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第8話 騎士は森で笑う

 冒険者ギルドから上がった報告は、ただの依頼達成報告としてはあまりにも異質だった。


 最低ランク依頼であったはずの薬草採取と灰牙ネズミの討伐。

 にもかかわらず提出された成果物は、上級冒険者の持ち帰る素材にすら引けを取らない品質。

 さらには、周辺の村落における産業化の兆し。

 灰牙ネズミの家畜化。

 そして、その異常発生の背景に、サラドレイクという竜種の関与がある可能性。


 そんな報告書が、セルマの手によって整然とまとめられ、ギルドを通して王都の軍部へ渡った。


 軍部がそれを放置するはずがない。


 特に、魔族領方面との接点が仄めかされている以上、もう『地方の冒険者が片づけた妙な依頼』では済まない。

 騎士団の中から調査団が編成され、報告のあった森林地帯に手が入ることになった。


 その調査団の中に、レオノーラの姿があった。


 騎士団の制服は、学院時代のそれとは違う。

 より簡潔で、より実務に即し、同時に王都の騎士としての誇りを隠さない意匠だ。


 彼女の立ち居振る舞いの美しさはもともと健在だった。

 だが、そこへ『騎士としての誇り』が加わったことで、レオノーラの魅力は以前よりさらに研ぎ澄まされていた。


 馬上の姿勢。

 手綱を持つ手。

 部下や同僚に向ける視線。

 何一つ乱れがない。


 それでいて、学院時代に見せていた硬さが少しだけ抜けている。

 騎士団という実地の中で、守ること、指揮を仰ぐこと、自分の実力を役割へ変換することを覚えた結果なのだろう。


 そして彼女は、いまもアルトのことを忘れていなかった。


 忘れられるはずがない。


 卒業後も、ミレナと協力してアルトの動向をそれとなく窺うことはあった。

 飽くまで騎士としての情報収集の一環、という体裁を自分に言い聞かせながら。

 だが、休みを利用して、彼の姿を遠目に確認したことすらある。


 そのたびに、ミレナは慎ましくはしゃいだ。

 頬を染め、声を潜め、それでも嬉しそうに、やはりあの方でしたね、と囁く。


 レオノーラは、そういうミレナを窘める役に回っていた。

 そんなにはしゃいではいけません。

 他人に気づかれたらどうするの。

 まだ騎士見習いの身で、職務に私情を持ち込みすぎるのはよろしくないわ。


 口では、そう言う。


 だが、そう言いながら、自分の胸も少なからず高鳴っていることを、レオノーラはちゃんと知っていた。


 今回の調査任務でさえ、彼女の心のどこかでは、報告書にあった名を見た時から少しだけ浮き足立っていた。


 アルト・ヴァレイン。


 報告書の筆致は事務的だった。

 しかし、その整った文章の端々から、冒険者ギルド側が少なからず彼を重く見ていることは明らかだった。


 そして調査団は、報告にあった森林地帯へ向かう途中、噂のサルメア村に立ち寄る機会を得た。


 立ち寄った瞬間、騎士たちの抱いていた『境目の外れにある粗野な村』という印象は、きれいに砕け散った。


 活気がある。


 ただ人が多いという意味ではない。

 人の動きに無駄がない。

 露店の配置。

 荷さばき。

 子どもの走り方。

 年寄りの視線の配り方。

 どれも『この場所に生きている』という空気に満ちている。


 王都にも引けを取らない、とはさすがに言いすぎかもしれない。

 けれど、地方の無名の村として想像していたものとは別種の強さが、たしかにそこにはあった。


 灰牙ネズミの料理が絶品だ、という噂は王都にも届いていた。


 正直、レオノーラは半信半疑だった。


 灰牙ネズミである。

 いかに処理を工夫しようと、所詮はネズミ肉だろう。

 そう思っていた。


 だが、いざ口に運んだカツレツは、その疑念をあっさり覆した。


 衣の香ばしさ。

 中の肉の柔らかさ。

 噛んだ瞬間に広がる旨味。

 そして、サザを思わせる清涼な刺激を含んだソースの切れ味。


 不覚にも、レオノーラは完全にはまった。


 最初の一口では、あくまで冷静に評価するつもりだった。

 次の一口で、なるほど、と思った。

 三口目には、これはもう一度食べるべきではないかと考え始め、気づけば別の皿まで注文していた。


 横で見ていた同僚騎士が目を丸くするほどだったが、レオノーラは飽くまで品位を保っている顔で食べ続けた。


 美味しいものは美味しい。

 それだけの話だ。


 ……だが、その『美味しいもの』の背後に、アルトの知識と執念があることを彼女は知っている。

 それを思った途端、胸の奥が妙に熱くなるのだから、自分でも少し困る。


 センバの繊細な縫物も同じだった。


 村の露店に並ぶそれは、実用品でありながら、手触りと編み方の密度に妙な品がある。

 軽い。

 柔らかい。

 それでいて丈夫そうだ。


 レオノーラは、知人への土産と称して、それをいくつも買い込んだ。

 もちろん、知人への土産がまるで嘘とは言わない。

