半分の広場
橋の依頼が黎都本局に届いたのは、第三開発区の一件から、しばらく後のことだった。
「ミオ。今日は、こいつと組んでもらう」
黎都創像局のある一室で、ライナスが、隣に立つ少年を親指で指した。
明るい栗色の短髪。青みがかった瞳。制服は一分の隙もなく着こなされ、姿勢は定規で引いたようにまっすぐだ。手にはペンと手帳。胸の名札には――レグル・アークス。
アークス。
その姓を、ミオも知っていた。
創刻の素質は、血に受け継がれることがある。
アークス家は、何代も創像師を輩出してきた名門だ。物心つく前から理論と手順を叩き込まれ、一族の書庫精を継ぐ者たち。
ミオとは、何もかもが違う。
試験を受け、照合式で、たまたま待機していたノアに選ばれた――ただの一般創像師とは。
「知ってるだろ。同期のレグルだ」
ライナスは、ミオの緊張感のない様子を見留めると、言った。
「……お前の、ちょうど反対側にいる男だな」
「えっと、よろしく」
ミオが手を差し出す。
レグルは、すぐには応えなかった。青みがかった瞳が、まずノアを横目で捉え、そしてミオを静かに見渡していく。
跳ねた深緑色の髪。少しずり落ちた丸眼鏡。左右で不均等に捲られた袖。不自然に膨らんだ右ポケット。そして、今にも何かを見つけそうに、落ち着きなく動く琥珀色の瞳。
一つひとつを確認し終えると、レグルは小さく息を吐いた。
同じ所属で、同じ研修生。
なのに、見ているものが、何もかも違う気がする。
自分が数字と図面を見るその場所で、この女はいったい、何を見ているのか――。
それが、まるで分からない。
それでも、ようやく差し出された手を握り返し、言った。
「今日は問題を起こさないでくれよな」
開口一番のあんまりな台詞に、ミオは目を見張った。
「お、起こさないよ!」
「それは難しいでしょうね」
ぼそりと、抑揚のない声がした。レグルの傍らに、いつの間にか佇んでいた書庫精――ルカ。
インクを溢したような濃紺の髪。長い前髪の奥に、灰色の瞳。レグルとは違い、表情がまるで読めない。アークス家が代々受け継いできた、一族伝来の半身だという。
「あなたは、問題を起こすのではありません」
灰色の瞳が、静かにミオを見た。
「問題の方が、あなたに寄ってきます」
「え……そんな……」
ミオは言い返す勇気もなく、思わずノアとライナスに視線で助けを求めた。が、
「言い得て妙ですね」
「ま、おおむね正しいな」
助け舟に乗ってくれるわけがなかった。
くすくす、と小さな笑い声とともに進み出たのは、金髪の編み込みを後ろで高く束ねた、生真面目そうだが、親しみのある笑顔の女性だった。
「はじめまして、ミオ。私はイレーネ。レグルの指導係よ」
その足元では、淡く光る一匹の小さな蜥蜴が、じっとしていた。動かないが、灰金色の目だけが、こちらを見ている。イレーネの書庫精だろうか。
「そういえば今日は、セイルさんは?」
「セイルは観測部だ。現場で合流する」
短く言うと、仕切り直すように、ライナスが二人に依頼書を放った。
「依頼は、これだ。白源を挟んで隣り合う、リーヴァ住宅区とフェルン住宅区を繋ぐ」
「え?住宅区の間に、白源があるんですか?」
「そうだ。」
頷きながら、指先で依頼書の地図を叩く。
「川に見えるが、川じゃねぇ。だから誰も、対岸へ渡れねえ。橋を架けようにも、職人は、そもそも“そこ”に立てねえ。だから、創像局に話が回ってきた」
「渡れない白源の一帯に、まず創像師が“橋を架けられる未来”を定着させる。渡れない場所を、渡れる未来に変える。今日お前たちにやってもらうのは、現地調査と計画立案だ」
依頼書を閉じ、二人を見比べる。
「現場を見て、お前ら二人で案をまとめろ。創刻するかどうかは、その案を見て俺たちが判断する。」
レグルが敬礼で応える。
「了解しました。創素の循環経路と地盤条件を精査し、最適な定着地点を導き出します」
「……あの、私たちは、創刻はしないんですか?」
