第16話「王太子印を返す」
最終判断の日、ミリアとヨハンも議場へ戻された。
三人は離れた席に座り、互いを見なかった。
開廷に先立ち、レイモンド書記官が証拠目録と前回までの調書番号を読み上げた。双方に追加提出の機会が与えられ、王宮側の法務官も、三人の代理人も、もう新たな証拠はないと答える。
それを聞いてから、ヘレナ首席審問官は判決書の封を切った。
ミリアの胸元には、すでに聖女章がない。ヨハンは財務監査官が運び込んだ分厚い台帳へ一度だけ目を向け、すぐに俯いた。
アルベルト殿下の卓上には、王太子印と真鍮の名札が残っている。
どちらも、まだ最終処分を待つ身分の証だった。
ヘレナ首席審問官が判決書を開く。
「これより、本件に関する事実認定を申し渡す」
最初に呼ばれたのは、フェリクス・アーレンだった。
「三本の命令線に関する実務を処理したが、冤罪計画の全体を知っていた証拠はない。よって、共犯とは認定しない」
フェリクスの肩から、わずかに力が抜ける。
「ただし、告発前の広報草案を知りながら、異常を報告しなかった監督責任は残る。これは別途懲戒へ付す」
「承知いたしました」
短い返答の後、フェリクスは深く頭を下げた。
「ヨハン・ベルツ」
「……はい」
「王立学院の旧印章を不正使用し、偽の物証を設置した。さらに、見ていないものを見たと証言し、その見返りとして父親の税調査を止めるとの約束を受け入れた。以上の事実を認定し、有罪とする」
ヨハンは唇を噛み、膝の上で組んだ手を固く握った。
「ミリア」
返事はない。
「エリカ嬢の筆跡を模倣して脅迫状を偽造し、虚偽の日付を証言した。被害者を装い、冤罪の成立へ加担した。以上の事実を認定し、有罪とする」
ミリアは聖女章のない胸元で、両手を握っている。
ヘレナは最後の頁をめくった。
「アルベルト殿下」
議場が静まった。
「王権を用いた虚偽告発、証拠偽造の指揮、偽証教唆、行政処理による見返りの供与、および公的手続きによる威迫について、有罪とする」
「待て」
殿下が席を蹴るように立った。
椅子の脚が石床を擦った。
傍聴席から声は上がらない。舞踏会では殿下が指を向けただけで、誰もがわたくしを罪人として見た。いまは同じ人々が、判決書から目を逸らさずにいる。
「私はすべて話した。殺す意思はなかったとも説明した。それを認めたからこそ、私は――」
「殿下の陳述は量刑資料であり、有罪の根拠ではない」
ヘレナは判決書から顔を上げた。
「告発前の広報草案、独立した三本の記録、隔離供述との一致、事件前の妃候補照会、正式告発に関する法的知識、記録修正への自発的関与、そして舞踏会での言動。殿下が黙秘していても、同じ判断に至る」
殿下が、王宮側の法務官へ振り向く。
法務官は目を伏せた。反論を出せる段階は、もう終わっている。
「私が話したことに、意味はないというのか」
「量刑事情を判断する意味はある。罪の有無を決める意味はない」
黙っていても、記録は残っていた。
殿下の発言で明らかになったのは、無実ではない。他者の人生を脅しの材料にしても、最後に命を助ければ慈悲になると考えていたことだった。
ヘレナは各被告の有罪部分へ裁定印を押した。ひとつ押すたび、書記官が時刻を読み上げる。印影は、誰かの記憶や好意で後から薄められないよう、二部の判決書へ同じ順で刻まれていった。
グスタフ国王陛下が高所の席から立つ。
「審問会の有罪認定を受け、恒久処分の宣告まで証拠と権限を保全する」
侍従が、国王名義の保全命令を広げた。
「アルベルトの王太子権限を全面停止し、王太子印を国王預かりとする。これは王太子位と継承権の最終処分ではない。次の宣告まで、いかなる命令も発せぬようにするための暫定措置である」
「父上!」
殿下が一段高い席を見上げた。
「有罪は不当です。少なくとも、王太子印まで取り上げる必要はない。国境協定も予算も――」
「その代替手続きは、すでに整えられた」
国王は声を荒らげなかった。
「返納せよ」
警護官が銀の盆を持って近づく。
殿下は後ずさった。
「来るな。私はまだ王太子だぞ」
警護官の歩みは止まらない。
「近衛、この者たちを下がらせろ。王太子としての命令だ!」
近衛兵は直立したまま、目を動かさなかった。
彼らが背いたのではない。
国王名義の保全命令が発効した今、殿下の命令には従うべき権限がない。
「なぜだ。なぜ誰も私の命令を聞かない!」
返事をする者はいなかった。
議場にあるのは、国王の保全命令と、高等審問会の有罪認定。それだけだった。
王太子という呼び名は、声を大きくすれば力を取り戻す呪文ではない。印と、それを正当と認める記録と、権限の範囲がそろって初めて命令になる。
その三つのうち、最初の一つが、いま殿下の手から離れようとしていた。
殿下の呼吸が荒くなる。
やがて、震える手が懐へ入った。
黒い紐につながれた金の印章が外され、銀の盆へ置かれる。
ごとり、と鈍い音がした。
警護官は印章に布をかぶせ、その場で封印紐を掛けた。レイモンド書記官が返納時刻を読み上げ、二人の証人が台帳へ署名する。
盆は国王の前へ運ばれていく。
国王は印章へ触れなかった。封印が破られていないことだけを確認させ、王室金庫へ移すよう侍従へ命じる。父から子へ返されたのではない。最終宣告まで、誰にも使わせないために隔離されたのだ。
殿下の卓上から、印章だけが消えた。
真鍮の名札には、まだ『王太子アルベルト』と刻まれている。
位と継承権を永久に失うかどうかは、次の宣告で決まる。
殿下は空いた場所へ手を置いたまま、名札から目を離さなかった。




