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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第25話 獣耳の少女と、踊れない夜

 十人ほどの女生徒たちに囲まれた獣人の少女は、見るからに限界だった。


 怯えている。

 逃げたい。

 だが、逃げるという発想そのものが体の方にうまく通っていない。

 人族の令嬢たちに囲まれる、という経験自体、彼女の人生のどこにもなかったのだろう。


 しかも、囲んでいる側に悪意はない。


「その耳、本物なの?」

「すごくふわふわして見えるわ……」

「お名前は?」

「どちらのギルドにいらっしゃるの?」

「警備の方なのよね?」

「まあ、なんてかわいらしいの……!」


 善意と好奇心と、やや暴走気味の保護欲が、少女の周囲にひどく濃く漂っていた。


 質が悪い。


 悪意ならまだ対処が単純だ。

 だが『好意的に興奮している集団』ほど、止めづらいものはない。

 しかも相手は格式ある学院の令嬢たちである。

 自分たちが相手を追い詰めている自覚が、あまりない。


 アルトは、一度だけ大きく息を吸った。


 そして、獣人の少女へ少し強めの隠蔽魔法をかけた。


 今度のは薄いものではない。

 かなりきちんとしたものだ。

 目の前にいても、よほど意識しない限り『そこにいた』こと自体が滑っていく程度の強度がある。


 次の瞬間、女生徒たちの視線がずれた。


「……あら?」

「どちらへ」

「え……?」

「さっきまで、こちらに……」


 少女の周囲に空白ができる。


 アルトは、その隙に彼女の手首を軽く取った。


「こっちだ」

 声は小さく。

 だが、迷わない。


 少女はびくりと身を震わせた。

 だが、手を振り払うことはしなかった。

 誰なのかも分からない。

 何が起きたのかも理解しきれていない。

 それでも『ここから出られる』という一点だけで、身体がその手についていってしまう。


 アルトは、付き従っていたヴァレイン家の使用人に短く告げた。


「少し待ってて」

 使用人の女性は目を細めた。

「アルト様」

「すぐ戻る」

「……かしこまりました」


 彼女はそれ以上追及しない。

 だが、その目は『本当にすぐ戻るのですね』と言っていた。

 アルトは内心で、さすがにこの人は仕事ができるな、と改めて感心する。


 そして少女――イルナを会場の外へ連れ出した。


 廊下を抜け、人気の少ない渡り廊下の脇。

 夜気が少し入る場所。

 楽団の音が遠くなる。


 少女はようやく、そこで息を吐いた。


 両手はまだフードの端を握っている。

 狼耳を隠したいのだろう。

 だが完全には隠れない。

 その必死さが、またひどく幼く見えてしまう。


 アルトは少しだけ彼女を観察した。


 歳は自分たちと同じくらいか、少し下か。

 体つきは華奢。

 痩せている、というほどではないが、日常的な栄養の潤沢さとは無縁そうだ。

 服も、今日の交流会にふさわしいものではない。

 冒険者ギルドの補助要員として回されてきた見習いに近い立場なのだろうと分かる。


 魅力は強い。

 かなり強い。

 だが、その魅力を本人は欠片も自覚していない。

 むしろ目立つことを避けたい気配の方が濃い。


 良い。


 非常に良い。


 と平助の一部が反応する。

 だが、さすがに今はそこに浸っている場合ではない。


「大丈夫か」

 アルトが聞く。

 少女は一瞬、こちらを見る。

 それから、こくこくと小さく頷いた。

「……は、はい」

 声も小さい。


 まだ震えが残っている。

 アルトはそのまま、薄い回復魔法をかけた。


 傷を治すためのものではない。

 精神の揺れと過呼吸気味の状態をなだめるための、ごく穏やかな調整だ。


 魔力が触れた瞬間、少女の肩から少しだけ力が抜ける。


「少し、落ち着くだろ」

 少女は自分の胸元へ手を当てた。

「……あ」

「ん」

「……ちょっと」

「うん」

「……楽、です」


 その『楽です』の言い方が、また妙に健気で、アルトの胸を刺す。


 かなりまずい。

 この手の『苦しいのを黙って耐えるのが先に身についた子』は、平助にとって相当に危険だ。


 だから、あえて淡々と事情を聞く。


「ギルドの手伝いか」

 少女は小さく頷く。

「……はい」

「見習い?」

「まだ、ちゃんとした冒険者じゃなくて……」

「うん」

「こういう、人手がたくさんいる時だけ……」

「……」

「雑用とか、お皿運びとか、そういうのならできるからって……」


 声が控えめだ。