ミオが、遠慮がちに手を挙げた。
「当たり前だ、馬鹿野郎」
「白源に直接未来を刻むにゃ、お前らの数倍の創素出力が要る。手順を飛ばして新人が手を出して、万が一にも白化させてみろ。この一帯が消滅するかもしんねぇんだぞ」
ノアがボソリと言う。
「ミオ。先日の反省文を思い起こしてください」
ミオが「うっ……」と縮こまると、ライナスはうんうんと頷いた。
「わかってるな。設計図が間違ってりゃ、いくら俺達が創素を注いでもうまく定着はしねぇ。お前ら二人で、どこにどう未来を置くのか、ちゃんと考えろよ」
*
現場に到着した一行は、二つの住宅区の入り口で足を止めた。目の前には、幅四十メートルほどの白源が、入口を起点に白い川のように流れている。
白源の始まる地点は、黒鉄の封鎖柵によって塞がれ、その柵は左右へ伸び、白源に沿って奥まで続いていた。ミオは思わず呟く。
「街の真ん中に白源があるなんて、不思議ですね」
「全長は約五百メートル。ここから海に向かって伸びてる。幅は場所によって違う。一番広いところで五十メートル、狭いところなら二十数メートルってところだ」
ライナスが伝えると、レグルは手帳にメモを書きつけながら質問する。
「この白源は…残存原霧ですよね」
「残存原霧…」
以前授業で習った気がするが、ミオはその単語とこの土地とがすぐには結びつかなかった。
するとイレーネが、携えていた革鞄から一枚の古い地図を広げた。
「約五十年前の開拓記録よ。」
机に広げられた羊皮紙には、一つの市街地と、その先に横たわる一面の白い霧。
「市街地の名前……リーヴァフェルン?」
少し掠れて読みにくいが、確かにそう書かれている。
「ああ。元は、一つの街だ。」
「ここは創像局が、未来の都市予定地として刻んで、広げてきた一帯よ。開発区は白潮の一年の窓を狙って、原霧へ陸地を刻んでいく。そうやって少しずつ、市街を外へ広げていったの」
「第三開発区も、今まさにそれを進めていましたよね」
ミオが言うと、ライナスは「分かってるじゃねえか」と短く返した。
「一度の白潮で進める距離は、それほど多くはないわ。何世代もかけて、市街はじりじりと外側へ伸びていった」
イレーネの指が、地図の上をゆっくり滑る。
「この開発区は、左右からこう…原霧を刻んでいったの。そしてあと一押し――もう一度か二度、白潮を迎えられれば、二つの住宅区は再び繋がるはずだった」
ライナスが、依頼書に載せられた地図を再度見せる。
「だが、その最後の最後で、繋ぎ損ねた。約五十年前。窓を逃したうえに、――引いていくはずの原霧の一部が、中途半端に、ここへ居残っちまったんだ」
「それが『残存原霧』よ」
イレーネが言った。
「珍しくはないわね。白潮で繋ぎ損ねた古傷は、各地に点在しているから」
「でも、残存原霧だって白源なんですよね」
ミオが問う。
「白源であれば、そこは刻める場所なんじゃないんですか?」
「いい質問だ」
「本来、白潮で陸にやってくる原霧は、海の大本と地続きで、創素がぐるぐる巡っている。だが残存原霧は、その巡りから孤立しちまった。補給を絶たれた原霧は薄い。薄けりゃ、定着率も下がる」
ライナスによるとこうだ。
五十年前に残存原霧として残ったこの地区の白源は、創刻をするには薄すぎた。創像師が橋を刻んでも、根づかずに全て白化してしまう。そのため創像局は、“創素濃度不足”という判を押し、この案件を保留としてきた。しかし、白潮は十年に一度、海の原霧を再び陸へ迫らせ、この孤立した原霧に少しずつ創素を流し込んできた。それが積み重なって、今年ようやく――定着可能なラインを超えた。
「なるほど。だから今、ここに橋が架けられる、というわけですね」
レグルが納得したように頷く。
そこへ、どこからともなく淡い蜂蜜色の光を帯びた蜜蜂が飛んできた。ミオの肩をくるりと一周すると、ライナスの前でふわりと止まる。
「観測、お疲れさん」
