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創像師  作者: Haku
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休日の寄り道

その日は、珍しく、予定が何もなかった。

休日自体は、これまでにもあった。けれど、たいていは報告書や補講、創刻理論の課題に追われて、市場へ出る余裕などなかった。何の予定もない一日は、配属されてから、初めてかもしれない。


「ノア。……おはよう」

朝。ミオは、枕元の本に、寝ぼけまなこで呼びかけた。月白の装飾が淡く光り、本の輪郭が粒子となって解け、白銀の青年が形を結ぶ。

「おはようございます、ミオ。起床予定時刻を、四十分過ぎています」

「……今日は、休みだから」

ミオは、もそもそと半身を起こした。

「ねえ、ノア。市場、行きたいな」

「休日、という概念をご存知ですか」

ノアは、淡々と言った。

「身体を休める日です。市場で半日、石を探すための日では、ありませんよ」

「でも、休みだから、行けるんだよ」

「論理が、繋がっていません」


ミオはそれには答えず、いつものように机の風鈴を、明かりに透かして、その音を楽しんでいた。

その様子を、ノアはしばらく見ていたが、やがて小さく息を吐いて、身支度に付き合うのだった。



食堂の空気が、ほんの少しだけ、いつもと違った。

配属から、二月ふたつき

相変わらず、ミオへ向けられる視線には、距離がある。けれど――橋の案件を終えてから、その距離の質が、わずかに変わった。何か言いたげな沈黙が、混じるようになった。

もっとも、ミオ自身は、そういう機微に、あまり気づいていない。今も、窓から差し込む朝日が、向かいの水差しを通って、淡い虹の帯を床に落としているのを、さっきから、じっと目で追っていた。


「……ここ、座ってもいい?」

顔を上げると、トレーを持った少女が立っていた。ハニーベージュの髪を二つに結んだ、気の優しそうな子だ。同期の、ニナ。話したことは、ほとんどない。

「うん」

ミオが頷くと、ニナは少しほっとした顔で、ノアをチラリと横目で見てから、向かいに腰を下ろした。それから、しばらく、言いにくそうにスプーンをいじっている。


「あの、ね」


やがて、ニナが口を開いた。

「橋の案件、レグルと一緒だったんでしょ」

「うん」

ミオは、こくりと頷いた。それから、少し間を置いて、ぽつぽつと続ける。

「レグル、すごかったんだよ。私は、橋を架ける場所が、なんとなく“違う気がする”って思っただけで、理由は、うまく言えなくて。……でも、レグルは、その違和感の正体を、ちゃんと言葉にしてた」

社交の言葉は少ないのに、こと橋の話になると、ミオの口は、思いがけず滑らかに動いた。

「私は、ただ引っかかっただけ。設計したのは、全部レグルなんだよ……」

ニナは、そんなミオを見て思った。想像していたのと、ずいぶん違う。問題児で、無茶ばかりして現場を引っかき回す――そんな噂とは、まるで。

「あのね」

ニナが、ぽつりと言った。

「私、この前、イレーネさんが話してるのを、たまたま聞いちゃって。レグルが提出した報告書のこと」

「うん?」

「橋の場所を見直したのは、ミオ・ヴェルナの指摘がきっかけだった――って、レグル、書いてたんだって」

ミオは、スプーンを止めた。

「……そっか。レグル、そんなふうに、書いてくれてたんだ」

「レグルと、話してないの?」

「うん。ライナスさん達が橋を刻んでくれた後……特には会ってないから」

それから、また手元へ目を落とした。

「でも……ありがとう。教えてくれて」

ニナは、なんだか、おかしくなった。

「あのレグルが、他人をそんな風に言うの、珍しいなって。……だから、ちょっと、話しかけてみようと思ったんだ」

「そっか、ありがとう」

ミオは、ふにゃ、と眉を下げて、小さく笑った。

なんだか、胸がくすぐったい。ニナも、つられて柔らかく笑うと、目線をミオの隣に向けて尋ねた。

「そういえば、ミオの書庫精って、いつも人型なんだね」

「えっ?」

「ノア……さん。目立つから。普通、書庫精って、仕事のとき以外は、形態変化で休んでるものだと思ってた」

ニナが、ノアを気にしつつ言うと、ノアが口を開いた。

「そうですね。本来、書庫精は、能力を使うとき以外、人型を取りません。ただ、マスターとの同調が強固な場合や、私のように知を司る場合には、通常も人型を取る傾向にあります」

