第12話「王太子は、知らなかったのか」
「殿下は、告発が撤回不能になるとは知らなかった」
次の審問で、宰相はそう主張した。
「婚約者を威圧するつもりが、予想以上に重い手続きとなった可能性がある。法的効果を理解しない若者の短慮まで、計画的な王権犯罪と同じに扱うべきではない」
アルベルト殿下は王宮側の席にいる。
視線は前へ向いていた。隣には王妃殿下。王太子教育を統括し、国王へ提出される評価書へ監督印を押してきた方だ。
証言台へ、法学教師が立つ。
ヘレナ首席審問官は、王立学院から提出された答案原本を掲げた。
「十五歳時の法務試験。設問を読み上げよ」
教師が頁を開く。
「『王族が公式行事で臣下の犯罪を告発した場合の法的効果を論じよ』」
「解答は」
教師の声が、わずかに低くなった。
「『予備審問記録として封印され、告発者の都合では撤回できない。虚偽の場合、告発者も審問対象となる』」
舞踏会でわたくしが確認した内容と、一言一句違わなかった。
「採点は?」
「満点。評価欄には『極めて優秀』と記しました」
宰相は答案を見たまま答える。
「十五歳の試験で覚えていたからといって、三年後の舞踏会で思い出していたとは限らない」
忘れていた可能性。
それだけなら、答案一枚で消すことはできない。
「アルベルト殿下」
ヘレナが本人へ向けて呼びかける。
「舞踏会でエリカ嬢が正式告発かと問い、虚偽なら審問対象になると説明した時、意味が分からなかったのか」
殿下の顎が上がる。
「あの場では、私の証拠が虚偽だとは考えていなかった」
「質問に答えよ。制度の意味は分かっていたか」
短い間があった。
「……分かっていた」
ペン先が紙を擦る音がした。
知らなかった、という扉が閉じる。
それでも、制度を知っていたことと、三つの嘘を命じたことは別だ。
ヘレナは答案を証拠台へ戻し、二枚の評価表を並べさせた。
「次に、同年度の総合評価を確認する」
教師が保管していた原本には、二行の指摘がある。
『論拠不足』
『確認を省き、独断で結論を急ぐ』
王妃の監督印を押して国王へ提出された版では、その二行だけが消えていた。
「王妃殿下。提出版から削除を命じられましたか」
「……私が命じました」
王妃は目を逸らさなかった。
「アルベルトは未来の王です。教育上の弱点が政敵へ渡れば、継承に利用されると恐れました」
「教師の評価が誤りだったとお考えでしたか」
「いいえ」
「では、直すためではなく、見せないために削除した?」
王妃の指が、膝の上で重なる。
「そうです」
それは王妃殿下が負うべき責任だ。
けれど、母が隠しただけなのか。
本人は何も知らず、整えられた提出版を受け取っただけなのか。
「原本の右下をご覧ください」
わたくしの言葉に、ヘレナが紙を傾けた。
教師の筆跡とは違う、短い書き込みがある。
『母上の確認済み。提出本には不要』
「この文字を書いた者を確認できますか」
ヘレナは最初に教師へ尋ねた。
「私ではありません」
次に、王妃へ。
王妃は余白を見つめたまま、ゆっくり頷く。
「アルベルトの筆跡です。私が修正内容を見せた時、本人が書きました」
「アルベルト殿下。ご自身の書き込みで間違いないか」
「……私の字だ」
「教師の指摘が提出版から消えると知っていた?」
「母上が提出には不要と判断された。私は確認しただけだ」
殿下は母の判断を口にした。
けれど、その判断を知らなかったとは言わなかった。
紙から不都合な二行が消えると知り、その処理へ自分の手で了承を残していた。
宰相がなおも声を上げる。
「王妃の過干渉が、殿下から失敗を学ぶ機会を奪ったのだ。環境の影響は量刑で考慮されるべきだろう」
「考慮は必要です」
わたくしは二枚の評価表を見た。
原本には教師の警告。
提出版には、よく整えられた優秀な王太子。
その間に、母の監督印と、息子の一行がある。
「失敗を隠した方の責任と、その仕組みを知って利用した方の責任を、同じものにしない限りは」
王妃殿下は目を閉じた。
ヘレナが木槌を一度鳴らす。
「本記録により、アルベルト殿下が正式告発の法的効果を理解していたことを認定する。また、不都合な教育評価を提出記録から除く処理へ、自ら関与したことも認定する」
そこで言葉を切った。
「ただし、この自筆指示だけで、現在審理中の証拠偽造を命じたとは認定しない。王太子執務室へ集まる三本の命令線、事件前の待遇照会、隔離供述との符合を併せ、故意の有無を判断する」
答案と評価原本が、証拠目録へ加えられる。
レイモンド書記官は余白の一文まで省かず写した。
『提出本には不要』。
かつて消す側へ回った殿下の文字が、今度は本人の都合で閉じられない記録へ入っていった。




