拝啓、太陽の子たちへ
「あれ? ここは――」
サトルは目を覚ますと、古梶荘の大部屋にいた。いつの間に布団で寝ていたのかと、?マークが浮かぶ。
しかしそれも一瞬だけ。視線を横にやると、みんなも寝ていた。
樫見と小林先生は寝相よく眠っているが、真島はなぜか畳の上でいびきをかいて、魅人は布団からはみ出して大の字で寝ている。明璃は半目を開いて寝ていて、子供の頃から変わらないなとサトルは思った。
カーテン越しからの外は薄暗く、小鳥のさえずりがよく聞こえる。みんなを起こさないようにそっと立ち、エントランスに向かうと、ソファにもはや見知った男が座っていた。
「よう」
「藍原証悟……」
赤い瞳から敵意は感じない。だからこそ、サトルは目を丸くした。
「ずいぶん早起きだな。ラジオ体操でもすンのか?」
「いや、外の空気でも吸おうと……」
「そりゃ奇遇だな、オレもだ。なあ、せっかくだから明るくなるまで待ってようぜ」
「おい、そんなコトしたら!」
「ああ、わかってる。わかってて言ってンだよ」
証悟はここに座れと、向かいのソファを指さした。サトルはそれに応える。
「禅院サトル。ゆかりともども、世話になったな」
「……どうだったんだ? あの出来事が夢だったのか現実だったのかも、まだわからない」
サトルは一切の汚れもない学ランを見てつぶやいた。足を変形させて爆ぜ失せたハズのローファーも下駄箱にある。夢なのか現実なのか証悟に訊こうとしたが、サトルはすぐに思い直した。バクのいびきが聞こえたからだ。
「夢か現実かなんざ、些細なモン。そうだろ?」
「……まあ、な」
証悟は小さく笑った後、すぐに真顔に真顔に戻った。
「……オレの人生はずっと悪夢が続いていたモンだった。カネも名声を得ても、なにも満たされねンだ。別にそんなモンのために描いてなかったからな。ゆかりの笑顔とか、家族の笑顔が見たかっただけだから」
「あんたが描いた夢で、ゆかりさんは成仏したじゃないか」
「ああ。もうオレの人生は報われたよ。だからよ、ツケは払わなくちゃな。……おいおい、そんな顔すンなよ。同情はいらねェよ」
憎たらしく見えた笑顔も、今は空しさしかない。全てをやり遂げて燃え尽きた、灰のような色のない笑顔。
「オレのやったコトは自分の命でしか払えねェ。あの幽霊の言った通り、なにも失ってねェからそんな顔できンだよ、青二才が」
「……わざと憎まれようとしなくていい」
「ったく、調子狂うぜ。やさしいヤツだな、ありがとうよ」
窓を覗くと、空が白けてきた。小鳥が飛ぶ姿、風に揺れる木々。目に入るすべてのものを、証悟は感慨深く見つめる。
「世界が彩られていくのをいつぶりに見ただろうな。色づく空、ヒノキの色も。飛んでるのはコガラかな」
「現実に話す相手を見るのも?」
「ククッ、そういうコト。あと、テレビを見るのもな。こんな薄くてデカいのは初めてみるがね」
証悟はソファを挟んだ机の上に置いてあるチャンネルを取り、ボタンの多さと画面の薄さに面食らいながら、電源ボタンを押す。日曜日には見たくないニュースが流れていた。
『ええ、まず速報が入りました。現地時間未明――』
テレビには、ミサイルが降り注ぐ紛争地帯の映像が流れる。爆発と黒煙、崩れゆくビル。目を覆いたくなるような現実だ。そのニュースが終わっても、待ち受けるのは暗いニュース。
『ヨーロッパでは干ばつにあえぐ一方で、アフリカの南部や北アメリカでは大雨による洪水など、地球規模の異常気象による影響が大きく現れています。日本でも琵琶湖の水面が下がり、お城の石垣らしきものが――」
証悟はテレビを消して、わざとらしく首を横に振る。
「ああ、こりゃひどい。ひどすぎる。こんな世の中よりも、夢の中のほうが幸せなのかもな」
「あんたはホントにそう思うか?」