「知を……司る?」

ミオにも初耳で、思わず聞いた。

「はい。書庫精は主にマスターをサポートする存在ですが、その仕方も様々です。私の場合は、人々の会話や書物――観察したあらゆるものから得た知識を、他より多く蓄積し、マスターに提供するのです」

「へぇ……。つまり、より多くの会話から知識を得るために、人型でいる時間が長い、ってこと?」

「その通りです」

ニナは、鞄から一本の羽根ペンを取り出した。

「これは、私の書庫精、ファン。いつもは、こうして鞄に入れてるの。……でも、経験を積んだら、もっと猫とか、ウサギとかにも、なれるんだよね?」

「そのくらいの大きさの動物となると、だいたい二級以上の力が要りますね。生き物でしたら、最初のうちは、虫とか――」

「虫はイヤ!」

ニナが、にべもなく言った。

その様子を、スープを飲みながら見ていたミオが、ふと、思いついた。

「ニナは、今日、暇? よかったら、一緒に、市場。……変わった石を売ってる店があって、ずっと、見に行きたかったんだ」

「うん。行く!」

ニナは、即断した。



黎都れいとの市場は、休日の人波で賑わっていた。

焼きたてのパンの匂い。山と積まれた野菜や果物。鍋や布を売る店、子ども向けの飴の屋台。そして、ミオお目当ての、石を並べた露店。暁星ぎょうせいの人々の休日が、所狭しと並んでいる。

「わあ、すごい人……」

ニナが、目を丸くした。

ミオは、石屋の前で、もう足を止めていた。並んだ石の一つひとつに、静かに見入っている。手のひらに載せた石の、ひやりとした重み。その奥に眠る「気配」のようなものを、じっと確かめていた。


「ミオ。その石を購入されるのでしたら、先に制服のポケットを整理することをおすすめします」


いつの間にか隣へ並んだノアが、小さく声をかける。人目を避けるためか、今日は白銀の髪を、月白にも灰青にも見えるストールでゆるく覆っていた。光沢を抑えた上質な麻。縁だけに、銀糸の刺繍が控えめに施され、まるで月明かりを一筋、縫い留めたようだった。


「え?」

「現在、石が六個。木の実が四つ。種が三種類。砂の小瓶が一つ」

ノアは、淡々と数えた。

「このままでは右側だけ重量が増し、制服の形状維持に支障をきたします」

「そんなに入ってた?」

ミオは慌ててポケットを探る。

「……あ」

ころん、と、丸い白い石が一つ、石畳へ転がった。第三開発区で拾った石だ。どこかひんやりとした感触が気に入って、それ以来ずっと、ポケットに入れたままだった。


その、賑わいの中で。

ミオの足が、ふと、止まった。

人混みの隅。積まれた木箱の陰で、小さな子どもが一人、しゃがみ込んで泣いていた。歳は三つくらいか。見慣れない、緑の刺繍の入った服を着ている。周りの大人たちは、誰も気づかず、通り過ぎていく。

「……ニナ。あの子」

普段、人混みの機微には鈍いミオが、なぜか、その小さな心細さにだけは、気づいてしまった。

ニナが、はっと駆け寄って、そっとしゃがみ込む。

「どうしたの? お母さんは?」

子どもは、しゃくり上げるばかりで、うまく言葉が出てこない。訛りも、暁星のものとは違う。はぐれてしまったのだ、と分かった。


ミオは、その子の小さな手が、何かをぎゅっと握りしめているのに気づいた。

「大丈夫だよ。あの……その手に持ってるもの、よかったら見せてくれる?」

優しく語りかけると、子どもが、おずおずと手を開いた。

手のひらには、しおれかけた小さな枝が一本。淡い緑の葉と、見慣れない形の木の実がついている。

ミオは、それを覗き込んで、ぴたりと動きを止めた。


「……ちょっと、待って」


制服の左ポケットから、小さな革張りの手帳を取り出した。

見つけた植物をスケッチし、葉の形や実のつき方、図鑑で調べた特徴を少しずつ書き足してきた、ミオだけの植物メモだった。慣れた手つきでページをめくる。葉の形。枝の節。木の実のつき方。そして、一つの書き込みで指が止まった。