 だが、嘘はない。


 アルトはさらに聞く。


「生活のためか」

 少女は少しだけ躊躇した。

 躊躇したが、回復魔法で気持ちが少し整っているせいか、ぽつぽつと話し始める。


「母が……」

「……」

「昼も、夜も、働いてるから」

「……」

「少しでも、助けられたらって」

「……」

「妹たちも、いるし」

「……」

「その、今日みたいな場所なら、余りものとか、もらえるかもしれないって……」


 控えめに言った。

 だが、その一言が重い。


 お腹をすかせた妹たちが家で待っている。

 母は昼夜働いている。

 そして自分は、余りものを期待して、見習い以下の立場でもここへ来た。


 健気すぎる。


 アルトの中で、庇護欲と変態的探究心がかなり大きくうねった。


 獣人という存在についてもっと深く知りたい、という興味もある。

 だがそれ以上に、目の前の少女の切実さが、胸の奥を直撃していた。


「……名前は」

「イルナ、です」

 アルトはその名を心の中に置いた。

 まだこの時点では、それが後の旅へ深く繋がる名になるとは知らない。

 だが、響きだけは妙に覚えやすかった。


「イルナ」

 少女が、少しだけこちらを見る。

「はい」

「これ、持ってけ」


 アルトは革袋を一つ渡した。

 中には銀貨が入っている。


 実験で出た『ガラクタ』――アルトがそう思い込んでいるだけで、実際にはそれ以上の価値を持つ物――を売って得た資金の一部だった。

 平助の感覚では、いま使わずに何に使うのか、である。


 イルナの目が明らかに揺れた。


「え」

「あと、これも」

 今度は袋をもう一つ。

 こちらには、会場の食卓から亜空間を使って急遽くすねた手ごろな食べ物が詰まっている。

 食べやすいもの。

 冷めてもそこそこいけるもの。

 そして、試作していたカップ入りの氷菓も一緒に押し込んだ。


「……え」

「持て」

「で、でも」

「持て」

「……」

「あと」

 アルトは続ける。

「困ったことがあれば、聖教会に行け」

「……」

「知識の女神に祈るとこ」

「……」

「そこなら、たぶんどうにかしてくれる」


 アルト御用達の教会である。

 信用はある。

 少なくとも、目の前の少女を雑に扱う場所ではないだろうと確信できる程度には。


 さらに、彼はイルナへ隠蔽魔法をかけたままにした。


「これ……」

 イルナが不安そうに自分の手を見る。

「夜明けには解ける」

「……」

「家族なら匂いで分かるだろ」

 そこは獣人の感覚をかなり雑に、しかしわりと正確に当てにしていた。


 イルナはしばらく何も言えなかった。


 こんなふうに、一度に渡されるとは思っていない。

 金。

 食べ物。

 氷菓。

 助言。

 そして逃げ道。


 その全部を、何でもないことみたいな顔で押しつけてくるこの少年が、正直かなり理解できない。


 だが、ありがたさだけは分かる。


「……あの」

 声が震える。

「ありがとうございます」

「ん」

「本当に」

「いい」

「……」

「帰れ」

 アルトは言う。

「妹たち、待ってるんだろ」

 イルナの喉が、こくりと鳴った。


 それから、どこか上の空のような足取りで去っていく。

 ひょこ、ひょこ、と。

 まだ現実感がないのだろう。

 とくに尻尾が、感情の混乱を隠しきれていない。


 アルトはその後ろ姿を見送った。

 特に尻尾を。


 良いな、と少し思う。

 だが、その感想はたぶん今は横へ置くべきだった。


 会場に戻ると、待っていた使用人の女性がすぐに駆け寄ってきた。


「アルト様」

 声音は抑えている。

 だが、だいぶ急いでいる。

「お急ぎください」

「うん」

「もう交流会は始まっております」

「そんなに?」

「はい」

 有無を言わせない手つきで、彼女はアルトを引いた。


 個室へ連れ込まれ、宴の装いへ替えられていく。


 アルトは基本的に着る物への頓着が薄い。

 だからこそこういう時、使用人たちが本気を出すと早い。

 髪。

 襟元。

 上着。

 手袋。

 立ち姿。


 あっという間に『名門勇者家系の嫡流』が出来上がる。


 そして、大広間へ戻った時には、もう交流会は始まっていた。


 王都から招かれた楽団が、格式ばった静かな舞踏曲を奏でている。

 大広間の中央では人々が踊っていた。


 だが、そこにある空気は、純粋な楽しさだけではない。


 格式。

 家同士の思惑。

 誰と踊るべきか。

 どの程度近づくべきか。

 誘うべきか、待つべきか。

 貴族でない家の生徒は、そもそもどう混ざってよいのか分からない。

