第15話「話し合えば、何が間に合うのか」
アルベルト殿下が証言台へ立った。
警護官は手を添えず、左右へ一歩ずつ離れている。殿下にはまだ黙秘する権利があり、何を語るかもご自身で選べる。
舞踏会でわたくしを指さした時の余裕はない。それでも背筋を伸ばし、王族として命令を告げる時の声を作ろうとしていた。
「私がミリアとヨハンへ指示し、告発の準備をさせたことは認める」
傍聴席の空気が動いた。
ディートリヒ宰相は目を閉じたが、口を挟まない。いまの言葉がなくとも故意の判断へ進めると、すでに裁定されている。
「だが、エリカを重刑にするつもりはなかった。私の目的は、王家側の有責とせずに婚約を解消することだ」
ヘレナが、判決資料用の白紙へ目を落とした。
「三つの証拠で、エリカ嬢に罪を認めさせるおつもりだったのですか」
「あれだけそろえば、抵抗を諦めると思った」
「罪を認めた後は?」
「私が寛大な処分を嘆願する。領地での謹慎程度に落とせば、命は助かる。私は婚約を解消でき、公爵家との全面対立も避けられる」
殿下は、それを慈悲として語った。
偽りの罪を着せた後で命だけは助け、助けた者として振る舞う。公爵家が抗議すれば、罪人を庇う家として退けることもできる。
「聖女毒殺未遂が重刑に値することは、ご存じでしたね」
「知っていた。だからこそ、彼女も抗えないと思ったのだ」
書記官のペン先が、紙を擦った。
殺す意思はなかったという弁明の中で、殿下は重刑の恐怖を利用したことを認めている。
「私は実際に殺す意思などなかった。量刑では、その点を考慮すべきだ」
「分かりました」
ヘレナがわたくしへ発言を許した。
わたくしは証言台の正面まで進み、そこで足を止める。
「では、もう一つだけ。舞踏会の夜、三つの証拠がすべて崩れ、本件を王宮審問へ移すと決まった後のことです」
殿下の指が、証言台の縁をつかんだ。
「わたくしが指輪を外した時、殿下は『話し合えば、まだ間に合う』とおっしゃいました。何を間に合わせるおつもりでしたの?」
すぐには答えがない。
法務官が殿下の横顔を見つめていた。答えないよう止めることも、代わりに話すこともできない。
「……君にとっても、悪い話ではない」
やがて殿下は、わたくしへ向き直った。
「君が個人的な被害申告を下げ、最終認定で私の指示は確認できないと述べれば、ミリアとヨハン、それに執務官の独断で収められた。記録を消すのではない。結論を正すだけだ」
「わたくしが、事実と異なる結論へ署名するのですか」
「王家は君の無実を公表する。公爵家にも補償する。君は何も失わない」
閉廷後、宰相が差し出した和解案と、同じ筋書きだった。
けれど、宰相は王国を守る取引として提示した。殿下の言葉には、その先がある。
被害を消すのではなく、被害を認めた者の署名で加害者を消す。その紙にわたくしの名があれば、後から記録を読む者は「当事者も認めた」と受け取るだろう。
殿下は、わたくしの潔白だけでなく、わたくしの署名までご自分の逃げ道へ組み込んでいた。
「婚約は、どうなさるおつもりでした?」
「解消しない。君は予定どおり私の妃になる」
傍聴席のどこかで、衣擦れの音がした。
「わたくしを罪人にしようとなさった後も?」
「だからこそ、私が名誉を戻すのだ。王家の謝罪も補償も、私が認めれば進められる。君にとって不利ではない」
殿下は、本当にそう考えているらしかった。
「その後は?」
「国境協定も予算も迫っている。私が失脚すれば国が止まる。君が戻り、これまでどおり私の執務を直せば、誰も困らない。君は王妃になり、私は王になる。だから、まだ間に合うと言ったのだ」
十二歳の共同学習計画。
赤字だらけの国境協定。
中も見ずに押し返された予算照合表。
机の上で分けた三つの記憶が、同じ場所へ戻っていく。
はじめは二人で解いた。
そのうち、わたくしが直したものへ殿下の名だけが載るようになった。
そして最後には、殿下が作った罪まで、わたくしに直させようとしている。
「私は君を必要としている、エリカ」
殿下が手を伸ばす。
「君がいなければ、私は完璧な王太子でいられない」
「必要となさることと、選ぶことは別です」
伸ばされた手が止まった。
「殿下が必要としておられるのは、わたくしという人間ではございません。ご自身の失敗を、ご自身の責任にならない形へ整えてくれる、都合の良い機能ですわ」
「君も王妃になれるのだぞ」
「それを望んでいないと、なぜお分かりにならないのですか」
殿下の唇が動いたが、声にはならない。
王妃になるために十二年を費やした。だから最後まで王妃の座を欲しがるはずだと、疑ったことさえなかったのだろう。
「かつて殿下と国を支えたいと願ったことは否定いたしません」
過去まで嘘にする必要はない。
「ですが、いまも、これから先も、殿下の手を取ることはございません」
わたくしは一歩下がった。
証言台との間に、誰の手も届かない距離ができる。
「わたくしは、あなたを選びません」
殿下の手がゆっくりと下りた。
拍手も歓声もなかった。
ただ、伸ばされていた手と、その手を取らなかったわたくしの間を、書記官のペンが走る音だけが満たした。
十二年かけて結ばれたはずの関係は、その短い一文で初めて、わたくし自身の意思によって終わった。
ヘレナが、陳述終了を告げる前に確認する。
「アルベルト殿下。いま述べた内容は、重刑に至らせる意思がなかったとの量刑上の主張として扱う。それで相違ないか」
「……ない」
「記録せよ」
レイモンド書記官が応じた。
ヘレナは王宮側と傍聴席へ向き直る。
「殿下の説明は、量刑資料として記録する。なお、有罪判断の根拠は、陳述前に提出された証拠によるものとする」
木槌が鳴った。
「事実審理を終結する。次回、最終判断を申し渡す」




