90話 楽園だ。
川岸 水面は葵 月夜の隣を歩く。
どうやら葵の家はここから10分ほど先にあるらしい。まだ歩くのかと川岸はうんざり気味でついていく。
小柄な方の川岸はチョコチョコと狭い歩幅で葵に合わせていたが、途中で気がついた葵はゆっくりと相手のペースに合わせて歩いていた。
葵は川岸に地元の高校生と告げて、家族のことや今日のバイトの様子などを話して聞かせた。
年下とは思っていたが現役女子高生とは……もうすぐ20歳になる川岸は相手が羨ましく、キラキラと輝いて目に映っていた。
「ところで何故ここへ来たんだい?」
「話すと長いけど、簡単に言うと気晴らし。かな?」
「確かにここは何もないから気晴らしにはもってこいだな。ハハハハ」
「何笑ってんの!? ホントに何もなくて大変だったんだから! こんなに1人で歩いたのは人生初めてだよ~」
「ハハハ、それは大変だったね」
笑顔を向ける葵に、とても初めて会ったと思えない親密さが川岸には心地よかった。
グゥ~~ウ~~ウ
と、川岸の腹が盛大に鳴った。アイドルにあるまじきオナラ並の大きな音。
そういえばマ○クで買ったパイ以外は口にしてなかったと、顔を赤らめた川岸に葵は笑いかける。
「ハハハ。そういえばわたしも夕飯はまだだったよ。家についたら一緒に食べよう」
顔を赤くしたまま川岸はコクコクと首を縦に振る。恥ずかしくてとっさに言葉が出なかったようだ。
不思議と高鳴る胸に川岸はグループのメンバーにもない感情だなと思った。
2人はのんびりと歩き、やがて葵の自宅へとたどり着く。
ちょっとした丘にポツンとある書院造りの家へと門を抜け入っていく2人。
暗くてよくわからないが、かなり大きい家だなと川岸は思った。
引き戸をガラガラと開けて葵が広い玄関を入ると廊下の奥に向かって声をかける。
「ただいまー。お母様~行き連れで泊めたい人がいるんだがー!」
「はぁ~~!?」
驚いた声が奥から響く。
葵は気にしてないようで、川岸に笑って頷くと靴を脱ぎ中へと向かう。
「いいのかな?」呟きながら川岸も葵の背中を追っていった。
廊下の先にはこれまた広い居間があり、そこにはソファーで大型液晶テレビを葵 海と倉井 最中が一緒にくつろいで見ていた。
「ただいま海! おっ、最中君も来ていたんだ。今日は泊まりかな?」
「おかえり。最中のことはいいでしょ!? わたしのお客様なんだから!」
「ふふっ、お帰りなさい」
仏頂面で言う海にクスクス笑う倉井。対照的な2人にいつも通りだと笑顔の葵が頷く。
目ざとく葵月夜の後ろにいた川岸を見つけた海。
「その人は誰?」
「おっと、忘れてた。彼女は川岸さん。バイトの帰り道で偶然会ってね、やむを得ぬ事情で我が家に招待したんだ」
「はぁ!?」
奥にいた母と同じ反応を示す海。月夜部長らしいなと倉井は再びクスクスしていた。
「少しとっつきづらいが、とっても愛らしいわたしの妹の海だよ。そして後輩で友人の最中君だ」
川岸に紹介しながら顔を向けた葵だが、彼女が固まっているのを見て片眉を上げる。
それもそのはずで、川岸は海や倉井に我が目を疑った。
かたやポニーテールの美少女。かたやおかっぱ頭だが、かえってそれがとってもキュートな美少女。前にいる葵月夜はギャル風だが美人だ。
まさか何もないところで、こんな光景を想像だにしていなかった川岸は、きらびやかな世界に目を細めた。
「ら…楽園?」ボソッと漏らす川岸。
「ど、どうしたんだね川岸さん?」
「はっ!? い、いいえ、なんでもない! とっても素敵な妹さんたちね!」
慌てた川岸は両手を振って誤魔化す。
ふふと笑った葵は彼女を台所へと連れて行った。
台所のダイニングテーブルには葵の母親がいて2人を出迎えてくれた。
特徴的なカールをさせたミディアムヘアーな母親だが、この人も綺麗だなと川岸は挨拶しながら思った。
川岸をイスに着かせ、葵月夜は母に事情を説明しながら用意してあった料理を冷蔵庫から出して簡単に温め直す。
その間にフライパンを使い、2品ほど追加で作って川岸の前に並べる。
「ほとんど作り置きですまないが我慢してくれ。わたしがバイトだったんで、行く前に作って置いたんだ」
「い、いえ、おかまいなく! すごく美味しそう!」
立ち込める料理の匂いに川岸のお腹が再び鳴った。
いただきますをした2人は食事を始める。
