1-3 光と闇の境界が揺れる
街灯の故障した区間は、夜の道路の中でも特に異質だった。
光が途切れ、闇が濃く沈み、
アスファルトの上に落ちる影は闇に触れ、本来の形を忘れて歪んでいた。
久遠はその闇の中心に立っていた。
存在感ゼロの体質は、光のない場所ではさらに強まる。
闇が地面から滲み上がり、彼が“沈む”ように見えた。
アズラが静かに告げる。
『黒瀬の車、あと二百メートル。
ライトの角度からして、あなたの闇は一気に伸びるわ』
久遠は息を整えた。
呼吸を止めると、闇の濃度が増す。
闇が濃くなるほど、世界は久遠を認識できなくなる。
『……来るわ』
遠くから、エンジン音が近づいてきた。
黒瀬の車は、配信のためにゆっくりと走っていた。
スマホのライトが車内を照らし、
黒瀬の顔は“善良なドライバー”を演じるための笑みを浮かべていた。
車が闇の断層へ差し掛かった瞬間――
久遠の闇が、光の乱れに反応した。
闇は地面から“浮き上がり”、
黒瀬の車の進行方向へ向かって伸びた。
まるで生き物が匍匐前進するように、
アスファルトの上を滑っていく。
黒瀬は気づかない――
はずだった。
だが、バックミラーに一瞬だけ、
“黒い線”が映った。
黒瀬は反射的に振り返ったが、
そこには何もなかった。
「……気のせいか?」
その瞬間、闇は車体の下へ入り込んだ。
アズラが囁く。
『久遠、闇が運転席の足元に到達したわ。
あとは……闇が勝手にやる』
闇は車体の底を這い、
運転席のペダルの裏側へ入り込んだ。
黒瀬がアクセルを踏むと、
闇がその動きを“呑み込ん”だ。
「……あれ?ペダル、軽い?」
アクセルを踏んでも車は反応しない。
黒瀬は踏み直すが、闇が感触を奪い続ける。
「なんだよこれ……壊れた?」
配信画面が揺れ、視聴者が騒ぎ出す。
「え?どうした?」
「車止まった?」
「影が動いたように見えたんだが」
「心霊配信?」
黒瀬は焦り、ブレーキを踏む。
だが、闇はブレーキの感触も奪った。
「……ブレーキも効かねぇ!?
なんだよこれ!!」
車はゆっくりと蛇行し始めた。
黒瀬の背中に、冷たい気配が触れた。
闇が足元から這い上がっていた。
「誰かいるのか!?
おい!!」
もちろん誰もいない。
黒瀬の車内には黒瀬しかいない。
だが、闇は確かにそこにいた。
黒瀬の視界が揺れ、
車は道路脇へ向かって蛇行した。
黒瀬は恐怖で声を荒げた。
「ふざけんなよ!なんだってんだよ!クソが!!」
その瞬間――
アズラが黒瀬のスマホへ“ノイズ”を送り込んだ。
アズラは研究所時代に学んだ
「ログに残らない微弱通信」 を使い、
黒瀬の配信アプリ内部へ静かに侵入した。
『久遠、黒瀬の元動画と失言、いただいたわ。ここからは私が“編集”する』
スマホ画面が一瞬揺れ、黒瀬の配信映像が乱れた。
次の瞬間――
視聴者の画面に“別の映像”が流れ始めた。
黒瀬が煽り運転している映像。
蛇行しながら女性の車を追い詰める映像。
信号で割り込み、暴言を吐く映像。
急ブレーキで事故を誘発する映像。
そして――
黒瀬が事故直後に笑いながら言った言葉。
「これ、編集したら俺が被害者になるじゃんw
ネットのバカども騙すの余裕w」
視聴者のコメントが一変した。
「え……これ黒瀬?」
「煽ってるの黒瀬じゃん」
「嘘ついてたの?」
「被害者の女性、完全に冤罪じゃん」
「黒瀬最低すぎる」
「通報した」
黒瀬は叫んだ。
「違う!これは偽物だ!編集だ!!
俺は悪くねぇ!!」
しかしアズラは容赦しない。
『黒瀬のスマホに保存されていた“未編集の動画”よ。
あなた自身が撮ったもの。
あなたの声、あなたの車、あなたの位置情報。全部、本物』
黒瀬は震えた。
闇が足元で揺れ、背中に冷たい気配を触れさせる。
「やめろ……やめてくれ……
俺は悪くない……悪くないんだ……!」
視聴者の怒りは止まらなかった。
「警察に送った」
「煽り運転は犯罪だぞ」
「女性に謝れよ」
「黒瀬の住所特定されてる」
「スポンサーも切るだろこれ」
黒瀬のスマホに通知が連続で届く。
「警察:任意同行のお願い」
「スポンサー契約:解除通知」
「動画配信サービス:アカウント停止」
「保険会社:契約見直しの連絡」
黒瀬は崩れ落ちた。
「なんでだよ……なんで……俺はただ……ただ……!」
車の安全装置が完全に作動し、
エンジンが停止した。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
久遠は闇の中で静かに立ち、
黒瀬の車を見つめていた。
『黒瀬自身が配信した“証拠”が、
視聴者によって大量通報されたのね。
彼の悪事は、もう編集でごまかせない。』
闇は黒瀬の足元で揺れ、
まるで“裁きを終えた”かのように静かだった。




