化け物ふたつ③
このエピソードには、人体の欠損などのグロテスクな表現があります。
証悟は吸血鬼の身になって、初めて肝が冷えた体験をした。目の前にいる少年の、なんと異様なコトか。
肥大した右腕を引きずり、赤い瞳は複眼のようになって睨みつけ、背中からニ対四本の黒い触手が伸びて蠢いている。
「な……なんだよ、あの化け物は」
証悟はサトルの姿を見て、失っていた正気を取り戻していた。皮肉にも、わずかながら残っていた人の心が、『自分はあんな化け物じみた姿ではない』と嘯いたのだ。
「おいッ! これ以上近づくなよ、この小娘がどうなってもいいのか!?」
証悟は明璃の頭をバレーボールを持つようにワシづかみし、身体ごと持ち上げる。人質にしてサトルの人間性を確かめるがための行動だった。
しかし明璃は動じなかった。
「サトル……うしろよ」
「なッ!? 消えた……?」
明璃はつぶやくと、握っていたハズの頭の感触は消え、虚空をつかんでいだ。目の前にいるのは、ニンゲンの姿をした化け物だけだった。
「来るんじゃねェよ、化け物!」
拳を握り、先制攻撃を仕掛ける。狙いは肥大した右腕、早く動かせないだろうとの狙いだ。だが、そんな期待は予想を超える形で裏切られた。
サトルはハイキックの要領で右足を拳の前に繰り出す。すると破裂した靴の中から、猛禽の足が飛び出した。
「うがあァァーッ!」
その鋭利なツメで、証悟の拳を突き刺しながら受け止める。異形の足から抜け出そうとするも、ありえないほどのチカラで手を開けない。
「この、化け物がッ!」
残った左腕で足を殴ろうとするも、サトルの左手の掌底から放たれたクモの糸束で止められた。両手を塞がれるも、まだ足はなんともない。
ならば蹴り上げてやろうと証悟は思った矢先に、サトルの背中から伸びる触手が両足に絡みつき、いよいよがんじ絡めになった。身動きが取れない中で、第一印象で放った『化け物』という言葉が重みを増す。
「来るなよ……。化け物はテメェらのほうじゃねェかッ! 水で手を作ってダムに引きずりこんだり、おまえもそうだ、禅院サトル!」
吸血鬼の甘えを無視し、サトルは右腕にチカラを込める。指を一本ずつ折りたたんで拳を固め、強風になびく木のようなギシギシと軋む音を立て、ゆっくりと右腕を突き出した。
そのスピードは死刑台への道を歩んでいるようで、証悟を震え上がらせた。
「おかしいだろ、こんなの……」
鏡花旅楽はないが、目の前にいる吸血鬼を倒す方法は、殴り抜く。ただそれだけ。
この身体になるまでに、あらゆる生命を喰らった。シオマネキの手、ガのヘアペンシル、オオタカの鉤爪、昆虫の複眼。次に使うのはシャコのパンチ力だ。
サトルは気づいている。吸血鬼もバクも、同じ生命を喰らってチカラを増す空妖だと。そして、守りたいモノを守るためならば、何者にでもなれるというコトを。
「オレもおまえも、変わらないな」
サトルは寂しく笑みを浮かべ、重い右腕から凄まじい速さでパンチを繰り出した。証悟の身体を殴り抜いたあとで発砲音のような轟音とともに、異形の右腕は血を伴ってちぎれた。パンチの衝撃に耐えられなかったのだ。
「サトル……」
うしろで見ていた明璃の頬に、サトルの血が飛んだ。その血を拭うと、明璃は動悸が激しくなった。
「ウ、ウゥ……」
サトルは地面を這い、うめく。しかし血は止まっていた。失くなった腕の断面から熱を発して蒸気が上がり、トカゲのシッポのように徐々に再生していく。
見たくもないグロテスクな光景だけれど、明璃は前を向き続けた。
「痛いのに……、ずっと痛いのに。あたしのために戦ってくれて、ありがとう」
サトルはゆっくりと立ち上がり、オオタカの足で地面を踏みしめ、証悟が飛んだ方向へと向かう。空妖は死ぬと記憶から消え去るが、証悟を殴った記憶がある。つまり死んでいない。
「まだ……生きてる」
一歩、また一歩、証悟へにじり寄るたびに、腕が生え伸びる。証悟はオオカミのチカラでバラバラになりそうだった身体を再生するも、痛みで立てなかった。薄れる意識の中で近づいてくるサトルを見て、笑うしかなかった。
「ハハ……。ありゃ心すら失くした化け物だ。なあ、かわいいモンじゃねェか、吸血鬼なんて」
証悟は自暴自棄になっていた。振り返れば、やるコトなすコト中途半端。化け物にもなりきれず、人間にも戻れず。ただ全てを失っただけ。だからこそ、人の心を道づれにしたかった。
「おい、小娘ッ! おまえはあんな化け物を慕うのかッ!?」
「……そんなの、当たり前でしょ」
明璃はハッキリと答えた。凄惨たる有り様でも、目を離さなかった。
「はあ? あんなのニンゲンじゃねェだろッ! ほら見ろ、よく見ろよ!」
