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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第26話 星下祭

 交流会の大広間には、整えられた美しさがあった。


 磨かれた床。

 高い天井。

 王都の楽団が奏でる、格式ばった静かな舞踏曲。

 来賓たちの会話はほどよく抑えられ、笑みも礼節の範囲に収まっている。


 それは確かに、美しい。


 だがアルトには、その美しさが少しだけ窮屈に見えた。


 踊りの輪の中にいても、皆どこか本気で楽しみきれていない。

 相手との距離。

 家柄。

 作法。

 見られ方。

 貴族であればあるほど、一歩の重みが増す。


 その結果、本来ならもっと自由に、もっと無邪気に輝ける者たちが、自分を抑え込んでいた。


 エルミナと婿候補の男もそうだ。

 せっかく同じ場にいるのに、互いに歩み寄りたい気持ちがあるのに、場の格式が邪魔をしている。


 ミレナもそうだった。

 ドレス姿で、いつもよりはっきりとした美しさを纏いながら、それでも自分を『前へ出てはいけない側』に置いている。

 レオノーラを見つめる視線には、友誼より一段深い熱があるのに、それを形にする方法を持てない。


 貴族でない家の生徒たちは、踊ることそのものをためらっている。

 舞踏の作法に疎ければ、それだけで輪へ入る理由を失ってしまう。


 シャルロッテのような少女ですら、堂々と見えて、その実どこまで自分から行くべきかを測っている。

 セラフィナのような真っ直ぐな娘でさえ、この場では力の向け先を少し見失う。


 リディアは表面上こそ穏やかだが、この『美しく整えられた不自由さ』に気づいている顔をしていた。

 ルゼリアもまた、まだ新しい世界へ足を踏み入れたばかりの者として、この場の空気に完全には馴染みきれず、しかし拒絶もできずにいる。


 これでは、駄目だとアルトは思った。


 少なくとも、自分は嫌だった。


 祭りなら、もっと祭りであるべきだ。

 人が、ただ今ここにいることを、もう少し素直に楽しめる場であってほしい。


 平助の変態的倫理観は、こういうところで妙に真っ当に働く。


 本来輝ける者が、いらない縛りのせいで曇ることを、彼はどうにも許せない。

 それがモブヒロインであろうと、メインヒロインであろうと、あるいは名もない学院生であろうと同じだった。


 だから、やる。


 アルトは静かに、会場へ張っておいた術を起動した。


 大広間の床下、柱の影、壁沿いの装飾、そのすべてに、事前にごく薄く仕込んでいた結界魔法がある。

 その結界へ、いま亜空間魔法を巡らせる。


 密度は濃い。

 だが、荒くない。

 むしろ一点の隙間もないように、丁寧に、丁寧に張り巡らせていく。


 対象は人間だけではない。

 卓も。

 椅子も。

 灯りも。

 大広間の一角にある飾り布や酒器に至るまで、この場を構成している『交流会の空気』ごと持っていく。


 転移先は、王都の外れにある丘だ。


 高く、風がよく通り、夜には満点の星が降るように見える場所。

 アルトのお気に入り。

 木陰にはひそかに机や椅子まで常備してある。

 読書に使ったり、思考を整理したり、時にはひとりでだいぶ満足げにぼんやりしたりしていることは、もちろん内緒だ。


 その丘へ。


 交流会を、そっくり移す。


 王都の楽団がちょうど一曲を終え、次の静かな舞踏曲へ移ろうとした、その切れ目だった。


 空気が、ほんの一瞬だけ薄くなる。


 気づいた者はほとんどいない。

 だが、次の瞬間にはもう、景色が変わっていた。


 高い天井はない。

 代わりに、夜空がある。


 壁は消え、満天の星がひらける。

 窓ではなく、遠くまで続く闇と光の粒が、視界の端まである。

 足元はしっかりしているが、空気は広い。

 風がある。

 草の匂いがある。

 遠くで鳴く夜の虫の気配さえ、音楽の外側にある。


 そして丘の中央には、いつの間にか大きな火床があった。


 木材と岩を組んで作られた即席の囲い。

 そこに、煌々と火が燃えている。


 炎。

 月明かり。

 星々。


 大広間の灯りを持ったまま、しかし世界だけが一気に外へ開いたようなその光景に、誰もがしばし言葉を失った。


 最初に歓声を上げたのは、生徒たちだった。


「え……?」

「な、何これ……!」

「外!?」

