恩師①
サトルはカッパのゴンから悪霊を追い出した。とはいえ、まだ安心はできない。完全に見失ったら最後、なにも痕跡を残さない悪霊を追うには、極めて困難になる。
だからこそ悪霊が逃げおおす前に、斬る。たとえそれが殺人と同義だとしても。
「さてサトル、キミはアレが旧校舎に逃げたと言ったが、どういう行動を取ると思う?」
「立てこもりか?」
「ワタシもそう思う。悪霊は見逃さないようにしないとな」
「頼りにしてるぜ、バク」
「任せておけ、見逃さんぞ。ワタシの歯の黒いうちはな」
「それを言うなら目の黒いうち、だろ。虫歯になってるじゃねえか」
やはり逃げるためには、誰かに取り憑いてその人を人質にするコトが無難だろう。文化祭の時間は終わり来客が帰れば、人の流れもまばらになる。当然だが、学校に残るのは生徒と先生だけだ。
せめてみんな祭りの気分でいて、悪霊に隙を突かれないようにと祈るしかない。
「ん、やっぱりいたぞ」
予想していた通り、悪霊は旧校舎に向かっているようだ。
「この先には?」
「駐車場だけど……」
イヤな予感がよぎった。そこに人がいるとしたら、きっと駐車場係だ。祭りを陰から支える大事な役目ではあるが、浮かれる気分にはなれないだろう。
間違いなく悪霊は駐車場係を狙っている。現に仕事を終えて誘導棒を持ったその人はクタクタに見える。いや、その姿に馴染みすらあった。
「あれは……須藤先生!?」
それは保健室の先生の仕事なのかと問い詰めたくなるが、そんな暇はない。サトルは霊剣の柄にクモの糸を巻き付け斬りつけた。射程が伸びムチのようにしなる一振りは悪霊を捉えられず、虚空を斬った。
「苦しまぎれの攻撃は避けられるか……。サトル、注意を促すんだ」
内容はなるべく、不自然ではないほうがいい。
「須藤先生―っ! もう急いで体育館行きましょう!」
「ああ、禅院じゃないか。わかってるよ。けど午後にやっただけなのに疲れちゃってさあ。樫見たちのステージも見たかったのに……」
「ゆっくりしてないで急いでーっ!」
「も〜、そう急かすな急かすな。若いヤツにゃついていけんよ。……って、その赤い目はなんだ? カラコン?」
「そこにー! 悪霊がー!」
「えっ、なに――」
悪霊は須藤先生に覆い被さり、半透明の身体は見えなくなる。取り憑かれてしまった。
須藤先生の身体を乗っ取った悪霊は、ビクッと一瞬だけ身体を震わせると、石を拾い投げ、新しくしたばかりの窓を破って旧校舎へと入っていった。
「立てこもろうが、どうにもならないだろうに。とりあえず追おう」
サトルもすぐに窓から侵入した。相変わらず薄暗く、同じ学校の一部にもかかわらず、置いてけぼりにされているようだった。
深夜めいた静寂に、上から木の軋む音がした。どうやら2階を走っているようだ。いちど訪れたときに構造は頭に入っている。サトルは急いで向かった。
「また階段を登りだしたぞ。サトル、こんなコト少し前にもあったよな」
「ああ……」
なぜ悪霊は高い場所へ向かいたがるのか。空にあこがれているからだろうか。そんなコトを思いながら、サトルはため息をついた。3階の屋上、須藤先生以外にそこにはなにもない。
「来たか、クソガキが。なにもない俺の恐ろしさを――」
「少し黙れ」
サトルは話を遮り、耳を傾けた。かすかにだが足音が聞こえる。
たしかあのときは、小林先生が来てくれた。もし来てくれなければ、今の自分はここにいないだろう。そんなコトを思い出しながら身構えていると、廊下の暗がりから人影が現れた。
「ちぃーっす。ああ、取り込み中でした? やべーっ、さーせんしたァ」
足音の正体は、旧校舎に住まう人体模型の空妖だった。
「なんだコイツ! グロすぎんだろ!」
「えっ、黒い? わかったっすか? いやボクね、あこがれてたんすよ、日焼けすんの。ここで日浴びてた成果が出ましたわ。いやあ、あなたは違いがわかるオンナっすね」
「なにやってんだよお前!」