う、うまい! 女子高生の手料理だけでもご馳走なのに、こんなに美味いとは! お腹が空いていたのも引いたとしても葵の料理は自分の作るものよりも数段上だ。
なんだか幸せすぎると川岸はホクホクしながら口を動かしていた。
川岸はアイドルグループのメンバーである事実を伏せて、たまたま仲間達と別行動していたのが裏目に出て迷ってしまったと話して誤魔化した。
葵の母はふふと笑いながらも2人にお茶を淹れ、興味深そうに話しを聞いていた。たまに合いの手を入れるが葵たちの会話の邪魔をしないようにしているようだった。
普通だったらこんな珍客には質問攻めが待っているはずなのに、まるで友人のような振る舞いを見せる葵や母の気遣い。なんだか温かいなと川岸はほっこりしていた。
食後はお礼に片付けを手伝い、葵が風呂に入る間、再び居間へと連れてこられた川岸。
そこには海と倉井が楽しそうに話しているところだった。目の保養にはなるがなんとなく居心地が悪いなと、川岸は手持ち無沙汰でテーブルにあったお菓子に手をつけることにした。
すると海が川岸に聞いてくる。
「ねえ。川岸さん、だっけ? なにか初対面じゃない気がするんだけど。どこかで見た?」
「はぇえ!? い、いえ、どこにでもいる顔だから、誰かと勘違いしているのかと……」
「そう? 最中は知ってる?」
「えっと、わからない」
海に振られた倉井は基本的には地底で過ごしていたため、地上のテレビの話題や芸能には疎い。そのため、彼女の頭の中には知り合いの顔が列挙されていた。
そんな倉井の反応に海は違うことを思い出した。
「そういえば、最中と初めてあったときも、お姉ちゃんが無理矢理連れてきたんだよね?」
「無理矢理ではないけど…。わたしが困ってるところを助けてくれたんだ」
苦笑している倉井に、私が初めてじゃないんだと川岸は驚く。
海は倉井が初めて来た時のことを川岸に語り、姉の謎な行動力を不思議がっていた。
それを聞いて川岸は野良犬とか野良猫の扱いに似ているなと、頭に月夜が犬猫とたわむれている姿を思い浮かべていた。
緊張していたが次第に打ち解けてきた川岸は、風呂の後も居間で葵姉妹と倉井の輪に入り、おしゃべりしてくつろいだ。
川岸は風呂に入る前にもう一度マネージャーに連絡し、住所を伝えて明日の迎えをお願いしていた。次のイベントはこの町を過ぎた先にあるため、行き途中でピックアップしてもらう予定だ。
やがて寝る時間になり、月夜の部屋へ案内された川岸。畳部屋に布団を敷くのを手伝いながら民宿みたいだなと、ちょっとワクワク感が出てきた。
しかもこんな人里離れた場所に美人たちが住む家なんて、まるで桃源郷だ。今日の前半はガッカリだったけど、今は楽しくて仕方ない。
明日がもっと遅ければいいのに……山岸は毛布にくるまりながら隣で寝ている葵の綺麗な横顔を眺めながら独りごちた。
しかし葵月夜の寝付きが早い。時計の針は午後11時過ぎを指している。田舎の夜は早いとは聞いていたが、これほどとは……。
廊下を挟んだ向かいにある妹の部屋から、時折くぐもった笑い声が聞こえてくる。あの2人は友達にしてはずいぶん親密そうだったなと、川岸は目を閉じて彼女たちの世界を空想していた。
──翌朝。
目が覚めた川岸は隣の布団がないことに気がついた。
葵月夜はすでに起きているようで、布団は押し入れにキチンと畳まれて入っていた。
夜早くて朝早いってお婆ちゃんみたい。まだ眠い目をこすりながら川岸は居間へと向かう。
居間のテーブル前では、倉井がお茶を両手に持って飲んでいるところだった。
なんてキュートなの……川岸の眠気は倉井を見た途端に吹っ飛んでいった。気がついた倉井は微笑しながら挨拶してきた。
「おはようございます」
「おはよー。ところで月夜ちゃんは?」
「今時間なら道場だと思いますよ」
「ありがと!」
川岸は笑顔で礼を言うと屋敷の奥へと廊下を歩く。昨日説明してもらっていたから屋敷内のことはなんとなくわかっていた。
トトトと足音を鳴らしながら廊下を抜けて道場へ通じる引き戸の前に来ると、中から「セイ!」「ハッ!」かけ声が聞こえてきていた。
そっと扉を開いて覗く。そこには空手着の葵月夜が1人練習をしている風景があった。
後ろに髪を束ねて、道場の窓から差し込む朝日に汗が輝いている。
ギャル然とした姿からは想像できないほどカッコイイ! しばらく見とれていた川岸は、はたと気がついて寝室へとダッシュで戻って行く。
