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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第27話 卒業の気配と、それぞれの進路

 卒業の気配というものは、案外はっきりした形ではやってこない。


 ある日突然鐘が鳴って、学院じゅうが「いよいよだ」と色めき立つわけではない。

 もっと細い変化の積み重ねだ。


 掲示板に貼り出される進路関連の書類が増える。

 教師たちが、雑談のついでみたいな顔で将来の話を振ってくる。

 研究棟の出入りが妙に忙しくなる。

 騎士団や研究機関、教会、ギルドから視察めいた人々が顔を見せることも増える。


 そして何より、生徒たち自身の視線の先が、少しずつ学院の外へ向き始める。


 いまここにある日常が永遠ではないことを、誰もが薄々知っている。

 だからこそ、笑い声や会話の中に、ほんのわずかずつ『先のこと』が混ざり始める。


 そういう空気が、学院全体にゆっくり満ちていた。


 アルト・ヴァレインは、それをよく見ていた。


 見るのが得意だった。

 というより、見すぎるほど見る。

 誰がどういう紙を受け取ったか。

 どの教師がどの生徒へ何度声をかけているか。

 進路の話題が出た時に、どういう者が嬉しそうにして、どういう者が一瞬だけ視線を落とすか。


 そういう細部が、もう自然と目に入る。


 そしてアルトは、その観察の果てに、まずひとつの結論へ辿りついていた。


 リュシアンの育成計画は、完成した。


 本気でそう思っていた。


 始まりを思えば、信じがたいことだった。


 最初は、ただの『素材は良いが、自分を低く見積もる名門の末っ子』だった。

 綺麗だが頼りない。

 そう見られやすい、気の毒な美少年。


 そこへ目をつけたのはアルトだった。

 いや、正確には平助の変態性だったと言うべきかもしれない。

 磨けば主人公になる。

 その直感に従って、魔法理論、制御、身体運用、そしてこの世界の常識から半歩ずらした地盤そのものを、じわじわと叩き込んできた。


 その結果、どうなったか。


 いまのリュシアンは、自分で考え、自分で選び、自分で伸びる力を持っている。


 未だにためらいはある。

 自分を必要以上に低く見る癖も、完全に消えたとは言えない。

 だが、それすらも、もはや『足を引く弱さ』ではなくなっていた。


 程よい謙虚さ。

 素直さ。

 他者の言葉を正しく受け取る柔らかさ。

 それらは、さらに成長していくために必要なものとして機能している。


 羨望の目が向けられた時、ただ萎縮するだけではなくなった。

 期待を向けられた時、それに応えようとする健気さも育っている。

 実力は十分にある。

 加えて、その実力を抱えたまま、人の輪の中で立てるようになった。


 そこには、平助が思い描いていた『理想の主人公』に近い姿があった。


 もう十分だ、とアルトは思った。


 ここから先は、自分がいなくてもいい。


 いや、もちろん、いた方が伸びは早いかもしれない。

 助言もできる。

 理論の裏打ちも、経験の整理もしてやれる。

 だが、それは『必要』ではない。


 もともとリュシアンは、自力で伸びていけるだけの素養を持っていた。

 アルトは、その速度を少しだけ早めたにすぎない。


 本気でそう思っているところが、かなりアルトらしかった。


 そして、その判断に基づいて、彼は少しずつ距離を調整し始めた。


 露骨ではない。

 だが確かに、直接的な指導を減らしていく。


 放課後に毎日のようにしていた魔法の個別訓練を、週に数度へ。

 休日の丸一日拘束するような濃密な講義は、もっと短く。

 その代わりに、これまで散々叩き込んできた基礎――自分の内で魔力を練り上げる方法や、魔物相手の実践、状況判断、体術との連携などを、今度は『自分で続けるように』勧めるようになった。