ライナスが声を掛けると、蜜蜂は淡い光の粒となってほどけ、一人の青年へと姿を変えた。
「創素濃度、依然、定着可能域です」
そこには穏やかな笑みを浮かべたセイルが立っていた。
「わっ……!」
ミオが目を丸くする。
「セイルさん……蜜蜂になれるんですか?」
「ええ。観測は、この姿のほうが向いているんです。土地の流れも、白源の様子も、人型よりずっと広く見渡せますから」
「へぇ……」
ミオは、消えかけた蜂蜜色の羽の残光を、しばらく目で追っていた。
*
「では、始めましょう。時間が惜しい」
レグルが静かに言う。
ライナスは封鎖柵の門へ歩み寄ると、腰から認証札を取り出した。重い錠が外れ、黒鉄の門がゆっくりと開く。
「調査中だけ開放だ。白源には近づきすぎるなよ」
「了解しました」
レグルは一礼すると、ルカとともに白源沿いを歩き始めた。二人は歩きながら、白源と周囲を確認していく。
「引き続き観測は任せる。変化があればすぐ知らせろ」
「はい」
ライナスが言うと、セイルは頷き、再び姿を変えて飛んでいった。
ライナスは腕を組んで、ミオを見た。
「お前はどうする」
突然問われ、ミオはきょとんと瞬きをした。
「え?」
「現地調査だ。レグルと同じ場所を見るもよし。別の場所を見るもよし」
ミオはレグルの歩いて行った方角を見つめ、その視線を横にずらした。
「……少し、街を歩いてきてもいいですか」
「好きにしろ」
ライナスはそれだけ言った。
「ノア、行こう」
ミオは黒鉄の封鎖柵には向かわず、住宅区の通りへ足を向けた。
肩に蜥蜴を乗せたイレーネが、白源沿いを歩くレグルと、街へ向かうミオを見比べる。
「面白い組み合わせね」
ライナスは口元だけで笑った。
「だから組ませた」
*
レグルはルカとともに、白源沿いを歩き続けていた。ルカは静かに周囲を見渡し、必要な情報だけを告げる。
「創素濃度、702So」
レグルは手帳へ書き留める。
「地盤支持率、81.6」
「……支持率がちょっと低いな」
歩みは止めない。
さらに先へ進む。
「創素濃度、715So」
「白源幅、25.8メートル」
レグルは白源と住宅区を見比べ、小さく首を振った。
「橋長は短くなるが、創素の流れが安定しないな」
また歩く。
住宅区の最奥部近くで、ルカが静かに口を開いた。
「創素濃度、728So」
「白源幅、30.2メートル」
「地盤支持率、96.4」
レグルは足を止める。
手帳を開き、これまで記録した数値へ静かに目を走らせた。それから白源、住宅区、そして海へと視線を巡らせる。依頼書の地図へ印を付けると、しばらく腕を組んで考え込んだ。
「……橋長は多少伸びる」
小さく呟く。
「だが、こちらの方が総合的に優れている」
ルカは何も言わない。
レグルは静かに頷いた。
「ここだ。ここを、第一候補にしよう」
*
ミオは住宅区の石畳をゆっくり歩いていた。
家々の軒先には花が植えられ、窓辺には洗濯物が揺れている。庭先で談笑する老夫婦。路地を駆け回る子どもたち。
「……思ったより、普通の街だね」
白源に分断された街と聞いていたから、なぜかもっと、寂れた光景を想像していた。けれど、人々は笑い、暮らし、今日を生きている。
「五十年という月日は、それぞれの街を独立させるには十分な時間です」
ノアが静かに答える。
「独立、か……」
ミオは小さく呟いた。
そうなのかもしれない。この街に住んでいる人たちに、特に不便な様子は感じられない。
歩いていると、古びた案内板が目に入る。
『中央広場』
そう書かれた矢印に導かれるように、ミオは細い石畳を進んだ。やがて視界が開ける。
「あ……」
思わず足が止まる。
そこには広場があった。白源に面するように、半円を描く石畳が広がっていた。
「……。」
ミオは広場を見回した。
そして、広場の隅に立つ古びた掲示板を見つけた。
近づき、風に揺れた一枚の紙へ、ふと視線が止まる。掲示板をしばらく見つめたあと、ゆっくりと視線を上げた。
