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第7話 専属嬢セルマと、サラドレイクの首

 サルメア村を出てから一時間もしないうちに、アルトとイルナは王都城壁近くの関所へ到達していた。


 普通に考えれば異常だった。

 サルメア村は、王都から見ればそれなりに離れた場所にある。

 荷馬車での移動なら数日。

 徒歩ならもっとかかる。

 ましてや、季節の変わり目の森を越えるとなれば、なおさらだ。


 だが、アルトにとっては『少し長い時間』で済む距離だった。


 もちろん、関所の手前からは歩く。


 目立つ行動はなるべく避ける。

 その方がいい。


 目立てば、すぐに人が寄ってくる。

 害はない。

 だが、時間を取られる。

 王都の役人。

 領地関係者。

 学院と繋がりのある者。

 果ては、噂を聞きつけただけの物好きまで。


 面倒だ。


 今のアルトは、冒険者ギルドへ一刻も早く報告したかった。

 単に依頼処理のためだけではない。

 半年も放置した報告を、ようやく形にできるという焦りと、どうにか間に合ったという安堵が、自分でも思っていたより強くあった。


 だから歩く。

 落ち着いて。

 目立たぬように。


 とはいえ、イルナの表情にはまだ旅の余韻があった。

 サルメア村を出たばかりの寂しさ。

 それでも、ようやく王都へ帰ってきたことへの安心。

 そして、報告がどう扱われるのか分からない不安。


 その全部が、控えめに揺れている。


 ギルドの扉を押し開ける。


 中はいつも通り、ある程度の賑わいがあった。

 討伐帰りの冒険者。

 素材を運ぶ者。

 報酬窓口で揉めている者。

 昼前の空気特有のざわつき。


 だが、セルマの前だけは、相変わらず妙に空いていた。


 空きすぎている、と言ってもいい。


 もう見慣れてしまった光景だが、良いことではない。


 セルマはこの半年、気が気ではない日々を送っていた。


 冒険者が寄りつかないことについて、ギルド長からも注意を受けている。

 露骨な処分まではまだ行っていない。

 だが、左遷を仄めかすような噂は、職員の間にうっすら流れていた。


 しかも悪いことに、彼女が担当した『勇者アルトと銅級の獣人少女イルナ』は、依頼を受けたきり長期間報告がない。


 普通に考えれば、最低ランク依頼だ。

 長くても二週間。

 それすらかからない可能性もあった。


 なのに半年。


 ギルド側の規定で言えば、とっくに失敗扱いでもおかしくない。

 だがセルマは、どうしてもそれができなかった。


 不安だった。

 本当に。


 無断放棄なのか。

 事故か。

 魔物か。

 それとも、アルトほどの力を持つ者ですらどうにもならない何かが起きたのか。


 考え始めると止まらなかった。


 そこへ、ギルドの扉が物凄い勢いで開いた。


 ばあん、と乾いた大きな音が鳴り、ギルド内のざわめきが一瞬だけ止まる。


 そこからまっすぐ、鼻息の荒い男が歩いてくる。


 アルトだった。


 セルマはもちろん、周囲の職員も冒険者たちも、一瞬本気で何事かと思った。


 まっすぐ。

 迷いなく。

 そして、目の色がだいぶ真剣だ。


 怒っているようにも、焦っているようにも見える。

 実際には、そのどちらとも少し違う。

 ただ『早く報告しなければ』という気持ちが強すぎて、歩き方に全部出ていただけなのだが、事情を知らない側からすれば十分に怖い。


 セルマは、思わず背筋を伸ばした。


「ア……」

 喉が詰まりそうになる。

「アルト、様……」