「星が……」

「綺麗……!」


 次いで、ざわめきが波みたいに広がっていく。


 来賓の中には混乱する者もいた。

 教師の中には「誰がこんなことを」と青ざめる者もいる。

 だが、それを上回る勢いで、この異様な転移は『祭りの延長』として受け入れられていった。


 理由は簡単だった。


 気持ちがいいからだ。


 空気が広い。

 呼吸がしやすい。

 上を見れば星がある。

 堅い壁の中で保っていた姿勢が、少しだけほどける。


 そして、興行団が待っていた。


 事前にアルトが仕込んでいた、粗削りで、庶民の生活に根差した祭りの音楽。

 格式ばった舞踏曲ではない。

 もっと体へ入ってくる音。

 手拍子と足踏みと、素朴だが腹の底が温まるような旋律。


 それが、火床の炎の前で鳴り始めた。


 もう、作法は要らない。

 決まった型もいらない。

 家柄も、男女の別も、誘う順番も、細かい礼も、とりあえずは脇へ置ける。


 ただ手を取って、輪に入り、踊ってしまえばいい。


 その変化を最初に理解したのは、エルミナだったかもしれない。


 彼女は星空の下で、ほんの一瞬だけ目を見開いた。

 そのあと、婿候補の男の方を見た。


 男の方も、同じように見ている。


 今なら。

 この場なら。

 そういう空気が、もうそこにあった。


 先ほどまで大広間の格式に押されていた距離が、ここでは半歩だけ近い。


 男は意を決したように、一歩出た。

 エルミナも、逃げない。


 火の色を受けた彼女の横顔は、驚くほどやわらかく、そして強かった。


 アルトはその様子を見て、内心でかなり複雑になった。


 良い。

 すごく良い。

 だが、少し複雑だ。


 それでも、エルミナが幸せそうならいい。

 いや、本当にいいのか。

 いや、よくなければ困る。

 でもやはり若干複雑だ。


 そんな兄とも弟ともつかない感情を抱えつつ、アルトはどうにか平静を保った。


 一方で、ミレナとレオノーラの間にも変化があった。


 レオノーラは本来、場を制する側の娘だ。

 だが大広間では、その役割が逆に彼女自身を固くしていた。


 ここでは違う。


 火床の明かりと、星の下では、彼女の高潔さが『壁』ではなく『輪の中心へ人を呼び込む軸』として機能する。

 その横で、ミレナはまだ少し戸惑っていた。

 だが、先ほどまでのような『私はここにいてはいけない』という縮まり方が、ほんの少しだけ薄れている。


 レオノーラが何か言う。

 ミレナが笑う。

 それだけで、アルトには十分だった。


 良い。

 非常に良い。


 リディアはというと、珍しくはしゃいでいた。


 あの穏やかな少女が、火床のまわりで音に乗り、やわらかながらもかなり積極的に人の輪へ混ざっている。

 しかも、その隣にはルゼリアがいた。


「ほら」

 とでも言うように、彼女はルゼリアの腕を引く。

 ルゼリアは最初こそ戸惑っていた。

 だが、大広間よりここがずっと楽なのは、本人にもよく分かる。


 魔族であること。

 人の目。

 礼儀の場。

 そうしたものを一瞬だけ忘れてしまえる。


 リディアは、そういう緩みの中でルゼリアをますます面白がっていたし、ルゼリアの方も、それを完全には嫌がっていなかった。


 シャルロッテは、こういう場に最も似つかわしくなさそうで、しかしその実、ちゃんと輪の内にいた。


 むしろ、貴族ではない家の男子生徒から誘いを受けた時、いちばん戸惑ったのは彼女の方だっただろう。


「わ、私?」

 という顔をした。

 そして一瞬、逃げるかどうか迷った。


 だがここは大広間ではない。

 周囲もすでに、型を保つことを半ば諦めて、ただ楽しむ方向へ流れている。


 シャルロッテは最終的に、その誘いに応じた。


 戸惑いながら。

 だが、どこか新鮮そうに。


 その不器用さが、また妙に良かった。


 セラフィナは、最初こそ『誰かを探している』顔をしていた。


 もちろんアルトだ。

 あの男が絶対どこかでこれを仕掛けていると分かるのに、姿が見えない。

 面白くない。

 そして妙に悔しい。


 その苛立ちを誤魔化すみたいに、彼女は少しやけ気味に踊り始めた。


 手当たり次第、というほど無秩序ではない。

 だが、明らかに勢いがある。

 笑っている。

 楽しんでいる。

 そのくせ時々、人混みの向こうを探すように目を上げる。


 いかにもセラフィナらしくて、アルトは少し笑いたくなった。