そう、こんな素敵はところを写真に残さなきゃ! と川岸はスマホを取りにいったのだ。
息を切らせながら再び道場へ来た川岸は、いまだ練習中の月夜を連写、ズームで接写、動画などを撮り始める。
調子に乗ってきたところに電話がかかって、驚いた川岸は落としそうになりながらも、なんとか通話した。
「はいぃ!?」
『おはよう! 起きてる? 近くに来てるんだけど、あと10分ぐらいで着くから出る準備しててね!』
「はやっ!!」
マネージャーからの連絡に慌てる川岸。あと10分で来る! あたふたしている中、声をかけられる。
「おはよう。何かあったのかい?」
電話の音を聞いたのか練習を止めた月夜が川岸の目の前にいた。
「お、おはよー! ご、ごめんなさい黙って見てて。あんまりにも格好良かったから…」
「ハハハ、そう言ってもらえると嬉しいな。妹の海は“お姉ちゃんガニマタでダサい”ってよく言われるからね」
「そんなことないよ! って、こんなことしてる場合じゃないんだ! 支度しないと!」
「ん? 支度?」
「マネージャ…仲間が迎えに10分後に来てくれるみたいだから用意しないと!」
「そうか、朝食は?」
「ごめん! 大丈夫!」
そう言うや部屋へとダッシュで向かって行く川岸。月夜はその背中を見送って台所へと向かう。
居間でお茶を飲んでいた倉井は、先ほどから川岸が廊下を走って行ったり来たりしている様子に、落ち着きのない人なのかな? と不思議に思っていた。
プップー!
なんとか川岸が身支度を終えたところで外からクラクション音が聞こえる。
早い! 焦りながらもバッグに化粧道具を突っ込みドタドタと玄関に向かう。
「ご迷惑をかけましたー! 泊めていただいてありがとうございまーーす!」
家中に聞こえるように礼を言いながら靴を履いて出て行く。その騒動に何事かと倉井と海は居間から顔を出していた。
葵家の門の外には移動用のマイクロバスが見える。
ちょうど車からマネージャーが出てくるところだった。
「ちょっと待って!」
後ろからの声に、川岸が足を止め振り返ると手提げ袋を持った柔道着の月夜がいた。
「朝食代わりにおにぎりを握ったんだ。よかったら道中に食べて」
「ありがとう…わざわざ」
袋を受け取り中を確認するとラップに包まれた小さめのかわいいおにぎりが数個入っていて、タッパにはおかずが入っているようだ。
見ず知らずの人にここまでしてくれるなんて…思わず感動する川岸。
「ハグしていい?」
「は? い、いや、その、朝練したんで汗臭いから」
「女子高生の汗なんて大好物だから大丈夫!」
拒否る月夜を無視して抱きつく川岸。本人の言い訳にもかかわらず、良い匂いがする。
体を離すとスマホを取り出し、戸惑う月夜のアドレスを聞き出し登録した。
そこにマネージャーがやって来ると月夜に頭を下げる。
「この度はメンバーがご迷惑をお掛けして失礼しました。って!」
顔を上げたマネージャーは月夜の顔をマジマジと観察し、名刺を取り出して差し出す。
「もし興味があったら連絡くださいね? あなたとっても良い人材ね!」
「え?」
「さ、行きましょう川岸さん! 次のイベント会場には遠いんですから!」
「はーい。本当にありがとう月夜ちゃん! またね!」
ポカンとしている月夜に笑顔で手を振り川岸はマネージャーとマイクロバスへと乗り込む。
車の窓には仲間と思われる女性たちが顔をくっつけてこちらを見ている。月夜を見てはしゃいでいるようだ。
そのまま手を振る川岸を乗せてマイクロバスは行ってしまった。
なんだが騒がしい人達だなと月夜は遠くなるマイクロバスを見送って家に戻った。
居間に入ると妹の海と倉井がくつろいでテレビを見ているところだった。
「あ~~!? この人! 何か見たことあったと思ったんだ! これだ!」
突然叫び声を上げた海はテレビを指差す。
月夜と倉井が視線を向けると、そこには商品を紹介しているアイドルグループのCMが映っている。
そこには先ほど別れた川岸が他のメンバーと共に出ている光景があった。
ああ、なるほどと、月夜は川岸が自分のことをあまり語らなかった理由がわかった気がした。きっとアイドルと知られたくなかったのだろう。ひよっとして、お忍びの遊びだったのかもしれない。
手に持っていた名刺を見ると『甘辛プロダクション アイドルグループ担当マネージャー 佐々木 やつめ』と記されてあった。