「ここから先は」

 アルトはある日の訓練の終わりに、さらっと言った。

「自分で回した方がいい」

 リュシアンは、その言葉にわずかに目を瞬かせる。

「……自分で?」

「うん」

「でも、まだ」

「たしかに、まだある」

 アルトは認める。

「けど、そこで全部こっちに聞いてたら遅い」

「……」

「自分で選んで、自分で試して、自分で失敗して」

「……」

「その方が、たぶんもっと伸びる」


 言っていることは、正しい。

 正しすぎるくらい正しい。


 だからこそ、リュシアンには余計につらかった。


 ああ、と思う。


 これは、終わりへ向かっているのだと。


 終わり、という言葉は正しくないかもしれない。

 関係が断たれるわけではない。

 アルトだって完全に離れるとは言っていない。

 他愛ない会話は続くだろう。

 休日にどこかへ行くことも、きっとある。


 だが、『教える側』と『教わる側』という、いちばん濃い関係が、少しずつ役目を終えようとしている。


 それが、リュシアンにはひどく寂しかった。


「……そうだね」

 と、どうにか笑って返す。

「うん」

「そうした方がいいって、僕にも分かる」

「ならいい」

「……」


 アルトは、それで十分だと思っている。

 リュシアンも納得している、と。


 だがリュシアンの胸の内では、それとは別の何かが、ずっと沈んだまま残っていた。


 どうにか繋ぎ止めたい。


 その感情に、まだ名前はつけきれない。

 師を失うような喪失感。

 友を失うのに近い不安。

 あるいは、それよりもっと個人的で、もっとどうしようもない寂しさ。


 だから彼は、以前よりも『何でもない会話』を大切にしようとするようになった。


 授業の合間に、今日はどの教員の講義が面白かったかを話す。

 食堂で、どの献立がよかったを話す。

 休日に、特に訓練でもなく街を歩く時間を何となく求める。


 アルトは、そこにある感情の深さまでは拾えていない。


 ただ、『友人としての付き合い』だけは自分も大事にしたいと思っていた。

 それは本音だった。


 彼と離れることが、現実になりつつある。

 それをアルトもまた、うっすら感じている。

 感じているからこそ、訓練以外の時間を雑に扱いたくなかった。


 ただし、その温度差が、やはり少し切ない。


 そんなふうにリュシアンとの距離が静かに変わり始める一方で、学院のあちこちでは、他の者たちもまた自分の進路を形にし始めていた。


 レオノーラは、騎士団への入団を決めていた。


 本人の意思だ。

 それもかなり強い意思によるものだった。


 家からの反対がなかったわけではない。

 由緒ある家の令嬢が、自ら騎士団へ入る。

 名誉ではあるが、危険も伴う。

 家の内で、もっと別の『相応しい道』を期待する声があっても不思議ではない。


 だが、レオノーラはその反対を押し切った。


 押し切るだけの実力があり、学院からの推薦も強く、何より彼女自身が、王の名の下に国と民を護る存在であることへ、本気で意味を見出していた。


 勇者とは道が違う。

 だが、向いている方向は近い。


 いずれ、魔王軍との抗争においても、彼女は重要な役割を担うだろう。

 アルトはそれを疑っていない。


 実際、騎士団側の書類を受け取る彼女の横顔には、これまでとはまた別種の凛々しさがあった。


 シャルロッテは、相変わらずだった。


 良い意味で。


 研究を曲げない。

 疑問を抱えたままにしない。

 何か思いつけば即座に書き留め、必要とあればアルトにまで意見を求める。


 もっとも、その中身は、もはや助言というより共同で殴り合っているに近い時すらある。

 彼女は遠慮がないし、アルトも答えられることにはだいたい答える。


 その結果、学院の研究教員へ提出した論文が認められ、王都の研究機関から声がかかった。


 本人は表向き、当然という顔をしていた。

 だが、その書状を受け取った後でほんの少しだけ一人になろうとしていたのを、アルトはちゃんと見ている。


 嬉しかったのだろう。

 それをわざわざ他人へ見せる趣味がないだけで。


 アルトとしても、かなり期待している。


 シャルロッテなら、自分の頭の中にあるフィレイアの蔵書の延長ではない、新しい知見を生むかもしれない。

 もしかすると、まだ自分が読み切れなかった蔵書のどこかに類似の思考はあったのかもしれない。

 だが、それでも『いまこの世界で生まれる新しい知』であることには変わりない。


 それは、かなり良いことだった。


 リディアは、やはりというべきか、聖教会へ進む道を選んだ。


 それも、入学以前から半ば決めていたらしい。

 学院生活の間も、彼女は王都中の教会を祈り歩いていた。

 アルトも、それを何度となく目にしている。

 知識の女神に祈る場を共にしたことすら、一度や二度ではない。


 そして最終的に彼女が身を置くことになったのは、知識の女神フィレイアに祈る、あの教会だった。


 アルトがかなり手を入れてきた場所である。


 リディアには、リディアなりの淡い期待もあったのだろう。

 そこにいれば、今後もアルトと会えるかもしれない。

 推しに関する意見交換だって、できるかもしれない。


 だが、それだけではない。


 アルトのフィレイア評を浴び続けた結果、リディアの中には、いつしかかなり健全な、本物の祈りが芽生えていた。

 この女神に心から祈りたい、と思うようになっていたのだ。


 懐の深い女神へ祈ることは、結果的に他の神々を礼賛することにも等しい。

 他が一層輝くほど、彼女の魅力はさらに増す。

 リディアはそんなふうに、自分なりの宗教観を育てていった。


 そして何より、アルトが教えてしまったのである。

 自分に正直であることを、自分自身が尊んでよいのだと。