「見た目はそうかもね。それでも、心はサトルだって信じてる」
「なんでそんなコトを言える……。見捨てろよ、あンなの!」
「サトルは友達だから! あたしがひとりにさせないッ!」
証悟は心もズタズタに引き裂かれる思いだった。故郷を捨て、人間関係も捨て、人間であるコトにも捨てたのになにもできなかった。
「なのに……、なんであの化け物は孤独じゃない? なんで? どうして?」
縁に恵まれているサトルに、証悟は心底、心からうらやましく思い、ついに心が折れた。
「クク……。裏切られ続けた人生だった。もうイヤだ、なにもかも。ああ、ちゃんちゃらおかしい」
証悟は大の字になって倒れこんだ。あきらめの極致だった。
「早く来いッ! オレを殺せッ!」
サトルの足元で証悟が叫ぶ頃には、既に右腕が元通りになっていた。証悟を見下す視線には、獣よりも切実で、人よりもドス黒い意志が滲み、溢れる。
サトルはなにも言わずに拳を振りかぶると、うしろから声がする。
「止まってッ!」
明璃の声だ。サトルは言われた通りにして、振り向いた。
「サトル、待ってくれないかな。せめて手加減でも」
「なんだよ……。オレを憐れむのか。この化け物を自分のチカラだと勘違いしてンのか!?」
「アンタが死んだら、誰がゆかりさんのコトを覚えていられるの!?」
証悟はすぐに黙った。するとサトルは肥大した右手を元に戻して、証悟をふつうに殴った。
「お、鬼かコイツ!?」
「鬼はアンタでしょうが! ちょっ、ストップだって、サトル!」
明璃は証悟に馬乗りになりそうなところを抑えようとするも、壊れたロボットのように聞かず、止まらなかった。明璃は諦めて、ため息をついた。
「……世話が焼けるんだから、サトルは。ねえ吸血鬼、あそこの穴に入れば夢を操れるんでしょ?」
証悟は殴られながらも、がんばって首を縦に振った。それを見ると、明璃は月桂樹の樹洞に下半身を入れた。同時にメリーさんとの能力の共有が解除された感覚もした。
「これで……また目を覚まして」
明璃は手足を動かすが如く月桂樹を当然のように操り、サトルの頭の上に花を飛ばした。花は光を放つと、サトルはすぐに正気に戻って馬乗りに殴るのをやめた。
「おい、カノジョが大変だぜ?」
ボコボコの顔をした証悟が震える指で月桂樹を指す。サトルは短く叫び、急いで明璃の前に出た。
「な、なんで明璃が樹に……」
「あー、その、どうでもいいけどさ……。そんなにジロジロみないでよ、マヌケなカッコだから」
「ホントにどうッでもいい! すぐ助けるからなッ!」
「どうやる? 『大きなカブ』みたいに引っ張る?」
「いや。鏡花旅楽で斬り倒す! 待ってろ、すぐに持ってくるから!」
「ハハッ、バカだな。木と一体化してンだから、小娘ごと死ぬぞ」
「黙れや原因がよッ!」
「サトル、落ち着いてよ。気持ちはわかるけど、そんな怒鳴る姿見たくないわよ」
「明璃は……、なんで落ち着いていられるんだよ。オレはこうならないように行動していたハズなのに」
サトルは涙声になった。執念深い証悟がどうにもできなかったのに、どう解決すればいいのかわからない。
「ずっとさ、ゆかりさんの夢を見てて。なんか情が移ったというか……。でもメリーさんのチカラでどうにかならないかなーって。ムリっぽいけど」
サトルは明璃の笑顔を見ないで、うつむいたまま、月桂樹に向かって言った。
「オレが木の中に入る。開けろ!」
しかしなにも起こらない。戦意のなくなった証悟が立ち上がった。
「それもムリ。女限定だ」
サトルは荒くなった呼吸を整え、真剣な眼差しで月桂樹に言う。
「オレ……元は女だったんだ」
「サトル、そこまでして……」
内心ムリだろうと思いながらも、なりふり構わない姿勢に感動した明璃だったが、少し間を置いた月桂樹に吐き出され、顔から地面にダイブする。
「痛ァい!」
「よしッ! これでいい!」
「なんか腹立つわね、一瞬だけ迷ったでしょこの木!? 節操なさすぎ!」
サトルが樹洞に入ると、怒気を隠さないで明璃が言う。
「あたしが入る!」
「いてえッ!」
すぐにサトルは吐き出された。
「明璃、マジでいい加減にしろよ!? 繰り返してたら顔面擦り切れてなくなるぞ!?」
「いい加減にするのはサトルのほうでしょ、いっつも自分ひとりで背負って!」
「呪われるのはオレだけでいい! おいコラ木ィ開けろボケオラァ!」
「ケンカ腰すぎだって!」
言われた通り、月桂樹は樹洞を開いた。明璃を飲み込むくらい大きく。
「えっ、ちょ、待って――」
「す、吸い込まれるッ!?」
サトルも樹洞に吸い込まれると、静かになった洞穴で証悟だけひとりになった。
「……なんだコレ」
呆れと同時に、うらやましいと、心底思った。