 半年ぶりだった。


 しかも、ちゃんと生きている。

 しかもイルナも一緒だ。

 その事実だけで、胸の奥が強く揺れる。


 アルトは受付の前に立つなり、まず深く頭を下げた。


「すみませんでした」

 ギルド内の何人かが、そこで目を剥いた。


 勇者が、冒険者ギルドの一受付嬢に頭を下げている。

 普通に考えて、異様な光景だった。


「半年」

 アルトは続ける。

「何の報告もせずにいました」

「……」

「本来なら、もっと早く来るべきでした」

 セルマは、その謝罪が本気だとすぐ分かった。

 取り繕いではない。

 ちゃんと、自分の不在が相手を不安にさせたことを理解している謝り方だ。


 アルトはアルトで、完全に中の平助が出てしまっていた。


 だから余計に、喉が詰まる。


「ですが」

 アルトは顔を上げる。

「一定の成果が出るまで、手放したくありませんでした」

 その言葉に、セルマは一瞬だけ目を瞬いた。


 手放したくなかった。


 言い方としては、少しおかしい。

 でも、彼らしい。


 依頼報告をした瞬間、自分たちの手から離れて、ただの『結果』になる。

 そこへ至るまでの過程に深く関わっていた者ほど、そういう感覚を持つことがある。


 アルトはたぶん、その類だ。


 次の瞬間、彼は成果物を置いた。


 まず、灰牙ネズミ。

 ついで薬草の袋。

 どちらも、机の上に置かれた瞬間から異様だった。


 セルマは、一目で違和感に気づく。


 灰牙ネズミの見た目が、あまりにも『整いすぎている』。


 普通、ギルドへ持ち込まれる灰牙ネズミは野生種だ。

 毛並みは粗く、体臭もきつく、前歯もどこか欠けていることが多い。

 素材として扱えなくはないが、好んで触りたくなる代物ではない。


 だが、目の前の数匹は違う。


 毛並みが良い。

 艶がある。

 臭いも強くない。

 前歯に欠けがない。

 筋肉のつき方も、変に痩せ細っていない。


 野生から引っ張ってきた個体には見えなかった。


 薬草も同じだった。


 袋の口が開いた瞬間、匂いで分かる。

 質が高い。

 しかも、束の揃え方が丁寧すぎる。


 一束だけでも金貨は下らない。

 それがぎっしり詰まっている。


 そこでアルトが話し始めた。


 これまでの経緯。

 サルメア村のこと。

 依頼地に着いてからの状況。

 灰牙ネズミとセンバのこと。

 村の活気。

 そして、とにかくイルナがどれだけ苦労して薬草を採取してきたか。


 そこから先は、ほとんどイルナ賛辞の独演会だった。


「イルナが採った薬草は、まず質がいい」

「……」

「量もそうだが、葉の張り方と香りが違う」

「……」

「それに、ただ拾ったんじゃない」

「アルトさん……」

「ちゃんと選んでいる」

「……」

「しかも、この半年ずっと、村の仕事に関わりながら」

「アルトさん、もういいです……!」

「よくない」

 容赦がない。

「冒険者としての依頼を忘れずに遂行していた」

「……」

「これは、かなりすごいことだ」


 イルナは、途中からその場にうずくまっていた。


 耳まで真っ赤。

 尻尾も落ち着かない。

 だが逃げない。


 逃げないで、その賞賛を受けている。


 それだけで、セルマには十分に伝わった。


 この半年で何があったのか。

 どれだけの苦労があったのか。

 どれだけ積み上げてきたのか。


 目の前の灰牙ネズミと薬草の品質。

 イルナの反応。

 そして、アルトが早口に語る熱量。


 それらをひとつずつ繋げていくうちに、セルマの胸にこみ上げるものがあった。


 無事だった。