『枝にまだら模様が入る種類は、南方に多い』

ミオは、もう一度、子どもの枝へ目を落とした。


手帳のページと見比べながら、葉の形を目でなぞる。

枝先のまだら模様。

小さな実のつき方。

一つずつ、図鑑で覚えた植物の特徴が重なっていく。


ノアには、ひと目でその枝が何か分かっていた。

問われれば、即座に答えられる。けれど、何も言わない。ミオが、自分で見て、自分で確かめようとしている。その答えへ辿り着く過程を、壊そうとはしなかった。


ミオは手帳を閉じ、もう一度だけ枝を見つめる。

やがて、小さく頷いた。

「……これ、暁星の植物じゃない」

ぽつりと言う。

「たぶん……南の。森の国の植物だ。深翠しんすいの」

「深翠?」

ニナが、目を見開いた。

「そんなこと、分かるの?」

ミオは、少し照れたように植物メモを閉じた。

「植物を見つけるたびに、図鑑と見比べて、気づいたことを書いてるの。だから、この枝、見覚えがあって」


「この子、深翠から来たんだと思う」



「……何をしている」


聞き慣れた、抑揚のない声がした。

振り返ると、資料の束を抱えたレグルが、呆れ顔で立っている。

ルカは、今日はいないようだ。

「あ。レグル」

ミオが、ぱちりと瞬きをする。

「市場で遊ぶのは勝手だが――」

言いかけたレグルの視線が、泣いている子どもに留まった。

呆れ顔が、すっと真面目なものに変わる。

「……迷子か」

「うん。深翠から来た子だと思う。でも、親をどう探せばいいか……」


レグルは、子どもではなく市場の方へ視線を向けた。

市場の構造。交易商の手続き。各国商人の滞在区画。

必要な情報だけを繋ぎ合わせる。

答えは、すぐに出た。

「深翠の商人なら、交易区画に登録がある。行くぞ」

レグルは、もう交易区画のほうへ歩き出していた。

「……レグル、すごい」

ミオが、その背に、ぽつりと感心する。

「常識だ」



交易区画は、市場の西の端にあった。

そこは、地元の市場とは、まるで別世界だった。渡界路を越えてきた、各国の商人の店が、ずらりと並んでいる。北の氷霧ひょうむの、ふかふかの毛皮や、青く澄んだ鉱石。西の星紡せいぼうの、星座を織り込んだ織物や、見たこともない天文の器具。中央の海、蒼湖そうこの、干した魚や、白い塩。