 そのことを、リディアはずっと感謝していた。


 ルゼリアは、相変わらずリディアに振り回されていた。


 ただし、最近はそれを少し楽しんでいるようにすら見える。


 表立ってアルトへ自分の今後を語ることはない。

 だが、リディア経由でいろいろ漏れてくる。


 家のこと。

 領地のこと。

 魔王軍への実質的な従事から離れたことで、一族としてようやく内政へ力を割けること。

 その中で自分もちゃんと役に立ちたいと思っていること。


 ルゼリアは、もう『ただ脅されて従うだけの娘』ではない。

 家を支える側へ回ろうとしている。


 その変化を、アルトは悪くないと思った。

 かなり良い、と言ってもいい。


 直接は教えてくれない。

 だが、リディアを介せばだいたい筒抜けである。

 そのあたりも含めて、ルゼリアはまだ少し甘い。


 ミレナは、これからもレオノーラの侍女としての役割を続けていくのだろう。


 ただ、そこにはもう、入学前のような後ろめたさはなかった。


 もちろん、レオノーラへの恋心については、まだためらいがちだ。

 それは簡単に解けるものではない。

 だが、少なくとも『私は最初から後ろにいるべきだから』と決めつけるような硬さは、学院生活の中で少しずつ薄れていた。


 そしてミレナは、気づいている。


 学院祭や舞踏会の件に、アルトが一枚噛んでいたこと。

 いや、一枚どころではない。

 かなり深く関わっていたことを。


 他の者たちも薄々察してはいる。

 だが、ミレナはとくに『助けられた側』の感覚でそれを受け取っていた。


 だから最近、彼女はさりげなくアルトへ手を添えることが増えた。

 優しい視線も、少しだけ増えた。


 それがまた、平助の変態性をよく刺激する。


 支える側にいた者が、自分の意思で一歩だけ近づく。

 その変化には、どうしても弱いのだ。


 セラフィナは、冒険者としての道をかなり本気で考えていた。


 学院と王都の冒険者ギルドは深い繋がりがある。

 彼女ほどの実力があれば、いずれ名の知れた冒険者になることも想像に難くない。


 アルトとしては、少しだけ陰から手を出して、その成長を観察してやるのも悪くない気がしないでもなかった。


 どこかの依頼でさりげなく環境を整えるとか、強すぎる敵だけこっそり間引いておくとか、そういうことだ。


 だが、それはさすがに違う。


 セラフィナが知ったらプライドを傷つけるだろうし、何よりアルトの中の変態的倫理観が、それは無粋だと告げている。


 彼女は彼女で、自分の剣で自分の道を切り開くべきだ。

 ならば自分は、同郷の冒険者として、陰から静かに見守るだけでいい。


 そう思っていた。


 そうして学院じゅうが、それぞれの進路へ少しずつ傾いていく中で、リュシアンとの距離だけが、アルトの中で静かに重たくなっていく。


 完成したと思っている。

 彼はもう、自分で進める。

 ならば手を離すべきだ。


 そう判断しているくせに、完全には離れられない。


 他愛もない会話が嬉しい。

 休日を共に過ごすのも悪くない。

 彼の伸びを、まだ少し見ていたいと思ってしまう。


 それはアルトの弱さでもあった。


 そして、その弱さを、卒業が近づくほどにごまかしにくくなっていた。


 ある日の夕方。

 訓練棟の外れで、リュシアンと並んで歩いていた時のことだ。


 会話はいつも通りのはずだった。

 講義の話。

 進路のこと。

 研究棟の教師がまたしつこかったこと。

 そんな、何でもない話。


 だがその何でもなさの裏に、もう『終わりが近い』空気がある。


 リュシアンは、そこでふと足を止めた。


「……アルト」

「ん」

「僕」

 一瞬、言葉を探す。

「宮廷魔法師の話……」

「うん」

「たぶん、受けると思う」

 アルトは、それを聞いて頷いた。


 当然だと思った。

 そして、良い選択だとも。


「そうした方がいい」

 ごく自然に言う。

「……やっぱり?」

「君に向いてるし」

「……」

「あと、あっちは多分、君をちゃんと使う」

 その『使う』という言い方が、いかにもアルトらしい。


 リュシアンは小さく笑った。

 だが、その笑みは少しだけ寂しそうでもあった。


「……アルトは」

「ん?」

「本当に、あっさりしてるね」

「そうか?」

「そうだよ」

 一拍。

「僕にとっては、すごく大きいことなのに」


 その言葉に、アルトは少しだけ黙った。


 ああ、と内心で思う。


 そうか。

 そうだな。

 彼にとっては、これは人生の節目だ。


 自分の感覚では、ただ『次の場所へ行く』程度に見えてしまっていた。

 だが、リュシアンにとっては違う。

 学院を出る。

 進路を決める。

 しかもそれは、アルトと一番濃く関われていた時間の終わりにも繋がっている。


 そこでようやく、アルトは彼の寂しさの一端だけを少し理解した。


 全部は分からない。

 だが、少なくとも『何でもないことではない』ことは分かった。


「……悪い」

 そう言うと、リュシアンは少し驚いたようにこちらを見る。

「別に、責めてるわけじゃ」

「分かってる」

 アルトは言う。

「でも」

 一拍。

「大きいことなんだろ」

「……うん」

「なら」

 言葉を探す。

「ちゃんと、見た方がいいなと思った」


 リュシアンの胸が、そこで少しだけほどけた。


 分かってもらえた。

 全部じゃなくても。

 少しでも。


 それだけで、随分違う。


 夕方の光が、訓練棟の壁へ斜めに落ちていた。

 卒業の気配が、遠くではなく、もうかなり近くにある。


 学院生活の終わりは、確かに近づいていた。


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