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第8話「保留された税調査」

次の審問では、財務省の会議録が最初から証拠机にあった。


厚い綴じ紐。


三名分の署名。


頁をまたぐ財務省の割印。


文書院の貸出票とは、作られ方から違う。


「ベルツ男爵家への監査を一時保留したことは認める」


宰相は開廷と同時に発言を求めた。


「王太子執務室からの公益照会を受け、追加資料が揃うまで待っただけだ。卒業式典の直前に男爵家を召喚すれば、不要な混乱も生じる。行政上、違法な処理ではない」


「ええ。保留そのものの違法性を問うつもりはございません」


わたくしは財務監査官へ向いた。


「監査官殿。順に、日付だけを確認させてください。ベルツ男爵を正式監査へ移す予定だったのは?」


「事件の二日前です」


「召喚状は?」


「作成済みでした。送達前です」


監査官が控えを掲げる。


ベルツ男爵の名。


王都への出頭日時。


未使用のまま残った送達番号。


「取り消しが決まったのは?」


「同日の午前です。王太子執務室から公益照会が届き、財務高官三名の合議で保留となりました」


「三名は、同じ席で署名したのですか」


「はい。私も記録官として立ち会いました」


監査官が答える。


「照会の内容を読み上げ、三名が順に意見を述べました。保留の決定後、作成済みだった召喚状へ取消印を押し、送達簿にも中止を記入しております」


召喚状が証拠机へ回された。


ベルツ男爵の名の上に、太い二本線。


その脇に、保留決定と同じ日付の取消印がある。


「照会の内容は」


「ベルツ領の税収に、王太子殿下が検討中の地方振興策と関連する支出が含まれる可能性がある。確認が終わるまで、強制監査を待つように、と」


監査官は公益照会の原本を差し出した。


王太子執務室の職印はある。


アルベルト殿下個人の署名はない。


宰相がその点を指す。


「執務室の名義であって、殿下本人の署名ではない。公益照会を出すこと自体も、執務室の通常業務だ」


「その通りです」


ヘレナ首席審問官が公益照会を裏返し、財務省の受領印を確かめた。


「したがって、この文書だけで王太子本人の指示とも、偽証の対価とも認定しない」


王宮側の法務官が、短く息を吐いた。


わたくしは舞踏会直後の隔離供述を開くよう求めた。


その前に、宰相が監査官へ向き直る。


「公益照会を受けて監査を止める例は、過去にもあるな」


「ございます。外交交渉や軍需調達と関係する場合、二重調査を避けるために待つことはあります」


「ならば、この一件だけを犯罪の見返りと呼ぶことはできまい」


「はい。会議録だけからは判断できません」


監査官は王宮側にも、わたくしにも都合のよい答えを選ばなかった。


それでいい。


今、問うべきなのは保留の適法性ではなく、ヨハンがそれを知っていた理由だ。


「ヨハン・ベルツは、偽証の見返りについて何と供述しましたか」


レイモンド書記官が封印済みの頁を読む。


「アルベルト殿下から、『まず監査を止める。その後、父の税流用を不問にする』と告げられた――以上です」


供述が記録されたのは、財務省へ公益照会が送られた二日後――舞踏会の終了直後だった。


「ヨハン様が供述した時点で、監査保留は公表されていましたか」


「いいえ」


監査官は首を横に振る。


「監査対象であるベルツ男爵にも通知しておりません。召喚状は送達前に止めましたから」


「会議録を閲覧できた者は?」


「出席した財務高官三名、記録官、担当監査官。それから、公益照会を受けた窓口責任者です」


「ヨハン様は、そのいずれかに含まれますか」


「含まれません」


議場の視線が、会議録と隔離供述の間を往復した。


「ベルツ男爵本人から、監査が来ないと聞いた可能性は?」


「ございません」


監査官は作成済みの召喚状を示した。


「送達前に取り消しております。男爵家から見れば、召喚が予定されていたこと自体、まだ起きていない事実です」


完全な「不問」と、一時的な「保留」は同じではない。


ヨハンの供述だけで、将来本当に監査が消されたとも言えない。


それでも、彼が口にした最初の段階――まず監査を止める――は、事件の二日前に実行されていた。


しかも、本人の知り得ない場所で。


「財務省の誰かが、ヨハンへ漏らした可能性はある」


宰相の反論を、ヘレナは退けなかった。


「可能性は残る。監査官、情報漏洩の有無も調査せよ」


「承知しました」


「エリカ嬢。ほかに、この会議録から求める認定はあるか」


「一つだけでございます」


わたくしは、公益照会の日付を示した。


「ヨハン様が事件後に作った嘘なら、事件前の非公開処理と順序まで一致した理由を、王宮側には今後ご説明いただきたい」


宰相は答えなかった。


ヘレナ首席審問官が裁定を口にする。


「公益照会の違法性も、王太子本人の指示も、現段階では認定しない」


ペン先が走る。


「ただし、ヨハン・ベルツの非公開供述が、本人の知り得ない事件前の行政記録と符合したことは認める」


三名の署名がある会議録の横へ、ヨハンの供述記録が置かれた。


別々の場所で書かれた二つの日付が、同じ線の上に並んだ。

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