「わぁ……すごい……!」

「いろんな国のものが、ここに……」

「暁星は、五王国の中で蒼湖に次いで交易が盛んだからな。だからここには、各国の荷が集まる。――こっちだ」

深翠の区画には、薬草と木材の、青くて深い香りが立ちこめていた。

レグルは、区画の管理人のもとへ迷いなく歩み寄る。

「三歳くらいの子どもが、親とはぐれた。深翠から来ている」

管理人は事情を聞くと、慣れた手つきで登録簿を開いた。

「子ども連れなら……」

指先で名簿をたどり、小さく頷く。

「五番区画だ。薬種商の一家が来ている」

「ありがとうございます」

短く礼を言うと、ミオ達を振り返った。

「行くぞ」

レグルは、それだけ言って五番区画へ向かった。

ミオたちも慌てて、そのあとを追う。


だが、辿り着いた五番の区画は、もぬけの殻だった。

畳まれた天幕と、片づけかけの木箱が、ぽつんと残っているだけ。

「店じまい……?」

ニナが、不安そうに呟く。

子どもの顔が、また、くしゃりと歪んだ。

「いや」

レグルが、残された荷札を一瞥する。

そのとき、近くで店番をしていた商人が声を掛けた。

「その一家なら、今日は青空区画だよ。」

「青空区画?」

「特産市さ。人気の店は、昼からあっちへ移るんだ」

レグルは小さく頷いた。

「……なるほど」

ニナは子どもの手をしっかりと握る。

三人は顔を見合わせると、青空区画へ向かって駆け出した。



青空区画は、市場の外れにある広場だった。

普段は何もないその場所も、この日ばかりは臨時の店が立ち並び、大勢の人で賑わっていた。

その中の一つ――深翠の薬草を並べた店先では、十歳ほどの少女が、不安そうに店番をしていた。

子どもの姿を見つけた瞬間、顔をぱっと上げる。

「あーー!いた!!!」

安堵と驚きが入り混じった声が、市場に響いた。

そのとき。


「シャルラ!」


人混みをかき分け、一人の女が駆けてきた。

深い緑の上着は乱れ、息は荒く、額には汗が滲んでいる。

我が子を認めるなり、その顔が、くしゃりと歪んだ。

「シャルラ……! ああ、よかった……よかった……!」

駆け寄って子どもを抱き上げ、何度も、頬を寄せる。

交易区画から、この青空区画へ店を移す慌ただしさの中で、ほんの少し目を離した隙に、見失ってしまったのだという。

「本当に……本当に、ありがとうございます」

女は、三人に、何度も頭を下げた。

「この子は、まだ言葉も覚束なくて。暁星の市場は、あんまり広いから……そういえば、どうやってここが?」

「あ、それは、この子の持っていた枝で」

ニナが、ミオを見た。

「彼女が、深翠の子だって、当ててくれたんです」

薬種商の女が、ミオの手の中の、しおれかけた枝に目を留めた。

そして――はっと、息を呑む。

「……その枝、一本で? あなた、深翠の出だと、分かったんですか」

信じられない、という顔だった。

「これは深翠でも、山奥でしか見かけない木です。薬種を扱う者なら知っていますが……あなた、薬種の心得が?」

「い、いいえ」

ミオは、遠慮がちに言うと顔の前で手を振った。

「ただ、植物の図鑑を見るのが、好きで……」

女は、一瞬、目を丸くした。

それから、ふっと、感じ入ったように微笑む。

「……たいした目を、お持ちですね」


別れ際、薬種商の女は、お礼にと、三人に小さな布袋を手渡した。

中には、乾燥させた小さな木の実が、いくつか入っている。

白香実はくこうじつです。……あなたなら、見覚えがあるかしら?」

ミオは、布袋を両手で包むように持ち、そっと中を覗き込む。

「……図鑑で見たことがあります。本物は、初めてです」

「深翠では、お茶に一粒浮かべて飲むんです。ほのかに甘い香りがして、気持ちが落ち着きますよ」

琥珀色の瞳が、ほんの少し輝いた。

宝物が、また一つ、増えた。



帰り道。

西日が、三人の影を長く伸ばしていた。レグルは、交易区画の出口で「僕は黎都書庫へ資料を返しに行く」と、あっさり別の方向へ歩き出した。

「レグル。今日は、ありがとう」

ミオが、その背に声をかける。

レグルは、足を止めなかった。

けれど、ほんの少しだけ、資料を抱えた手を持ち上げて、応えた。そのまま、人混みへ消えていく。

「今の」

ニナが、ぽかんと、その背を見送った。

「ちゃんと返事した……」

ミオには、それがどれだけ珍しいことか、いまいち、ぴんと来ていなかったけれど。


宿舎へ戻ると、部屋へ続く廊下で二人は足を止めた。

「今日、楽しかった」

ニナが、はにかんで言った。

「ミオのことも、ちょっと知れたし。……また、遊ぼう」

「……うん」

ミオは、一瞬だけ言葉を探す。

「また」

ニナは手を振ると、自分の部屋へ駆けていった。

ミオは、右ポケットへ手を入れる。

指先に触れたのは、薬種商からもらった小さな布袋だった。

そっと取り出すと、白香実はくこうじつが、夕日に淡く照らされる。

今日出会った世界が、ミオの中で、静かに広がっていく。

知らない国。

見たことのない景色。

まだ出会ったことのない人たち。


(……もっと、世界を見てみたい)

そう思ったのは、初めてかもしれなかった。


――南の、森の国。深翠。


いつか、行ってみたいな、とミオは思った。

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