 皆、どこか一枚『正しい振る舞い』を被っている。


 その中に、エルミナがいた。


 美しかった。


 すでに見た。

 見て、危うく泣きかけた。

 それでも、舞踏の場に立つ彼女はまた別種の美しさをまとっている。


 ただし、少しだけ積極的になれずにいた。


 婿候補の男も来ている。

 その気配はアルトにも分かる。

 視線も向いている。

 だが、お互いに一歩を踏み出せない。


 この場の空気がそうさせるのだ。

 家柄。

 礼儀。

 周囲の目。

 どのタイミングで手を取れば自然か。

 そういうものが、かえって距離を作る。


 アルトは、それが少し気に入らなかった。


 何より、エルミナの魅力が出し切れていないのが惜しい。


 だから、自分から動く。


「姉さん」

 エルミナが振り向く。

「少し」

 アルトは手を差し出した。

「踊ってくれる?」


 エルミナの表情がふっとやわらいだ。


 すぐに分かる。

 弟が相手だと、緊張がほどけるのだ。


「ええ」

 やわらかく頷く。

「もちろん」


 手を取る。


 その瞬間、アルトの胸に、また別の感動が押し寄せた。


 幼い頃から、どこかで望んでいた瞬間だった。

 姉の手を取る。

 守るように導く。

 そういうありふれたはずの一場面が、自分にとってはずっと遠かった。


 それがいま、ここにある。


 エルミナは、踊り出すと見る見るうちに本来の美しさを表へ出していった。


 足運び。

 手の置き方。

 身体の開き方。

 視線の流し方。

 この十年の努力が、全部そこに出ている。


 ただ習ったからできる、ではない。

 身につけたのだ。

 自分のものとして。

 あのエルミナが、自ら望んで。


 平助は、内心でまた泣きそうになっていた。


 だが踊りながら泣くわけにはいかない。

 どうにか持ちこたえる。


 しかし踊り切ってもなお、エルミナと婿候補の男は、すぐには歩み寄れなかった。

 少し距離がある。

 あるが、それは嫌悪ではない。

 緊張だ。

 それがまた、見ていてもどかしい。


 その時、アルトの目が別のものを拾った。


 ミレナだ。


 彼女の視線が、レオノーラへ向いている。

 遠慮がちに。

 けれど、目を離しきれない程度には深く。


 アルトは、そこでようやく、彼女の中の感情を確信に近く理解した。


 侍女。

 友人。

 気心の知れた支える側。

 そういう言葉では足りない。


 特別なのだ。


 ミレナにとって、レオノーラは。


 レオノーラ自身は、彼女を極めて大切な友人と思っている。

 だがミレナの方には、そこを少し越えた感情がある。

 言葉にできず、表にも出せず、ただ支えることでしか関われないと思っている類のもの。


 切ない。

 そして、かなり良い。


 アルトはそこで、交流会全体を改めて見た。


 ほとんどの生徒が、思い思いの事情を抱えている。

 貴族同士の思惑。

 格式。

 立場。

 踊りの作法。

 誘えない事情。

 混ざれない遠慮。


 これでは、本来輝ける者たちも輝けない。


 モブヒロインたちだけではない。

 メイン級のヒロインたちですら、本来の魅力を十全に出せていない。

 場が、その自由を奪っている。


 平助はそれが少し許せなかった。


 家同士の交流という機能があることは分かる。

 建前も分かる。

 礼節も分かる。

 だが、それだけではつまらない。


 祭りなのだ。

 だったら、もっと、ただ人として楽しめる場があっていい。


 アルトは、静かに決めた。


 事前に仕込んでいた計画を、ここで使う。


 学院祭の前に、学院に訪れていた興行団へそれとなく依頼しておいた。

 格式ばった舞踏曲ではない。

 もっと粗削りで、庶民の生活に根差した、祭りのための音楽。

 踊り方に縛りがなく、男女や家柄や技術の差すらあまり関係ない、ただ手を取り合って楽しむための音。


 それに合わせて、大広間全体に薄く張っておいた結界へ、いま亜空間魔法を巡らせる。


 一点の綻びもなく。

 会場の設備ごと。

 人も。

 卓も。

 楽団も。

 灯りも。


 王都の外れにある丘へ。


 アルトのお気に入りの場所。

 満天の星がよく見える、高い丘。

 木陰にこっそり机や椅子まで常備してあることは、もちろん秘密である。


 そこへ、転移させる。


 まだ、誰もそのことを知らない。


 ただアルトだけが、これからこの息苦しい交流会を、もっと別の『祭り』へ作り替えるつもりでいるのだった。


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