「おお、あのときの少年。その節では世話んなったっす。んでえ、なんかそこの女の人とケンカ中っすか? そんな目赤くしちゃって」
「あの人に悪霊が憑いたんだよ」
「マジすか。それはべっ。マジゃべっ。前のボクと同じだ。いや、ちょっと違うけど。どうにかしてやらなきゃっすね」
「チカラでどうにかできないのか? あの吸い込む能力で」
「いやさーせん。ボクね、うまく使いこなせねーんすよね。あのガミガミじーさんのほうができますよ。呼びますか?」
「いいのか? また取り憑かれて好き勝手されるんじゃないのか?」
「そんときはそんときっすわ。んじゃ、心臓開きますよ」
そう言ってすぐに人体模型の剝き出しの心臓が開いた。暗闇が広がるそこから、半透明で足のない壮年の幽霊が現れた。
「……あんなコトがありながら、わしに助けを求めているのか?」
サトルは小さく頷いた。
「おまえのような小僧には荷の重い話だろうよ。借りるぞ、人体模型」
「いまさら改まって借りるぞなんて言われてもねえ。っと、グチってる場合じゃねえっすね。どぞー」
校長の幽霊は人体模型に身体ごとぶつかると、音もなく消え去った。
「ふうーっ。さて……。ルールを設けようか、悪霊くん」
完全に取り憑いた。『マイルールを設け、3つ破ると閉じ込める能力』。これを校長の幽霊は自在に使える。
「ひとつ、暴力はなしだ。ふたつ、質問には答えるように、ウソはいけない。みっつ、飛び降りるのもアウト。以上、これらのルールを守ればよい……互いにな」
「うるせえよ。なんだったら今すぐにでも飛び降りてやろうか?」
「やめろッ!」
サトルがそう言う前に校長の霊が言った。手を伸ばし、一歩ぎこちなく踏み出しながら。
「その反応は尋常じゃねえよな、少なくとも他人に示す反応とは思えねえ。まあ興味はねえがな。だがら、この身体を傷つけるコトもできる」
悪霊は須藤先生の目に、自分で指を突っ込むそぶりを見せた。
「キサマァ……!」
これまでにないほどに素早く、人体模型は須藤先生の顔に拳を掲げた。
「――これで、ひとつ……」
「いきなり自縄自縛するなんて、らしくないんじゃないんすか」
「わしは……悔しくて仕方ない……!」
悪霊の言ったとおり、尋常ではない。以前戦ったときとはまるで人間性がすげ替わったかのように別人に思える。まさか――
「須藤先生とはどんな関係なんだ。ルールに則って答えてもらうぞ」
「わしの……娘だ」
「……ウソだろ。どうりで必死になるワケだよ。だったらなおさら守らなきゃいけないじゃないか」
「なあ、どうすればいい? 我々はなにもできないのか?」
「須藤先生の心に訴えれば、まだ可能性はある」
「おもしろそうなコト喋ってんじゃねえか。じゃあ……今すぐ飛び降りてやろうか!」
「そうはさせねえよ」
サトルは五指からクモの糸束を伸ばし、須藤先生の足に絡ませた。
「知らないのかクソガキが。幽霊の透明化ですり抜けられるんだぜ? それがどういう意味かわからんのか?」
「知ってるさ。その透明化を解除して、実体にならないと落ちないのもな。オレはこうして糸で吊りあげられるし、空だって飛べる」
「どうせおまえらは無力だ。寄ってたかっても人ひとり救えない。なんにもなんにも持ってないこんな俺なんかになあ! ざまあみろクソ共ッ」
膠着状態が続くかと思ったそのとき、またしても廊下から足音が聞こえた。人影がはっきり見えると、また春の頃を思い出した。
「須藤先生……どうしたんですか? こんなところで」
廊下の暗がりから樫見が現れた。震える声に恐怖を滲ませる樫見は、わかっているであろう、しかし信じたくないといった口調だった。
「察しの通りだ。須藤先生に声をかけてくれないか? オレたちがやるよりも、きっと声は届くハズだ」
やはりなにもできず、悪霊の言ったとおり、ただ無力だ。この現状がなにか変わるコトを祈りつつ、悪霊の行動を見張るしかできない。
「……やってみます。助けてみせます」
サトルは須藤先生を樫見に託した。きっと助かる。奇跡は起こる。それを信じ、祈り続けるだけだ。