 だが、かなりの割合で自分用だった。


 これもまた、アルトの偉業の一端なのだと、どこかで感じてしまっている。

 そして感じてしまった以上、手元に置いておきたくなる。


 慎ましいはずの買い方が、結果的にそこそこな量になってしまい、荷を持つ従者役の同行人が困惑していたが、レオノーラはそれに気づかないふりをした。


 サルメア村の村人たちは、調査団に対して気持ちよく接した。


 へりくだりすぎない。

 だが礼は失しない。

 自分たちの村を誇る空気が、村人一人ひとりに滲んでいる。


 レオノーラは、そのことにも少し感動していた。


 アルトは、ただ問題を片づけただけではない。

 人の顔つきごと変えてしまったのだ。


 村を出る頃には、調査団の多くが後ろ髪を引かれる思いを抱いていた。

 露店の料理。

 工芸品。

 村人たちの気持ちよさ。

 どれもが想像以上だったからだ。


 だが任務は任務である。


 サラドレイクの痕跡があったとされる森林地帯へ向かう。

 村を離れ、森が深まっていくにつれ、空気は徐々に変わった。


 そして、辿り着いた先にあった光景は、異様そのものだった。


 洞窟があったと思しき崖は、跡形もなく崩れている。

 むき出しになった岩肌には、深い爪痕がいまだに散見され、焦げた色の変色も残っている。


 火球だ。


 サラドレイクが吐き出した火球の痕跡。

 それを見ただけで、調査団の騎士たちは思わず息を飲んだ。


 さらに奥には、巨木が一定方向へ薙ぎ倒されている一帯まである。

 暴風のように見えて、しかし微妙に違う。

 飛行と突進。

 あるいは、高熱を帯びた衝撃が連続した痕跡。


 なるほど。

 サラドレイクほどの魔物が暴れたなら、この惨状も頷ける。


 だが、異様なのはそこではなかった。


 レオノーラは馬を降りた。

 気づいたからだ。


 破壊の跡の周囲で、草が芽吹いている。

 それだけなら自然の回復と言えなくもない。


 けれど違う。


 焼け焦げ、抉れた地面から生えた草木が、明らかに生育の速度を狂わせていた。

 微かに、だが確実に、目の前で伸びているように見える。

 しかも妙に整っている。

 無秩序な再生ではない。

 『戻すべき形』へ導かれているような(しげ)り方だった。


 どこか、回復魔法に似ている。


 レオノーラは、その木々にそっと手を添えた。


 自分も回復魔法を扱う。

 騎士団に入ってからも、前線に出る者の傷を繋ぐための術を磨き続けてきた。

 数多くの人間が扱う魔法を見てきた。

 学院時代の魔法実技。

 騎士団付の魔法師。

 戦場帰りの治療士。


 だからこそ分かる。


 これは、あまりに『らしい』。


 根拠はない。

 いや、根拠になりそうな微妙な感覚はある。

 そこへ、自分自身の願望もかなり混じっていることを、レオノーラはちゃんと分かっていた。


 それでも思う。


 これは、アルトの魔法だ。


 彼なら、こういうことをする。

 破壊の痕跡だけを残して去るような人ではない。

 戦ったなら、その後の土地のことまで、どこかで気にする。

 むしろ、気にしすぎる。


 じきにこの森は再生する。

 しかも、前より整った状態で。


 そんな予感が、自然と胸に生まれた。


 その時、少し離れた場所から騎士の声が上がった。


「こちらに遺骸があります!」


 調査団が一斉にそちらへ向かう。


 そこには、サラドレイクの遺骸があった。


 巨体。

 赤く、硬質な鱗。

 尾も長い。

 頭部だけでも十分人に恐怖を抱かせる迫力がある。


 騎士たちは、それを前に息をのんだ。

 これほどの魔物が暴れたのなら、先ほどの惨状も当然だと思える。


 だが、レオノーラが見ていたのは別の点だった。


 遺骸が、綺麗すぎる。


 目立った外傷がほとんどない。

 頭部には確かに致命傷らしき箇所があるが、血が滴った形跡が妙に少ない。

 それどころか、保存されたようにすら見える。


 これもまた、あまりに『らしい』。


 戦った。

 仕留めた。

 しかもその後、素材として、あるいは調査用として、極めて丁寧に扱っている。


 どこまで行っても、あの人だ。


 そう思った瞬間、レオノーラはとうとう笑いを堪えきれなかった。


「……ふふっ」


 ほんの、ごく小さな声だった。


 けれど、その微笑を見逃さなかった者がいる。


 副団長エレノア。


 団長に代わって今回の調査団を率いる女騎士である。


 年は三十前後。

 深い栗色の髪を後ろで低くまとめ、実地調査向きの軽装甲を無駄なく着こなしている。

 姿勢は美しいが、式典のための美しさではない。

 馬上でも地上でも崩れない、鍛えた者の美しさだ。


 目は切れ長。

 だが冷たすぎない。

 見つめる時、相手を包み込むような柔らかさがある。

 笑うと不意に年相応の女性らしさが差し込む。


 副団長という肩書に相応しく、現場判断が早く、部下への気配りも行き届いている。

 出世欲そのものは薄い。

