いシワが更に深く刻まれている。
「……でも、尊敬してる部分もある。父さん、アンタは責任から逃げなかったじゃないか」
「しかし酒に逃げてしまった」
「あの頃はただのクソ親父としか思わなかったけど、大人になった今は逃げるべきではない場面に直面したからわかりかけてきた。よく逃げなかった、偉いよ」
「薫……。すまない」
「だからさ、もう恨むのはこれっきりにするから……。もうとっとと逝けよ、母さんと同じところに」
「……母さんは、最後になんて言っていた?」
「もちろん覚えてる。後悔はないのかって何度訊いても……それでも愛していた、ってさ」
「……すまない。本当に苦労をかけた、本当にすまない」
お父さん霊が光を放ちながらどんどん薄くなっていく。これが霊が成仏するときなんだ。
「薫、立派な教師になったな」
「アンタよりもな。ほら、この樫見を見ろよ」
「えっ? どういう意味ですか!?」
「ははっ、違いない――」
ふたりとも揃って満足げに笑うと、やっぱり親子らしくそっくり。微笑ましく見つめていると、突然、お父さん霊を包む光がさらに強くなり、どこかへ消えた。成仏し終えたみたい。
「……さて、樫見も禅院もお疲れさん。おかげでなんかスッとしたよ。早く体育館に行こうか」
「おいおいおいおい……俺を忘れてんのが命取りだぜ!」
「あっ、そうか。私はコイツに憑かれていたのか」
「視えるコトが余計に恐怖だろう。さあ、ぶち壊してやる!」
さっきまで頭を押さえていた悪霊が、また須藤先生に取り憑こうとしている!
「いい加減にしろ」
胸が抑えつけられるような怖い声。禅院くんが赤い眼をして睨みつけている。片方の手は白い糸で悪霊を縛り上げ、もう片方の手には白い板のような刀身の剣を携えて。
「ヒエェーっ!」
焦る表情を見せる悪霊にその剣を振り下ろす、その一瞬――
「やめろ、禅院!」
よかった。須藤先生が禅院くんを止めてくれた。あのままだったら、禅院くんはきっと罪悪感に苦しみそうで……。
「止まってくれてありがとう。禅院が全ての責任を負う必要はないよ。だから、ソイツを放してやりな」
「先生、こいつは」
「大丈夫だ。私は信じているよ――」
「……そうですか」
糸をほどいた瞬間、悪霊はすぐに須藤先生の元へ飛んでいった。
「ケッ、甘ちゃんが。絆されるとでも思ったか、マヌケが!」
すぐさま手慣れた様子で先生に取り憑き、その虚ろな視線をただ真っ直ぐ見据えている。この屋上には柵もなにもない。
でも、わたしには取り憑くのを見るコトしかできなかった。あのとき、先生はこう言ったのだから。
「大丈夫だ。私は信じているよ――みんなを」