 そして彼自身は、木陰に隠した椅子に腰を下ろしていた。


 お気に入りの位置だ。

 火床も見える。

 人の輪も見える。

 けれど少し外れている。


 そこから見れば、会場全体がよく見えた。


 皆、ちゃんと楽しんでいる。

 身分も、作法も、いったんは忘れて。

 ただ今ここにいる者として。


 やはりこれでよかったのだ、とアルトは思った。


 その時、視界の中にリュシアンを見つける。


 彼は、人の輪の中にいながら、まだ少し落ち着かなさを残していた。

 大広間よりはずっと楽そうだ。

 それでも、どこかでアルトを探しているのが分かる。


 アルトはそれを見て、ふと立ち上がった。


 今夜の熱が、少しだけ自分にも移っていたのかもしれない。

 普段より、ほんの少しだけ強引になれる程度には。


 人の輪を抜けて、リュシアンのそばへ行く。

 相手がこちらに気づくより早く、その手を取った。


「え」

 リュシアンが目を丸くする。

「アルト?」

「踊るぞ」

「……は?」

「今なら」

 一拍。

「いいだろ」


 リュシアンの顔が、一気に熱を持つ。


 何を言われたのか、理解はしている。

 しているが、理解したことを心が追いきれない。


 踊る。

 アルトと。

 この星空の下で。

 皆がそれぞれ好きに楽しんでいる、この『祭り』の中で。


「ま、待って」

「待たない」

「いや、でも」

「嫌か?」

 そう聞かれると、嫌だとは言えない。


 言えるはずがなかった。


「……嫌じゃ、ない」

「ならいい」

 アルトはそう言って、そのままリュシアンを輪の中へ引き込んだ。


 最初の数歩、リュシアンは本気で戸惑っていた。

 手の熱。

 距離。

 足運び。

 周囲の音。

 全部が一気に押し寄せる。


 だが、ここには大広間の窮屈さがない。

 決まった型もない。

 間違っても構わない。

 少しずれても笑って済む。


 そして何より、相手がアルトだ。


 リュシアンは次第に、ぎこちなさをほどいていく。


 呼吸が合う。

 足が合う。

 笑っていい空気がある。

 手を引かれて、くるりと一度回された時には、もう胸の奥の方から喜びが溢れていた。


 こんな時間があるのだと、思う。


 ただ、楽しい。

 ただ、一緒にいられる。

 それだけで、心に深く刻まれてしまう。


 アルトの方もまた、そんなリュシアンの表情を見て、少しだけ内心でどきりとした。


 これはまずい。

 いや、良い。

 いや、良いのだが、少しまずい。


 何しろ、あまりにも無邪気に楽しんでいる。

 さっき髪飾りを渡した時の顔もそうだったが、こうして祭りの熱にあてられているリュシアンは、普段以上に素直で、普段以上にきれいだ。


 だが、そこで妙な意味へ行ってはいけない。


 これは育成計画の一環。

 戦いのあとの労い。

 息苦しい交流会を、ちゃんと祭りに変えた結果としての、自然なひととき。


 たぶんそうだ。

 おそらく。

 できればそうであってほしい。


 平助はそうやってどうにか自分を整えながら、それでもリュシアンの手を放さなかった。


 火床の炎が揺れる。

 星が、頭上いっぱいにある。

 楽団の代わりに、庶民的な祭りの音が夜へ弾ける。


 丘の上には、もう誰も『大広間の中の役割』だけではいなかった。


 エルミナは、ひとりの恋する女性として笑っている。

 ミレナは、もう少しだけレオノーラの近くで呼吸できている。

 リディアはルゼリアの手を引いて笑い、ルゼリアもまたその輪の中にいる。

 シャルロッテは不器用なまま新しい熱へ触れ、セラフィナは探しものをしながらも全力でこの夜に混ざっている。


 そしてリュシアンは、アルトと踊っていた。


 それは、彼にとってたぶん、一生忘れない夜になる。


 アルトもまた、そのことをどこかで理解していた。

 理解してしまっているからこそ、少しだけ怖い。

 だが、怖さごと込みで、この時間を悪くないと思っている自分も確かにいた。


 祭りとは、本来こういうものなのだろう。


 誰もが少しだけ自分の役割を外して。

 誰かと手を取り。

 いまここにいることを、ただ喜ぶ。


 夜はまだ終わらない。

 この星空の下で、交流会はようやく『本当の祭り』になっていた。


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