 本当に無事だった。


 しかも、ただ帰ってきたのではない。

 これだけのものを持ち帰ってきた。


 ほっとした。

 嬉しかった。

 そして、二人の努力の気配に胸を打たれた。


 気づけば涙がこぼれていた。


 セルマ自身、泣くつもりなどなかった。

 むしろ仕事中に泣くなど、絶対に避けたかった。


 だが駄目だった。


「……っ」

 慌てて眼鏡に触れる。


 それを見たアルトが、明らかに焦った。


 心配させたせいか。

 それとも、まさか依頼の失敗だと思われたのか。

 そのどちらかを半分ずつ勘繰っている顔だ。


 次の瞬間、彼は燻製肉の包みをセルマの手に押し込んでいた。


「これ」

「……え?」

「食べてください」

「……」

「あと、これ」

 続いて、センバの手ぬぐいまで渡してくる。


 まだ試作中のものだ。

 センバの繊維を極限まで細くし、程よい間隔を保ちながら縫い合わせた布。

 空気を含むことで保水性と柔軟性を持たせている。


 アルトはその手ぬぐいを、ほとんど自然な動作でセルマの涙に当てた。


 柔らかい。


 吸う。

 そして冷たくない。


 それだけで、セルマには分かった。

 この布はただの布ではない。

 試行錯誤の末に辿り着いた、『使うための完成度』を持っている。


 しかも今、自分はそれで涙を拭われている。


 セルマの心臓が、だいぶまずい速度で跳ねた。


「……す、すみません」

 どうにか言う。

「取り乱してしまって」

「いえ」

 アルトは真面目な顔で首を振る。

「こっちが悪いので」

 そう言われると、余計に困る。


 だが、セルマはここでようやく仕事の顔に戻った。


 一度だけ眼鏡に触れる。

 気合いを入れ直す仕草だ。


 それだけで、彼女の空気が変わる。


「改めまして」

 声が落ち着く。

「依頼内容と成果の確認を行います」

 そこにはもう、これまでギルド内で蔑ろにされがちだった女の姿はない。


 最低ランク依頼。

 薬草採取と灰牙ネズミ討伐。

 村への往復を含めても、長くて二週間もあれば十分な内容。


 それが半年。


 しかも目の前にある成果物は、明らかに規格外だ。


 薬草の品質。

 灰牙ネズミの状態。

 加えて、ここ数か月、王都に流れ込んできていた妙な噂。


 あの厄介者の植物とネズミを使った面白い品や料理が食べられる村がある。

 商人の間で、そんな話がぽつぽつ上がっていた。


 タイミングが良すぎる。


 そして、目の前の二人も、以前とは何かが違う。


 特にイルナ。


 以前は、ギルドの隅で雑用依頼ばかり受け、おどおどと周囲の目を気にするだけの印象が強かった。

 いまも堂々とまではいかない。

 赤面してうずくまるし、アルトの過剰な賞賛には耐えきれていない。


 だが、それでも分かる。


 芯のようなものが通っている。

 一人の冒険者として、何かが定まっている。


 セルマは、瞬時に答えを出した。


 必要なのは、自分一人で抱え込むことではない。

 査定。

 鑑定。

 調査。


 全部を、今すぐ動かすことだ。


「少々、お待ちください」

 セルマはきっぱり言うと、すぐ近くにいた職員に声を飛ばした。

「鑑定士を」

「え?」

「今すぐ。ギルド直属の方を」

「は、はい!」

「それから調査団の手配も」

「調査団!?」

「早く」

 その声音に逆らえず、職員たちは一斉に動き出す。


 セルマはさらに、別の書類棚から必要な記録用紙を取り出し、灰牙ネズミと薬草の仮評価、依頼地の座標、提出品の数、受理日、未報告期間の特記事項まで、淀みなく書き込んでいく。