薄い白源の向こう。
ぼんやりと、もう半分の円が見えた。
二つの半円は、白源を挟んで向かい合っていた。
「ノア、ここは……」
カラン。
乾いた音が広場に響く。
振り向くと、一人の男の子が白源へ向かって小石を放っていた。柵をすり抜けた石は霧へ吸い込まれ、音もなく消える。
また一つ。
また一つ。
男の子は飽きもせず、小石を拾っては投げ続けている。
「何してるの?」
ミオが声を掛ける。ノアは離れて見ていた。
男の子は少し照れたように笑うと、手に握った石をミオに見せて言った。
「届くかなって」
「届いたこと、ある?」
「ない」
あっさりと答える。
それでも男の子は、また石を放った。
カラン。
ミオは小さく息をついた。
「……。」
しばらく広場を見つめる。
それから、くるりと踵を返した。
「ノア」
「はい」
「戻ろう」
二人は広場を離れ、封鎖柵に沿って入口に向かった。そこへ、聞き慣れた声がした。
「ミオ・ヴェルナ」
柵を挟んだ通りの後方から、レグルとルカが歩いてきた。どうやら調査を終えたらしい。
レグルは手帳を閉じると、短く尋ねた。
「収穫は」
「あ……」
ミオは少し考え込む。
「……あった、と思う」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
「ひとまず入口に戻る。そこでイレーネさん達に報告だ」
レグルは踵を返す。
ミオも小さく頷き、その後を追った。
歩きながら、一度だけ広場の方を振り返る。
言葉も無く歩き続けるミオの後ろ姿を、ノアはただ見守っていた。
*
「戻ったか」
白源の入口で待っていたライナスとイレーネが顔を上げた。レグルが柵から出た後、再び認証札で錠をかけたライナスが二人を見下ろす。
「じゃあ、聞かせろ」
レグルは一歩前へ出た。手帳を開き、依頼書の地図へつけた印の一つを指差した。
「第一候補は、住宅区最奥部です」
「理由は?」
「創素濃度728So。地盤支持率96.4%。白源幅30.2メートル。橋長は多少伸びますが、創素の循環経路を含めた総合評価では、ここが最適です」
ライナスは黙って地図へ目を落とした。
その横から、セイルが観測記録を差し出す。
「空からの観測でも一致しています。最奥部は創素の流れが最も安定していました」
ライナスは腕を組んだまま、小さく息を吐く。
「……なるほど」
「理論としては、申し分ないわね」
イレーネが頷く。
レグルは静かに手帳を閉じた。
ミオは地図に記された印を見つめる。
最奥部。
(違う。)
その思いは、思った以上にはっきりしていた。
けれど――
創素濃度も。
地盤も。
創素の流れも。
レグルの説明に間違いはない。
(じゃあ、私は何を根拠に……。)
ライナスは今度はミオへ視線を向けた。
報告を促そうとして――
その口が、ほんのわずかに止まる。
ミオは依頼書の地図を見つめたまま、唇をきゅっと結んでいた。
「……ミオ」
「えっ?」
「お前は、どう思う」
突然の問いに、ミオは目を瞬かせた。
「わ、私……ですか?」
「ああ」
ライナスは短く頷く。
「現地を見てきたのは、お前も同じだ」
ミオは地図の中央へ視線を落とした。
頭の中には、半分だけ残された広場が浮かぶ。
「……。」
言わなければ。
拳を握る。
「……違う、と」
声は、自分でも驚くほど小さかった。
「あ?」
ライナスが聞き返す。
ミオはぐっと息を吸う。
「違うと思います」
その一言に、その場の空気が止まった。
レグルが静かにミオを見る。
責めるでも、驚くでもない。
ただ、その続きを待っている。
「なぜ」
短い問いだった。
ミオは言葉に詰まる。
「それは……」
半分だけの広場。
頭の中では見えているのに、その違和感が言葉にならない。
「……。」
ライナスが腕を組み直した。
「おい」
ミオがびくっと肩を震わせる。
「黙ってたら分かんねぇ」
「……っ」