 だが責任感が強く、有望な若手を育てることに喜びを覚える類の人間だ。


 そして、レオノーラは内心でひどく感動していた。


 この人はまずい。

 とてもまずい。


 もしアルトに会わせたら、あの人はかなり歓喜するだろう。


 気丈。

 才女。

 懐が深い。

 所作が綺麗。

 笑うと柔らかい。

 しかも、左目の下にごく小さなほくろまである。


 駄目だ。

 非常に駄目だ。


 レオノーラはそんなことを考えつつも、表には出さなかった。

 だが、エレノアはちゃんと見ていた。


 彼女は周囲の騎士たちの視線を気にし、あくまで自然な形で馬を寄せた。

 副団長が一介の騎士へ気安く私語をするのは体裁が悪い。

 だから、あくまで状況確認のためという顔をする。


「レオノーラ」

「はい、副団長」

「あなたから見て、この現場、どう映る?」

 説明を求める形にして、そっと続ける。

「それと」

 少しだけ声を落とした。

「どうして笑っているの?」


 レオノーラは、その問いに一瞬だけ迷った。


 誤魔化すこともできる。

 だが、エレノアの目はそういう誤魔化しが通じる類のものではなかった。

 それに、不思議と話してしまってもいい気がした。


 ほんの短い逡巡の末、彼女は観念する。


「……この所業の、ほぼすべてが」

 一拍。

「アルト・ヴァレインという名の冒険者によるものだと思います」

「……」

「かつて、学院生活を共にした友人です」


 エレノアは、周囲の騎士たちへ気を配る顔を崩さないまま、それでも一瞬だけ、女性らしい無邪気さを見せた。


「その人、あなたの思い人なのね」

 レオノーラの喉が、ひどく変な音を立てた。


「ち、違……っ」

 声が裏返りかける。

「い、いえ、その……友人で……」

「そう」

 エレノアは面白がっている。

「では、友人なのね」

「……」

「でも、あなたはその人のことを思い浮かべて笑った」

「……」

「それは、とても良いことだと思うわ」

 柔らかい声だ。

 からかっているのに、悪意がない。

 だから余計に逃げ場がない。


 レオノーラは、完全に調子を乱されていた。


 だが、その乱れの中でも、冷静な部分は別のことに気づいている。


 副団長エレノアは、本当に魅力的だ。


 そして、今この人が何気なく続けた一言で、その危険性が確定した。


「私も」

 サラドレイクの遺骸と、再生しつつある森を眺めながら、エレノアは小さく言った。

「その方にお会いしてみたいわ」


 駄目だ。


 レオノーラはその瞬間、確信した。


 この人は、本気でアルトに会わせてはいけない類の女性だ。


 きっとアルトは、この人のことを『かなり良い』と思う。

 それも、ひどく本気で。

 そして副団長の方も、アルトのあの妙にまっすぐで歪な熱に、少なからず興味を持つだろう。


 まずい。

 非常にまずい。


 そう思った瞬間、自分の中に浮かんだ『会わせたくない』という感情が、ただの友人への気遣いでは済まないことに、レオノーラ自身も気づいてしまう。


 けれど、いまはそれを深く掘り下げている場合ではない。


 副団長へ向き直り、どうにか平静を装う。


「……その方は」

 レオノーラは慎重に言葉を選ぶ。

「少し、いえ、かなり変わった方です」

「そう」

「副団長のお目に叶うかは……」

「叶わなかったら、それはそれで面白いわ」

 駄目だ。

 やはり駄目だ。


 エレノアは笑った。


 騎士としての顔を保ちながら、ほんの一瞬だけ、年相応に無邪気な表情を見せる。

 その笑みの奥にある余裕と包容力に、レオノーラは別の意味でも感動してしまう。


 なんて魅力的な人なのだろう。


 と同時に、だからこそ余計に危険なのだとも思う。


 調査団の騎士たちは、その頃もサラドレイクの遺骸の運搬準備と、周辺調査を続けていた。

 誰も、レオノーラがいま胸の内でこんなにも忙しく動揺しているとは気づかない。


 森の再生は静かに進んでいた。

 サラドレイクの首は運び出される。

 王都は、この報告を受けて次の判断を下すだろう。


 そしてレオノーラは、その全ての中でひとつだけ、妙に鮮やかな確信を抱いていた。


 アルトは、もう王都の外で、誰にも止められない勢いで世界に関わり始めている。


 サルメア村。

 この森。

 そして、ここからさらに先の脅威へ。


 手の届かないところへ行ってしまうようで、少し寂しい。

 それでも、彼が彼らしくあることを、誇らしくも思う。


 レオノーラは薙ぎ倒された木のひとつへ、そっと手を置いた。


 焼け焦げた幹のすぐそばから、新しい芽が伸びている。


 その小さな再生の気配を、彼女は慈しむように見つめた。


 そして心の中だけで、ひどく慎ましく呟く。


 ――やはり、あなたなのね。


 その呟きは誰にも聞かれない。

 ただ、紅葉の混じり始めた森の空気だけが、静かにそれを受け止めていた。


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