 アルトはその様子を見て、本気で思った。


 やはりこの人で良かった。


 担当がセルマでなければ、ここまで速く、ここまで迷いなく場を動かせなかったかもしれない。


 薬草の鑑定は、驚くほど早く終わった。


 直属の鑑定士が到着し、袋の中身を確認した瞬間、表情を変えた。

 香り。

 水分。

 葉脈。

 茎の状態。

 すべてが上等だ。


 結果、換金窓口で提示されたのは、両手いっぱいの袋に詰まった金貨だった。


 イルナは、本気で目を瞬かせた。


 多い。

 多すぎる。

 自分がこれまで見たことのない量の金だ。


「……え」

「全部、イルナの成果だから」

 アルトが当然のように言って、その袋を震える手に押しつける。


 イルナは慌てて首を振った。


「う、受け取れません!」

「なんで?」

「こんな、こんなに……!」

「採ったのはイルナだろ」

「で、でも……!」

 困惑するイルナへ、セルマが口を挟む。


「預金制度があります」

「……え?」

 セルマは説明した。


 冒険者ギルドには、独自の保管庫がある。

 商業ギルドとは別。

 冒険者の大金や貴重素材の代金を一時預かりし、必要に応じて引き出せる仕組みだ。


 アルトは、その説明の途中でいろいろ聞いた。


「保管庫はギルドの管理?」

「はい」

「商業ギルドとは別?」

「別です」

「取り出す時の手数料は」

「預ける際に一回、銀貨一枚です」

「高いな」

「……高いですが」

 セルマは苦笑する。

「安心には代えられません」

「管理方法は?」

「詳細はお伝えできませんが」

 そこで少しだけ声を落とす。

「強固な防御魔法と封印術式、決まった人員による警備が常時入っています」


 アルトは、その説明に一応納得した。


 もっとも、心の中ではすでに別のことを考えている。

 後で保管庫の位置を調べる。

 そして、独自の結界魔法と探知魔法を絡める。

 イルナの金が置かれるとなれば、そのくらいはしておきたい。


 だが、それは今口にすることではない。


「預けた方がいい」

 アルトはイルナに言う。

「家族に必要な分だけ手元に置く」

「……」

「残りは預ける」

 イルナは、アルトの顔と、金貨袋と、セルマを何度も見比べた。


 最終的に、アルトを信用した。


 ひとまず家族に必要な分だけの銀貨に換えて受け取り、残りの大半をギルドに預けることにした。


 それを見届けたセルマは、次に灰牙ネズミの方へ視線を戻した。


「村からの正式な報告をもって、残りの報酬は後日処理します」

「うん」

「ですが、こちらの個体については……」

 そこで彼女は、改めてネズミたちの状態に感心した。

「眠っているんですか?」

「そう」

 アルトが答える。

「睡眠状態」

「……」

「それと」

「はい」

「これは村の資産です」

 セルマが固まる。


「……はい?」

「家畜」

「……」

「だから返す義務がある」

 驚愕だった。


 魔物を家畜化。

 そんな前例を、セルマは聞いたことがない。

 少なくとも灰牙ネズミレベルの魔物で、村の資産として管理し、しかもここまで見た目の状態を整えている例など、思い当たらない。


 この半年の間に、二人はいったい何をしてきたのか。


 セルマは途方もない想像の前に、再び少しだけ眩暈を覚えた。


 その時点で、アルトはもう次のことを考えていたらしい。


「報告が間に合って良かった」

 と、ひとまず安堵したように息をつく。

「まだ少し気になることがあるから」

 そう言って、イルナとともにギルドを出ようとした。


 だが、そこへ女が現れた。


 人事長。

 見るからに、上に立つことと、人を使うことに慣れている顔だ。

 立ち姿にも無駄がない。

 服装も整っている。

 そして、目の奥に打算がはっきりある。


 彼女はこの半年、アルトの行動を独自に調べていた。

 サルメア村の妙な噂も。

 王都に流れてくる品も。

 学院との繋がりも。


 その評価の根本にあるのは、尊敬だけではない。

 自身の昇進だ。

 アルトという優秀な冒険者を囲い込み、自分の実績へ変える。

 そのためなら、使える制度は全部使う。


 アルトは、その程度のことは世界の脈絡から読み取っていた。


「アルト様」

 人事長は優雅に一礼する。

「アルト様に相応しい担当者をお付けいたします」

 空気が変わる。


 ギルド内の視線が集まる。


 セルマは、そこで本気で息を詰めた。

 自分ではない誰かへ担当が移る。

 それが普通だ。

 むしろ当然だと、どこかで思っていた。


 だが、アルトの返答は早かった。


「担当はセルマさんのままで」

 即答だった。