「思いついた順でいい。とりあえず吐き出せ」
ライナスはぶっきらぼうに顎をしゃくった。
ミオはライナスに促され、小さく息を吸う。
「……街を歩いていて、広場を見たんです」
レグルは小さく頷く。
「ああ。白源を挟んで対称配置になっている中央広場だろ」
「…うん」
「それがどうした」
「半分ずつ……分かれてるんだよ」
「だから、確認している」
淡々と答えた。
「それは橋の設置位置を変更する理由にはならない」
「でも……」
「俺は橋の定着条件を評価した」
レグルは依頼書の地図を指し示す。
「創素濃度。地盤。創素の循環経路。どれを見ても最奥部が最適だ。広場の位置は評価項目に入らなかった」
ミオは口を噤む。
レグルの言うことは正しい。
だから反論できない。
それでも。
「……理由は分からない。でも、その場所じゃないって思った」
レグルはため息をつくと、静かに首を振る。
「感覚だけで設計はできない」
「……。」
ミオは俯いた。
それでも拳だけは、強く握られたままだ。
「……一回だけ」
小さな声で言う。
「現地を一緒に見てほしい」
レグルは即座に答えた。
「必要ない。もう見ている。評価も終わっている。これ以上確認する必要はない」
ライナスがぽりぽりと頭を掻く。
「レグル」
「……はい」
「お前、自分の案に自信あるか」
「あります」
「なら、もう一回見たところで揺らがねぇだろ」
レグルの眉がわずかに寄る。
「ですが──」
「自信あるんだろ」
ライナスは肩をすくめた。
「だったらもう一度二人で見てこい」
レグルはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……了解しました」
ミオへ視線を向ける。
「一度だけだ」
*
レグルは黙ったまま、ミオの後ろを歩いていた。その後ろにノアとルカが続く。
やがてミオが足を止める。
レグルも足を止めた。
「……ここか」
目の前に、中央広場が広がる。
白源に沿って弧を描く石畳。その先は封鎖柵と白い霧に遮られていた。
レグルは広場を見渡す。
「確認済みだ」
淡々と呟く。
「白源を挟んだ対称配置。住宅区中央の広場」
それ以上でも、それ以下でもない。
ミオは何も言わない。
そのまま広場の隅へ歩いていく。
「これ」
古びた掲示板を指差した。
レグルは怪訝そうに近づく。
掲示板へ視線を向けた。
貼られていたのは、夏祭りの告知だった。
中央広場 夏祭り
リーヴァ・フェルン住宅区
同時開催午後六時
「……。」
レグルは無言のまま文字を追う。
「同時開催……」
そこへ、掲示板の横を、犬を連れた年配の女性が通りかかる。レグルは思わず、その背中へ声を掛けていた。
「……すみません」
女性が足を止め、振り返る。
「はい?」
レグルは掲示板を指した。
「この祭りは、なぜ同時開催なんですか」
女性は一瞬きょとんとした。
「どうして、って……」
不思議そうに首を傾げる。
「昔からですよ」
そう言って、白源の向こうへ目を向けた。
「あっちも、こっちも」
少し笑う。
「一緒のお祭りですから」
「……。」
女性は軽く頭を下げると、そのまま歩き去っていった。
静寂が戻る。レグルはしばらく黙っていた。
「……ルカ」
「はい」
「この広場を再評価しろ」
ルカは一歩前へ出る。
青白い光が足元から静かに広がり、石畳をなぞるように流れていく。
しばらくして、目を開いた。
「創素濃度、地盤強度、創素循環経路──この広場の位置する土地は、すべて前回の観測結果と一致。評価に変更はありません」
「街の中心としての評価は」
「私の評価項目には存在しません」
ルカは静かに答えた。
レグルは短く息を吐く。
「……そうか」
わずかな沈黙があった。
「創素濃度」
「地盤強度」
「創素循環経路」
一つずつ、レグルが確認するように口にする。
「どれも創刻条件だ。定着条件は、評価していない。……設計条件が、一つ抜けていたんだ」