「半分ウソだよ。どんなところにも地獄はあるモンだ。生きる上で楽園なんか存在しねェよ。ただ、それでも――」
証悟はすっかり晴れ渡った青空を、窓越しに眺める。
「きれいなモンもある。間違いなく」
青空を見つめる赤い瞳は、心底おだやかだった。なにもかも満たされたものの心が入っていた。
「ガキのオレが思っていた21世紀はこう思ってた。空飛ぶ車に高層ビルディング、もっと夢と希望のある未来になってるってな」
「実際はどう思った? じいさん」
「ククッ。まあ小汚いニンゲンどものやるこたァ変わらねェな。だが、おまえのようなニンゲンを見て、やっと未来に希望を感じられた」
「オレは……ひとりじゃなにもできない。あんたとは違う」
証悟は炎のような暖かい瞳をサトルに向け、手を差し出した。握手を求めている。
「居場所を作って、友達を守ろうとして、協力して、敵を倒す。そして……そんな敵を許す。誰にでもできるコトじゃないし、弱さを認められるのは弱さじゃない。誇れよ、胸を張って堂々と」
サトルには証悟が本心で言っているのがわかった。夢であったときと同じ目をしていた。サトルは微笑んで、差し出された手を握った。
瞳とは裏腹に、その手は氷のように冷たい。サトルは思い切り力を込めて握った。証悟の表情をうかがうと、痛くもかゆくもないという笑みを浮かべていた。
「……やっぱり勝てないな。オレは愛の告白すらできない、きっと」
「なんだ、あの中に好きなヤツがいるのか?」
「いやいやいや……いや痛い痛い!」
「おっと悪い、テンション上がってチカラを込めちゃったな」
「ったくもう、いるとは言ってないぞ」
「ククッ。とにかく、だ。どうせ人生は長い。いろいろ感じて生きろよ。せっかく大変な時代に生きてンだから」
「どんな時代の人も思ってたんじゃないかな。きっと、『自分はとんでもない時代に生きてる』って」
「フッ、間違いねェな」
ふたりは離した手をまた握ってから、証悟は立ち上がり、玄関の出入り口に手をかける。
「楽しかったぜ。年寄りの与太話に付きあってくれて、ありがとうな」
「あんたが決めたんなら、止めはしないよ。ただ……さびしいな。外に出た瞬間、会話したコトも忘れるんじゃ」
空妖はなにも残せない。死んでしまうと、存在していたコトも記憶もなかったコトになる。
「やめろよ、人殺しの化け物に同情すンのは。オレも未来がどうなるか、まだ見たくなっちまうじゃねェか」
「ウソ。さらさら思ってないだろ」
「おっと、バレたか。ウソはつき慣れてねェからな」
証悟はいたずらっぽく笑ってから出入り口のノブを捻ると、動きがピタリと止まった。そして目をつむり、人生を思い返した。
「全部、夢だ。この扉を開けた瞬間、おまえは夢から醒める。オレもだ。消えて、忘れ去られて然るべきさ」
そして少年たちを慮った。光の当たる道へ、みんなでしっかりと歩けるように。
「夢から醒めたとて現実も非情だ。呪いを背負って産まれたとしても、産まれたコトは呪いじゃねェ。もし挫けたら、友達に助けてもらいな」
「……ハナシが長いぜ、じいさん」
「いけねェな。歳をとると、つい」
この扉を開けたとき、なにもなくなるというのは、どういう感覚か。恐怖はない。あるのは未来への祈りだけだった。
無責任かなと、苦笑いをしながら。
「それじゃあな、21世紀生まれ! 新時代はおまえたちのモンだッ! 混沌の時代を目いっぱい生きろよッ!」
証悟はいよいよ扉を開き、太陽の光の中へと歩いた。
「藍原証悟――」
サトルは外に出た。風が吹いていた。青空が広がり、周りの木々はざわめき、小鳥たちが飛び交う。静かな朝だった。
「……いい天気だな」
サトルは深く深呼吸した。おだやかに始まった、新しい一日を噛み締めるように。