 人事長が一瞬、表情を止める。


「……ですが」

「セルマさんほどの優秀な方を」

 アルトは続ける。

「『専属』にしていただくことなんて、できませんよね?」

 ギルド全体が困惑した。


 何を言っているのか。

 褒めているのか。

 無理を言っているのか。

 どちらなのか。


 セルマは気が気ではない。

 人事長に目をつけられて怒られる未来まで一瞬で想像した。


 人事長は、どうにか平静を保ちながら言い返す。


「過去にそのような措置がなかったわけではありません」

 つまり制度の隙間はある。

 前例ゼロではない。


「ですが、セルマではなく、もっと優秀な人材を――」

「では」

 アルトが被せる。

「セルマさんを自分たちの専属嬢にしてください」

「……」

「報酬は自分から支払います」

 人事長の頭の中で、いくつかの計算が一気に走る。


 ヴァレイン家。

 勇者。

 ギルドの利益。

 専属化。

 雇用形態。

 前例。

 責任。


 だが、その全部をこの場で即答できるほどには整理しきれない。


「……そ、その件は」

 さすがに少し声が揺れた。

「また後日、改めまして……」

 それだけ言って、人事長は一度引いた。


 去っていくアルトとイルナの後ろ姿を、ギルド内の誰もが半ば呆然と見送る。


 しばらくして、場の空気が戻ってきた時にも、セルマの心臓だけは戻らなかった。


 なぜこんなことになっているのか。

 なぜ私が。

 そんな戸惑いはある。


 だがそれ以上に、ただ嬉しい。


 そんな感情が全身から湧いてくる。

 押し隠すのが大変なくらいに。


 セルマは、アルトから渡されたセンバの布を胸に抱いていた。

 そして、もう去ったはずの扉を、しばらく見つめ続けていた。


 そのあとで、もう一つ渡された燻製肉の包みに目を落とす。


 恐る恐る、一つまみだけ指で裂いて口へ運んだ。


 驚くほど柔らかい。


 指で容易く千切れた段階で上質なのは分かっていた。

 だが、まさかここまでとは思わなかった。


 噛むほどに、肉そのものの濃厚な旨味がほどける。

 そこへ、未知の調味料――サザを使った清涼感のある刺激が絡む。

 ただ濃いだけではない。

 ちゃんと締まる。

 飽きない。

 上等だ。


 これまで食べてきたどの料理にも、そのまま当てはまらない。

 しかも一級品だ。


 売れる。

 本当に、これは売れる。


 貴族社会に持ち込めば、莫大な金が動く気配すらある。


 セルマは、そこでまた小さく震えた。


 よもや、これほどまでに感服させられるとは思わなかった。

 夢にはたしかに描いていた。

 有能な冒険者を担当できたらいい、と。


 だが、それを遥かに超えてきた。

 しかも、まだ始まったばかりなのだ。

 いや、恐らくまだ序の口にも過ぎない。


 その事実に、思わずまた涙が一つこぼれた。


      *


 後日。


 セルマは正式にアルト専属となった。


 所属形態は少し複雑だった。


 席そのものは冒険者ギルドに置く。

 だが雇用主はヴァレイン家。

 つまり、ギルド職員として日常の手続きを円滑に進められる権限を持ちながら、ヴァレイン家の後ろ盾によって一般職員以上の裁量も与えられる、かなり特殊な形だ。


 依頼先とのある程度の契約。

 受理。

 ギルドに関係する各機関や設備の優先利用。

 場合によっては、ギルド長と同等に近い調整権限まで含まれる。


 いきなりそこまでか、とセルマ自身はまだ思っていた。

 だが、制度上は成立する。

 前例も薄く存在する。

 そして何より、アルトとヴァレイン家が押し切った。


 ギルド内の一室を与えられたセルマは、その日、アルトとイルナの前でその説明をしていた。


 彼女はまだ少し困惑気味だ。

 だが仕事の説明だけはしっかりしている。


「このような形で」

 眼鏡を押し上げる。

「正式に、専属担当となりました」

 その言葉を聞いた瞬間、アルトがぱっと拍手した。


「良かった」

 本気で嬉しそうだ。

「かなり」

 イルナもそれにつられて手を打ち鳴らす。


「お、おめでとうございます……!」

 セルマは、さすがに少しだけ顔が熱くなった。


 だが、そこで流されずに次の説明へ入れるのが、今の彼女の強さだった。


「依頼の成果と報酬について、改めてご説明します」

 机の上には、すでにサルメア村からの正式な報告書が届いていた。


 凄まじい内容だった。


 まず、報告された偉業そのもの。

 灰牙ネズミ問題の解決。

 センバの活用。

 加工技術。

 村の経済的拡張。


 だが、セルマを最も驚かせたのは、そこに添えられた『村人たちの熱』だった。