静かな風が広場を吹き抜ける。
「街だ」
ミオは小さく目を見開いた。
*
「なるほど」
ライナスは顎をさすりながら言った。
「街の中心へ人が集まること。それが定着条件の変数になりうる、って考えたんだな」
「はい」
レグルは迷いなく答えた。
「最奥部案は、創刻条件を満たしています。ですが、橋は定着しなければ意味がない。住民は、今も中央広場を街の中心として利用しています。祭りも、その広場を基点に開かれていました」
「つまり」
一拍置く。
「橋は地形ではなく、街を繋ぐ場所に存在するべきです」
ライナスはミオを見る。
「ミオ」
「はい」
「レグルの説明で、お前の違和感は説明つくか」
「……はい!」
これまでにない、はっきりとした返事だった。
イレーネは机の上へ、三つの資料を並べた。
街の開拓記録。この五十年間、創像局が残してきた創刻履歴。そして、今回の現地調査記録。
「エル」
「はい」
肩の蜥蜴が、小さく目を開いた。
体を包んでいた淡い光が、粒子となって広がる。
やがて光が一つの輪郭を結び──そこには二十代ほどの、亜麻色の長い髪を持つ女性が静かに立っていた。
その姿は、イレーネと姉妹のようにも見える。
「この案を反映して、再解析を」
「承知しました」
エルは三つの資料へ静かに指先を添える。
「街の開拓記録を照合」
「創刻履歴を照合」
「現地調査記録を照合」
「設計変更を反映」
「橋梁接続地点──中央広場」
「解析を開始します」
やがてエルは目を開いた。
「演算完了」
「創刻条件、適合」
「予測定着率、九十三・八パーセント」
「最奥部案との差異、プラス二十一・八ポイント」
イレーネは満足そうに頷いた。
「…………これで、揃ったわね」
そして一枚の書類を二人に差し出した。
「これは、行政から預かっていた資料よ」
レグルとミオが覗き込む。
そこには、
『住民アンケート 希望接続地点:中央広場』
と記されていた。
ミオが目を丸くする。
「でも、これだけでは橋は架けられない」
イレーネは静かに首を振った。
「行政が集めるのは、人々の願い。私たちは、その願いが未来として根づくかを見極める」
「新人の腕試しには、もってこいの案件だったな」
ライナスは二人の顔を見比べて、ニヤリと笑った。
レグルは、書類と解析結果を交互に見つめた。
住民が望んだ場所。
そして、自分たちが導き出した創刻条件。
その二つが重なって初めて、この橋は未来として定着する。
(……そういえば。)
ミオの脳裏に、ライナスの言葉が蘇る。
──計画前の、行政や住民とのやり取りが抜けてるってこった。──
(あの時言っていたことは、こういう事だったのか……)
「二人でそこまで辿り着いたなら、文句ねぇ」
ライナスは依頼書を手に取った。
「中央広場案で申請を上げる」
イレーネも静かに頷く。
「創刻は明日。本局から正式な許可が下り次第、開始しましょう」
レグルとミオは小さく息を吐いた。
「「了解しました」」
*
帰路についた馬車は、夕暮れの街道をゆっくりと進んでいた。客車の前方では、ライナスとイレーネが申請について小声で話し合っている。
その後方では、向かい合って座るミオとレグルの手に、それぞれノアとルカが本の姿で静かに収まっていた。馬車が石畳を越えるたび、小さく車体が揺れる。
「……レグル」
「何だ」
「今日は、ありがとう」
レグルは窓の外を眺めたまま答えた。
「礼を言われることじゃない。」
「でも」
「俺は、お前の違和感を言葉にしただけだ」
ミオは少し驚いたように顔を上げる。
「お前が違和感を口にしなければ、設計条件は修正されなかった」
レグルはそこで言葉を切る。
馬車が石畳を越え、小さく揺れた。
「……お前の指摘は、有効だった」
ミオは目を丸くし、それから、ふっと笑った。
「……そっか」
膝の上のノアが、かすかに淡い光を帯びた。
その光は、夕暮れの木漏れ日のように、静かで、あたたかかった。




