第18話「わたくしの名で署名する」
最終宣告から五日後、同じ円形議場に新しい文書が並んだ。
罪を認定するための証拠台は片付けられている。
代わって中央の机に置かれたのは、訂正文、補償合意書、婚約解消書、そして新制度の発起案だった。
国王陛下、ヘレナ首席審問官、レイモンド宮廷書記官。公爵家からは父と法務代理人が出席している。
ディートリヒ宰相の席は空いたままだ。
本件の最終文書作成から除外されたため、作成過程にも署名にも加わっていない。
国王が最初の文書を読み上げた。
「エリカ・ヴァルトシュタイン嬢にかけられた聖女毒殺未遂嫌疑は、王太子らが作った虚偽であった。王家はこれを国内外へ訂正し、本人とヴァルトシュタイン公爵家へ公式に謝罪する」
わたくしの名の横に付けられていた「被疑者」の語が、正式な訂正文によって消される。
けれど、元の記録そのものを廃棄するわけではない。
何を告発され、何が虚偽と判明し、誰が訂正したのか。舞踏会の記録と王宮審問の記録、今日の訂正文を一続きにして保存する。
「訂正範囲に、相違はございますか」
レイモンド書記官が尋ねた。
「ございません」
二枚目は補償合意書だった。
名誉侵害、王妃教育の費用、婚約準備に要した支出、虚偽告発によって失われた利益。項目ごとに算定根拠が添えられ、王家の帳簿へ計上する勘定名まで記されている。
父の法務代理人が、支払期限と履行保証を確認する。
「金額を公表なさいますか」
国王の問いに、わたくしは合意書へ目を落とした。
「詳細な額まで公表する必要はございません。ですが、王家が法的責任を認めて補償した事実と、その費目は記録してくださいませ」
沈黙の代金ではない。
王家が不法な告発の責任を負ったことを、帳簿に残すための補償だった。
合意書に、わたくしと公爵家の発言を制限する条項はない。今後新たな損害が判明した場合の追加請求権も、放棄していなかった。
父の法務代理人がその二点を指で追い、わたくしへ頷く。金額より先に確認すべき箇所だった。
国王が頷き、該当条項へ追記させる。
三枚目は婚約解消書。
「王家側の重大な有責により、アルベルトとエリカ嬢の婚約を解消する。エリカ嬢およびヴァルトシュタイン公爵家に、契約上の責任は一切ない」
国王印と公爵印が押される。
二つの印影の間には、責任の所在を曖昧にする余白がない。
学院長へ預けた婚約指輪は、審問終了に伴って証拠目録から外され、公爵家の法務代理人へ返還された。
小さな箱が、父の前へ置かれる。
父は蓋を開けず、そのまま法務代理人へ預けた。
もう、わたくしの指へ戻ることはない。
「訂正、補償、婚約解消。三点、相違ございません」
わたくしが答えると、国王は最後の提案書を手に取った。
王族が正式告発を行う時は、独立審問官を立ち会わせる。
証拠には来歴表を添え、証人との事前接触を開示する。
告発と同時に、関係記録を王家以外の保管先へ複本で封印する。
一つの部署が証拠の準備、告発、記録訂正のすべてへ触れられないよう、権限を分ける。
制度案には、告発される者の身分によって保全手順を変えてはならないことも明記した。王族が告発者でも被告でも、複本の封印先と閲覧記録は同じである。
「この制度案を貴族評議会へ付議する」
国王は頁をめくった。
「成立までの暫定措置も、同じ基準で運用しよう。初代監督官の候補には、発起人であるそなたの名も挙がっている」
「一つ、条件をお願い申し上げます」
「申せ」
「初代の監督官から、わたくしとヴァルトシュタイン家、旧王太子執務室の関係者を除外してくださいませ」
国王が眉を上げる。
父は何も言わず、わたくしの返答を待っていた。
「被害当事者であるわたくしが最初の裁定者となれば、制度が私怨のために作られたと疑われます。わたくしは発起人として、制度案を提案した責任だけを負います」
「権限を得るための提案ではない、と」
「はい。誰が告発されても、誰が告発しても、同じ手続きが働くための提案です」
ヘレナ首席審問官が制度案を引き寄せる。
「発起人および事件当事者を初代人事から除外する規定は、公正さを示すためにも必要でしょう」
国王はレイモンド書記官へ追記を命じた。
乾く前の文字へ砂が振られ、余分なインクが払われる。
父が、もう一通の委任状をわたくしの前へ置いた。
「これは公爵家からだ」
迫る国境協定更新に限り、わたくしを公爵家の全権代理とし、交渉と署名を任せる文書だった。
「受けるかどうかは、お前が決めなさい」
六歳の時、王妃になる道はわたくしが選んだものではなかった。
いま目の前に置かれた役目には、断る余地がある。
「お引き受けいたします」
自分で答えた声が、議場へ静かに落ちた。
王妃になるための役目ではない。
誰かの失敗を、誰にも知られず直す役目でもない。
わたくし自身が引き受け、わたくし自身が責任を負う仕事だった。
レイモンド書記官が、五つの文書を順にこちらへ向ける。
訂正文の確認者。
補償合意の当事者。
婚約解消の当事者。
新制度の発起人。
最後に、公爵家の全権代理を受ける者。
かつてアルベルト殿下への情があったことは、否定しない。
共に国を支えたいと願った過去も、消さない。
けれど、その過去によって、これからの選択まで決められることはなかった。
わたくしはペンを取り、インクを含ませた。
署名欄へ記したのは、未来の王妃でも、アルベルト殿下の婚約者でもない。
エリカ・ヴァルトシュタイン。
ただ、わたくし自身の名だった。