 どうか彼を次期国王に推薦してくれ、という年配者からのズレた過激な書状。

 イルナを村の誇りだと称える猫耳の子どもの拙い文。

 灰牙ネズミの干し肉がいかに旨いかを延々書き連ねた若者の報告。

 そしてサルメア本人の、村長らしく、それでいて最大限に二人を称賛した書状。


 さらには報奨金まである。

 屋敷が一つ建つレベルの金額だ。


 アルトはそれを見て少し笑った。


「あの人らしい」

 と、ひどく短く言う。

 確かに、サルメア村らしい。


 だが、アルトはすぐ真面目な顔に戻った。


「もう一つ」

 セルマが顔を上げる。

「気づいてたことがある」

「……はい」

「灰牙ネズミの異常発生の根本原因について」

 セルマの目が細くなる。


 本来なら、灰牙ネズミのような小型魔物は、他の捕食者によって自然と数が統制されるはずだった。

 だが、あの森ではそれが機能していなかった。


「どういうわけか」

 アルトが続ける。

「村周辺に捕食者がいなかった」

「……」

「それどころか」

「……」

「近隣一帯の他の小型魔物も、いくつか移動していた」

 赤尾トカゲ。

 針羽コウモリ。

 そうした小型魔物の一部まで、森の一帯からいなくなっていた。


 その原因が、サラドレイクだった。


「ワイバーンに近い」

 アルトは淡々と言う。

「赤尾トカゲに似た性質を持つ竜種で」

「……」

「尾が赤い」

「……」

「怒ると尾先が発熱する」

「……」

「火球も吐く」

 セルマは、そこで息を止めた。


 灰牙ネズミの異常発生の原因が、銅級依頼の範囲を明らかに逸脱している。


「サラドレイクは単独行動が多い」

 アルトは続ける。

「だが数体いた」

「……」

「洞窟の一つに住み着いていた」

 そして彼は、そこでなぜか少しだけ脇道へ逸れた。


「綺麗だった」

「……はい?」

「鱗の照り具合がいい」

「……」

「飛び方も(したた)かで」

「……」

「無駄がない」

 お決まりだった。


 脅威の説明の最中でも、アルトは生き物の美しさについて語り始める。

 しかもその語り方がやたら濃い。


 そしてそこから、さらにいつもの流れに入る。


「あと、イルナがかなり良かった」

 セルマが少しだけ目を閉じる。

「追跡の間も、野営の準備も、周辺状況の読み方も」

「アルトさん……」

「かなり助かった」

「……」

「本当に」

 イルナはもう、机の端でまた小さくなっている。


 セルマは、そこでようやく違和感に気づいた。


 アルトの話し方が、『これから行く者』のそれではない。

 もうやった後の話だ。


 恐る恐る口を開く。


「そのサラドレイクは、いったい……」

「ここに」

 アルトはあっさり亜空間から首を取り出した。


 部屋の中央に、どさりと落ちる。


 サラドレイクの首。

 人一人分ほどの大きさ。

 赤い鱗。

 硬質。

 しかも質がいい。

 素材として高値がつくことは、セルマにも容易に想像できた。


 彼女は本気で言葉を失う。


「あと五体分ある」

 アルトが何でもないように付け足す。


 そしてさらに、泳がせた一体を追跡した結果、東の魔王の領地とされる魔族領へ入ったことにまで言及した。


 セルマはそこで完全に理解した。


 この話はもう、最低ランク依頼の延長ではない。

 勇者の仕事だ。


 しかも、かなり本格的に。


「魔族側で、何か動きがあるかもしれない」

 アルトは静かに言う。

「まだ断定はできない」

「……」

「でも、可能性は高い」

 セルマは、この情報の重さを理解していた。


 だからこそ、余計なことは聞かない。

 どうやって追跡したか。

 どこまで深入りしたか。

 そういう部分は、アルトがわざわざ削って話しているのだと分かる。


 そして、それを自分に伝えたということは、信用されている証拠だということも。


 アルトはそこで、勇者として本格的に発つ準備を進める意向を示した。


 すぐではない。

 イルナにも準備がある。

 だが、悠長にしている時間はない。


 イルナの家族にきちんと挨拶しておく必要があることも、アルトは胸の内で感じていた。


 セルマはそうした話を聞きながら、机の上の書類とサラドレイクの首と、目の前の二人を見比べた。


 この人たちは、本当にもう、ただの新人冒険者ではない。

 けれど同時に、まだ始まったばかりでもある。


 その始まりに、自分は立ち会っている。


 胸の奥が静かに熱くなる。


 外では王都のざわめきが続いていた。

 だが、この一室の中だけは、もう次の旅の気配で満ち始めていた。


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